薄明の憧憬
大きな口を開けて欠伸をしたのは陵の友人である青木だ。早く起きて、誰もいない教室に一番乗りするのが趣味…という変わった男だ。陵はそれは趣味というよりも逃亡なのではないか、と思いつつも何も言わないでいた。
青木も本当の理由に気付かれていると分かってはいるものの、深く突っ込まないでいてくれる陵を好ましく思っていた。ぼんやりと自分の席でうたた寝しているとぽつぽつ人が増えていく。
陵は割とギリギリの時間になってからでないと教室に現れない。朝が弱く起きられない、という理由ではなく。ギリギリまで家で勉強をしてから登校するのだ。曰く、夜よりも朝の方が効率が良いらしい。ちなみに青木はショートスリーパーという理由もあって夜派だ。とはいえ夜を徹してまで真面目に勉強する訳でもない。それでも中々の成績なので地頭が良いのだろう。
予鈴がなる五分前になって漸く陵が教室に現れる。青木は間延びした声で陵に声をかける。それに気がついた陵は、ぼんやりしていたのか少しびくっとしてから返事をする。
「どしたん? って何それ?」
明らかに様子がおかしい。陵が手に持っていたのは茶封筒だった。表に『佐々木 陵さまへ』と書いてあった。陵は困惑したような顔でその封筒を青木に渡す。
「これ、なんだと思う?」
なんだ、とは何だ。と思いつつも青木は裏をちらりと見ると『雨宮 晴子』と書かれている。その女子は違うクラスではあるが、天使みたいに可愛いとかそんな風に言われている…学年では割と有名な美少女である。
「俺が見てもいい代物なのか?」
青木が尋ねると陵は「多分、大丈夫」と返したので、青木は遠慮を捨て中身を確認する。中にはノートの切れ端と思われる紙が一枚、入っていた。ボールペンで簡潔な文章が二行。
『お話があります。
放課後、体育館裏で待ってます。』
「え、これ。告白されるんじゃねぇの」
読んですぐ青木は断言する。が、陵はイマイチ腑に落ちていないような顔だった。
「そう、なのかな。これ、果たし状とかだったりしないのかな」
「いや、告白だろ。普通」
どこらへんが納得いかないのか、と青木が問うと陵は封筒とノートの切れ端を見てぽつりと言った。
「なんだろう…この、ラブレターじゃない感。と、思って」
「あぁ、まぁ。確かに古風だな。しかもこの見るからにサッと書いたような走り書き…あの美少女が書いたと思えないわな」
陵が引っかかっていたのはそこだった。イタズラとかそんなものであると言われた方がよほど納得できる、と陵は真剣に思っていた。
「てか、お前。雨宮さんと接点あったの?」
確かに不思議に思っていた。この友人は、あの美少女と仲が良かっただろうか、と。青木は疑問に思っていたことを訊く。
「いや、あるってほどのものは…同じ部活ってことぐらいしか思いつかないんだけど」
「部活って…あの、幽霊部員だらけの文学部?」
陵は頷きながら、何かあったかと思い出そうとしているようだった。眉間にしわを寄せているその姿に青木は心の中で笑う。そんなこんなで本鈴が鳴ると「うわっ」と声が上がる。どうやら忍者が来たようである。今日もこのクラスの担任である忍野は気配を消しているようだった。それをちらりと見てから陵は難しい表情のまま自分の席へと向かった。
「まぁ、でも。美少女のくせに、見る目はあるかな」
青木の小さな呟きは、周りの喧騒に掻き消えた。
薄明の読みは、はくめいですが。うすあかりと読んでほしいところ。響きの問題。