《前哨戦》&一、【邂逅】
宜しくです
人の一生は、とてもじゃないが儚い。
あっという間に終わってしまうし。
天寿を全うするより早く終わってしまう事もある。
だけど、そんな儚くて脆い人生にも――それを送る人にも、救済があって然るべきだ。
だから、君が、この第一人者として、人生を謳歌してくれたその後に――また、話し込もうか。
名前は、君の要望通り、ハセ・ヤマトでいいんだよね?
ならば、どうか僕達の愛する人類に、光を、救済を、与えてやってくれ。
《元・魔王》よ。
《前哨戦――支配者の崩御と英雄の君臨》
「どうして、貴方は・・・・・・私を庇ったの?」
血塗れの姿で、彼女は言う。
だが、自分の方がもっと酷いだろう。腹に途轍もない大穴がこじ開けられているのだから。
だけれど、うわーなんて、思ってもいられない。
もう、終わりはすぐそこにある。
「悪を・・・・・・打ち破るのは。君の仕事・・・・・・だ。
君が・・・・・・いなく、なっちゃ・・・・・・いみ、がぁ・・・・・・ないん、だ」
やはり真の意味で悪が正義に滅ぼされなければ、この世に魔獣が蔓延る。
それだけは、絶対に阻止しなければならない。
「その剣ならば・・・・・・討ち滅ぼせる・・・・・・世界に、光を灯せる」
最後まで献身的に寄り添ってくれた存在が残した、この円環を斬り裂く、正義の剣ならば。
魔王を――自分を討てる。
「さぁ、勇者よ。討ち滅ぼせ、悪を。
己が正義を示す刻は、今だ」
悪を滅ぼしてこそ、正義は築かれる。
強固な悪の思想を打ち破ったその瞬間、この世界で最も磐石な正義が築かれる。
その為だけに、この世の悪という悪を滅ぼし、善という善を悪の名の下に滅ぼしてきた。
悪は、たった一つ、存在すればいい。
それ以外は、唯の欲望に過ぎない。
唯の欲望はこの戦いには関係しない。いずれ悪の目が咲こうとも、決して磐石な正義には叶わない。
だからこそ、全力を賭して、正義を強固なモノに変えた。
自らの手で鍛えた正義に、討ち滅ぼされる為に。
「私は、貴方の敵・・・・・・貴方は、お父さんの仇・・・・・・だけど」
「揺らぐな。
正義が動じれば、再び悪は顕現する」
迷う彼女に、正義の旗頭としての役目は全うできないかもしれない。だけど、その為に彼女の周囲に信頼出来る仲間を置いた。ならば、今ここで自分が退場しても問題はない。
「僕が、こうなる事を選んだ・・・・・・だから、これは当然の帰結だ・・・・・・さあ、闇を、振り払え・・・・・・君が、貫くんだ」
震える右手を必死になって彼女の頬にあて、流れる透明な雫を拭う。
たったそれだけで、何度も血を吐く。
死の間際に残る力を全て振り絞って――たったそれだけの事しかできない。
「もう、時間がないから・・・・・・さ、頼むよ」
最後には、掠れる声で懇願して。
「・・・・・・名前を、教えて」
そう尋ねられて。
「ハセ・ヤマト」
遥か昔に捨てた名を告げて。
――円環は、光輝の剣に斬り裂かれた。
ここで、物語は終結するはずだった。
何万年も続いてきた、最悪の円環は終わったはずなのに。
再び、世界に危機が訪れる。
第一章・・・・・・《無意味は求められて》
一、【邂逅】
生まれた。
育った。
――それだけ。
全く異変のない、二度目の人生。
セカンドライフプロジェクトは、無事、始動した。
「なんだかなー」
だが、事はそう簡単でもない。
ヤマトは、常々そう思う。
幸い、生まれ育った体は非常に――というか、途轍もないぐらいに優れていて、齢十五にして戦闘分野では超一流だ。
だが、残念ながら、未だに実戦経験は一度もない。
それもそのはず。現在、世界の頂点にいる英雄――『聖女ジャンヌ・フリューディア』が、強すぎる為だ。
まあ、確かに前世のヤマトは並大抵の巨悪ではなく、全力を奮えば一夜にして国一つ落とす程の鬼畜っぷりで、それに打ち勝つ事は乃ち、世界最強を示す。
だからこそ、世界に危機が訪れたその瞬間、彼女はすぐさまそれらを迎撃、殲滅してしまった。
とは言っても、取り零す事は元より予想し得ない事でもなく、たちまち同行部隊が殲滅した。
何だろう、この安穏とした日々は。
生まれ育ってから、早くも十五年と三ヶ月が経過した。両親は健在で、更には祖父母・曾祖父母迄尚も健在と来た。ヤマトの住んでいるユルズ国の首都は非常に治安が良く、暴漢が現れる訳でもない。コロッセオという闘技場で剣闘士達の戦闘を見る事も出来るが、参加は許されない。友人関係は残念ながら良好と言えず、一人修練に励み、家族の仕事に手を貸すだけの毎日を、少なくとも十年は続けて来た。
両親の仕事といえば、父親が遺跡攻略士、母親が薬剤商人である。更には、未だに六十過ぎの祖父母共に宮廷魔導士・治療魔導士である。お陰で生活環境は最適で、この体が秀抜なのも、攻略士や魔導士の血を継いでいるのかもしれないと納得出来る程に彼らは有名だ。
攻略士といえば、世界広しといえど千人は居ないとされる特別な職業で、世界中に点在する古代遺跡をその実力で攻略し、トレジャーハントで生計を立てる者を指す。
更に宮廷魔導士は世界に百人とおらず、その実力は一人で一国の軍事力に匹敵する。更にその中でも治療魔導士は希少で、ヤマトの祖母、ハセ・ヤヨイは世界で一と称される程の治療魔導士だ。
これだけの家族が揃えば、必然的にヤマトに過剰な期待が掛けられる。どうやら家族はそんな事を思ったらしく、ヤマトが出生した当時から、一部の者だけがヤマトが実子であると知っており、他の者は養子であると勘違いしている。
そんなハセ家に、近々養子が迎えられると言う話を聞いた時は、そりゃあもうビックリ仰天、天地がひっくり返るような思いだった。
前述した通り、ヤマトの友人関係は一切合切無で、その対人スキルは家族に限られる。
そんなヤマトを心配してか、ひたすらヤマトに甘い家族一同は養子の話を白紙に戻そうとしたものの、流石にそれは度が過ぎるだろうと静止を掛け、必死に説得した。
そして、今日、遂にその養子がハセ家に迎えられる。
ヤマトに甘い家族が養子に重々言い含めておくと言っていたので、ひたすら嫌な予感しかしないが、こちらからコミニケーションを妨げるつもりはない。要は、相手がどう思うかだ。
ひたすら重りを着けての修練に明け暮れて緊張感を追い払っていた最中、遂にその時がやって来た。
「三百六十五、三百ろくじゅ」
「貴方がヤマトさんですか?」
不意打ちだった。
まさかまさか、既に敷地内に入っているとは思わなかった。いや、意外と俺が気付かないようにしていたからかもしれないが。
「うわぁッ!」
突然見知らぬ人に声を掛けられれば、ヤマトは当然のように緊張する。全身の筋肉がこれ以上なぐらいに張り詰めて動きが停止し、そのままピタッと硬直する。
「えーっと、大丈夫、でしょうか」
情けない叫び声を上げて崩れ落ちるのだけは回避できた。泣けなしのメンツを振り絞って体を起こし、そっと養子であり、これから共に暮らす事になる者を視界に収める。
優しい陽溜りだと、一瞬錯覚した。
「――」
唖然とする他、無かった。
黄金色の穂を連想させる長い金髪に、幼さやあどけなさが色濃く出た端正な顔立ち。かと思いきや、その見に纏う装具や雰囲気は毅然としたもので、それなりの練達者としての貫禄も余裕も垣間見える。
女性を美しいと感じたのは、前世も含めてこれで二度目。
これから共に暮らす養子は、まさかの美少女だった?
いやいやそんな馬鹿な――そう思った矢先に、祖母・ヤヨイがやって来た。
この間六十を超えたとは思えないぐらいに若々しく、その容姿は未だに昔のとおり健在だ。
ハセ家の象徴とも言える赤い短髪、二十、三十とも見分けのつかないその容姿は酷く印象的だ。
「いたいた、ヤマト。って、なんだ、もう会っていたのね。じゃあ、もう自己紹介してるかもしれないけれど、この女の子が今日から家で養子になる」
「アリシアです」
名乗り、礼儀正しくお辞儀をしたアリシア。
未だに驚愕が残ってはいるものの、それでも硬直から抜け出すには丁度いい時間稼ぎになった。
「ハセ・ヤマトです。これから宜しく」
手を差し出すかどうか迷ったが、こんな所で対人スキルゼロという致命的な弱点を見せびらかすよりは全然いい。出来るだけ顔が引き吊らないように、手を拭く動作で何気なく顔を背けて時間を稼ぎ、右手を差し出す。
恐る恐る、まさにそう言った具合にその手を握り返された時、一瞬だが女の子である事を実感した。
俺のとは、違う、小さくて、今すぐにでも壊れてしまいそうな、女の子の手・・・・・・。
だが、直後に感じ取ったのは、彼女の並外れた努力である。
瞬間的に彼女の全身を観察し筋肉の着き具合を確認すれば、彼女が治療魔導士の卵として特化した才能を有している事を察する。
だがしかし、それを踏まえたとしても、その手に刻まれたであろう傷の数は凄まじいものだった。
だから、つい、口が滑る。
「強さに執着して、何になると言うんだ。
これだけの自傷を繰り返して、何になると思っているんだ」
本来であるならば、決して触れる事はなかったはずだ。だが、この美少女が辿って来た道筋を考えれば、そう問わずにはいられなかった。
瞬間、アリシアの表情が強ばる。彼女の心拍数が瞬く間に上昇するのが、繋いだ右手から伝わってくる。
だが、流石にそれ以上繋ぎ続けるのは不躾だと思っていたし、それに何より良い加減限界だ。
「これから、練習をしたければ俺に言え」
何故そういったのかは分からない。だけど、今のヤマトにとって、これ以上彼女を意識し続けるのは辛かった。
その場に困惑する二人を残して、早足で別の場所へと逃げるヤマトの表情は、酷い自己嫌悪に満ち満ちている。
――決して、人を傷付けるのが悪とは限らない。
前世でそう自分に言い聞かせてくれた人の温もりを、思い出しながら。
得意戦闘スタイルは、大変貴重な武器『銃』と『刀』。
右手に刀を、左手に銃を装備した者は、この世界でもたった一人。
僅か十数年前に世界を壊滅の危機に追いやった、巨悪の権化。
俗称・『魔王』。
人の身でありながら、僅か一夜にして国を壊滅させ、一つの魔力弾丸で万の軍勢を吹き飛ばしたとされる、最強最悪の男。
その存在が公になってから三年の内に世界の半分を占領し――聖地・ヴァレンティヌにてジャンヌ・フリューディアと緒戦を繰り広げ、僅差で勝利。命からがら逃げ去ったジャンヌを追随することなく、他方に勢力圏を拡大していった魔王は、その一年後、再び聖地にてヴァレンティアと交戦し、敗れた。
こうしてジャンヌが志す正義は、普遍不動のものとなった。
彼女は先ず、魔王と世界から恐れられた存在の崩御を世界に公布し、続いて世界に残っていた反乱分子を悪と見做して殲滅。そうして、ジャンヌは己を絶対不敵の存在へと押し上げ、世界に残っていた悪という悪を根絶、別世界より現れた魔獣達も又、殲滅した。
ここまでして、遂に世界公認の正義を掲げたジャンヌは今、聖地ヴァレンティヌに『騎士団』と呼ばれるジャンヌ直属の軍を築き上げ、実質的にヴァレンティヌを収める立場にある。
ヴァレンティヌは元より国ではなかったが、魔王敗北の地であり、決戦の地でもある為、新たな王をジャンヌとして一国が建ち上げられることに。
絶対不敵と呼び称される正義の旗本に居ようとする者は多く、元よりジャンヌ達も国民を必要としていた為、ジャンヌと同じ境遇の――貧困層の人々を国民とし、聖地ヴァレンティヌを中心とした半径二百キロメートルに渡る小さな土地を他国より譲り受けて正式に国王・領地・国民を得たことで、今より五年前にフリューゲル国が建国された。
早くも建国から五年が経ち、今やフリューゲル国は新興国として嘗てない発展を遂げ、世界各国の強国とも遜色無い程にその地位を高めていた。
だがその一方で、列強国にさえ数えられる地位にまで上り詰めたフリューゲル国初代国王ジャンヌ・フリューゲルは憂鬱な気分であった。
「またですか・・・・・・」
またと言うのも、ここ数年で遺跡の発見頻度が急速に増加し、フリューゲル国では既に十に到達した。
元来、遺跡というものは神々の試練と考えられ、試練を突破せし者には莫大な富と強力無比な武具が与えられる。事実、既に三度遺跡を攻略したジャンヌは幾つもの強力な武具を有している。
ならばむしろジャンジャン来い――と言うのが国民の考えなのだが、実際はそう上手くゆかない。
例え話をするとすれば、昨今遺跡攻略士として名声を高めつつあるハセ・セイヤと言う齢三十半ばの男は既に遺跡を七つも攻略し、莫大な富と強力な武具を幾つも所持することで、彼自身の実力はジャンヌに追い付かんばかりのものだ。
世界最強の地位がこうも容易く脅かされていては叶わない。そう思いジャンヌ自身も遺跡攻略に度々出掛けてはいるが、国王としての職務を全うする方が先決の為、それも数年に一度が限界な訳である。
もし絶対不敵の通り名が霞と化し、世界最強がジャンヌでなくなれば正義の根幹は揺れ、魔王が望んだ平和は夢のまた夢の存在になる。
勿論、魔王はそれも見越してジャンヌの下に有能な人材を残したのではあろうが、ジャンヌを超える存在は未だ国内におらず、余り状況が芳しいとは思えない。
「はぁ・・・・・・ヤマト、折角ならばもう少し世界情勢を精査して下されば良かったものを」
今は亡き魔王の名を口にしても、それに聞き耳を立てるものは先ず居ない。
ハセ・ヤマト。そう言えば件の男と同じ姓名ではあるが、関係ないはずだ。何故ならばその名は、他でもない、ジャンヌの父が考え、与えたのだから。
こうして父の敵であり、積年の宿敵であり、初恋の相手でもあり、世界を阿鼻叫喚に陥れた張本人の名を口にして愚痴らなければ、到底ジャンヌの心が落ち着くことは叶わない。
「ですが・・・・・・この役目、必ずや、全うしてみせますよ」
腰に帯びた正義の剣に誓うように。
ジャンヌの決意は、あの時から決して揺るがない。
必ずしも、悪だけが人を傷つける訳じゃない・・・・・・それを履き違えば、お前の悪は根幹から揺らぐ。
「分かっているさ。そんなもの、俺が決意したあの瞬間から」
遣る瀬無さが胸に去来したので、一人夕焼けに染まる空を眺めればきっと何かが変わると思ったのだが・・・・・・そんな訳なかった。
既にあの頃愛用した武器はこの手に無く、当時有していた肉体も実力もここにはない。
全て、あの時とは違う。
この手で救えるものは、遥かに少ないのだ。
時に、思う。
再びこの世界に生を受けて、本当に意味はあるのかと。
無作為に正義と悪を履行し、履き違えたのかもしれない正義をこの世界の根幹へ与えた己に、果たして意味はあるのかと。
そんな時、どうしても父が恋しくなるのだ。
ヤマトが元魔王であった事実を知り、魔王であった理由を知る唯一無二の存在。
彼は、常にヤマトにこう諭す。
「お前がしたことに理解を求めるな。理解を欲すれば、それだけで功績の根幹が瓦解する。
だけど、俺は理解してやる。お前の、これまでを。
だから、善性を問うな。
だから、理解を求めるな。
もしお前が本当にあの魔王だとするならば、お前自身で、血を流した軌跡を否定するな。
いつか、その奇跡が輝く瞬間が訪れる。
その時まで、耐えるんだ」
別に理解されることを望んでいる訳ではないから、大した執着心はない。それに、今の自分からしてみれば、どうでもいい話だ。
だから、魔王の時に叶えられなかった夢に、挑んでも意味がないと、諦める事が最善なのかもしれない。
「今の俺が・・・・・・かつての俺に敵うはずもないだろ」
自嘲気味に、あくまで自身の非力さを嘲笑うように。
なら、諦め――
「面白い事を言うな、お前は」
「ッ・・・・・・って、うそ、だろ」
突然、ヤマトの目の前に現れた人物に、ヤマトは言葉を失う。
「あ? 何だ、お前。俺の事知ってんのか?」
燃えるような赤髪に、筋骨隆々とした巌のような巨体だがしかし、額には深く皺が寄り、顎に伸びる髭もその色を変えつつある。
元、制悪隊第三師団団長、ティグリス・ドラゴーン。
前世の時に何度も刃を交わした、宿敵だ。
だが、当然ティグリスがヤマトを覚えているはずもなく、ヤマトの唖然とした反応に首を傾げるばかりである。
長引かせる理由もなにも無かったので「いや、何でも無い」とだけ言葉を発し、警戒心を掻き立てる。
「へっ、そうか・・・・・・まあいい、それよりも、そう緊張なさんな。別に俺はお前らに喧嘩を売りに来たわけじゃねぇ。お前らんとこのハセ・セイヤって若造に話があるだけだ」
随分と剽軽な語り草だが、彼の発するプレッシャーは酷く不釣り合いだ。
警戒を微塵も解かず、ヤマトは口を開く。
「悪いが父は今、遺跡攻略に忙しくてな。アンタみたいな無骨者の相手をしてやれる程暇じゃないんだ」
こっちはとてもぞんざいな口調だが、空からいきなり降ってくるような無法者に尽くす礼はあるまい。
ヤマトの態度から、その言葉に嘘がない事を瞬時に見抜いたティグリスは、大きく溜息を吐いた。
「んだよ、くそ。わざわざ俺が足を運んでやったってのに、いねぇのか」
そう愚痴り後頭部の辺りをボリボリと掻く姿は、傍から見れば山賊に酷似している。
「用がないならさっさと失せろ。いい加減に目障りだ」
「あ?」
敢えて挑発するようなヤマトの口調に、簡単に反応するティグリス。
(相変わらずの脳筋野郎だな。そんなんでジャンヌの腹心が務まるのかよ)
等と思わない事もなかったが、これでも彼の部下は非常にティグリスを慕っている。
「なんだよ小僧。かつての自分が何だか言ってたチンケなクソガキの分際で、その口の利き方はなってねえんじゃねぇか?」
「黙れ。無法者に尽くす礼儀は一発の拳で十分なはずだろう」
「へッ、つまらねぇ意地張りやがって――悪いが、俺は本当の無法者だ。ルールも常識もわきまえやしねぇぜ」
そう言うが否や、瞬く間に拳を繰り出すティグリス。
(流石に後悔するよな・・・・・・)
彼の実力は生半可なモノじゃない。到底、今のヤマトでは歯が立たないだろう。
「だが、おもしれえッ」
二度目の生を受けてから、初の実戦。
相手は遥か格上。初戦にしては随分と酷い相手だが、悪くはない。
ティグリスの拳は、巨岩を粉々に粉砕し、大地に凶悪な爪痕を残す。もしヤマトが一発でも受けたら、即勝負にケリが着く。
既に眼前にまで拳が迫っている状態で回避するのも不可能に近いが、生憎今度の肉体はある一点に於いて前よりも遥かに優れている。
『強化・ラウンドファースト』
前世の肉体は、圧倒的に魔術を使うのが苦手だった。単純に莫大な量の魔力を体内に巡らせていただけで、それを使う才能が圧倒的に乏しかった。
だが、この肉体は違う。
魔導士としての血筋は生半可なものでなく、前世とは比較にならない程に魔力の流れを明瞭に掴むことができる。
元来、身体強化の魔術というのは、全身の筋肉に偽りの補強を施して筋肉を強化するというもので、その難易度は非常に高い。だが、今のヤマトにとって筋肉の補強は児戯にも等しく、既にその一段階も上の技術さえ習得している。
全身を巡る魔力の循環を血液の循環と重ねる事で、戦いの中で加速する血流と同時に魔力の循環速度を向上させ、より緻密な魔力操作を可能とする。
リミットが大きい分、少しでもトチれば意識を失う以上のデメリットを被るのだが、ヤマトにその懸念は一切ない。
突き出された拳よりも早いバックステップで躱し、左前方へと僅かに進み、拳の少し先――逞しいが、無防備に晒された右肘を全力の力で払いを打ち当てる。
「がぁッ」
ティグリスの油断が幸し、勝負の出だしは上々。と思いきや、その時、ヤマトはティグリスが痛みに声を上げた直後には、既に間合いを取っていた。筈なのに。
「なんッ――ぐぁ」
豪快に振り払われた右腕が、ヤマトの間合いを飛び越えて襲いかかった。
刹那の油断を見事に突かれ、完全なガードを決められないまま強烈な一撃を受ける。胸を貫くような凄まじい一撃に肺から空気が吐き出され、胃の中にあるモノが込み上げるような強烈な嘔吐感、更には全身を苛む激痛が意識を奪いに出る。
辛うじて意識を保てたのも、地面に豪快にぶつかった所為で、ちっとも嬉しくない。
「か――はッ・・・・・・ゲハッオァッ」
立ち上がることさえ叶わず、寝転んだままの体勢で何度も咳き込み、吐血する。全身を襲う激痛は未だに和らがず、断じて優しいとは思えない猛威を振るう。
その間にもティグリスはこちらへと歩み寄り、一歩、また一歩とその距離は縮まるばかりだ。
やがて、その足音が止まったのは、ヤマトの僅か数センチ前だった。
「なぁ、クソガキ。お前、ナニモンだ」
有り得ない、信じられないとでも言いたそうな表情で、ティグリスは聞く。
「がぁ・・・・・・クッソ、こっちは・・・・・・はぁ、キツいんだぞ、ゲホッ」
だが、生憎現在進行形で激痛に表情を歪める今日この頃だ。悔しいが答える余裕が無く、折角の皮肉もまともじゃない。
「そうか、ならいい。だが、な、クソガキ。
オメエは忘れねぇ。絶対にだ。
お前の実力の不釣合いさだけは、忘れたくとも忘れられねぇ」
巫山戯んな、誰の実力が不釣り合いだ!
とでも抗議の声を上げたかったのだが、やはり事はそう上手くゆかない。
「クッ・・・・・・ソォ・・・・・・」
もう、限界だ。
初戦を呆気ない程の瞬殺で飾った翌日。
「全く、ウチの子にこんな事をして・・・・・・爺さんが止めなきゃ一人殴り込むとこだったよ」
ホントにナイスだ祖父ちゃん!
ヤヨイの本気発言に一同困惑顔の中、包帯ぐるぐる巻でベットに横たわるヤマトは内心ガッツポーズ。
やがて気を取り直したかのように、祖父・ガイトが呑気に。
「しっかしのぉ・・・・・・まさかまさか、ヤマトが瞬殺される輩がセイヤにかぁ。
どうも、嫌な予感しかせんのぉ」
イヤイヤ祖父ちゃん、不吉なこと口にしないでくれよ!
本音をギリギリ胸の内に押し込んで、ガイトの振った話題に便乗する。
「だよなぁ。本当に何の用だったんだろな、あの野郎」
後半に不機嫌さが滲み出たが、その後の苦笑いで軽く誤魔化して、口を開いた母・ミヤコの言葉に感心する。
「大方、最近実力をつけてるセイヤを勧誘にでもしに来たんじゃない。最近、ジャンヌ様も忙しいって言うし」
流石は商人とでも言うべきか、その勘と推察能力は非常に高く、概ねヤマトの予想と同じようなものだった。
だがしかし、それにしては人員を明らかに間違えている気がする。ヤマトであれば、あのタイミングでティグリスを選んだりはしなかった。交渉事であれば、アスハやリューディアなどが明らかに適しているはずだろう。
釈然としないジャンヌ勢の人選ミスに首を傾げるヤマト。
「どうしたの? 何か腑に落ちない事でも?」
そんなヤマトの様子を機敏に感じ取ってか、ミヤコがヤマトへ気遣うような声を掛ける。
ヤマトは首を振り、「ううん、何でも無い」とだけ言って微笑を口元に浮かべる。どちらにせよ、負けた事の衝撃の方が大きかった。
「はぁ・・・・・・しっかし、どうするかのぉ・・・・・・折角アリスちゃんも家にやって来た事だし、そろそろが潮時かのぉ」
ふと、何気なく発したガイトの言葉。ヤマトには全く理解できなかったが、それ以外の二人はどうも違っていた。
「ちょっとお待ち。爺さん、それは少し早すぎやしないかい?」
「ええ、義父様。流石に今は・・・・・・」
ガイトの言葉に賛同しようとしない二人。一体何について話しているのか理解できないまま、ヤマトは話の筋を予測する。
「だがのぉ、セイヤと儂は既に決めておった。嘗てない才能を、ここで持て余して良いものかとな。
それに、下手すりゃ儂とヤヨイちゃんを超えるコンビが出来上がるかもしれん。まあ、それも当分先の話で、二人の想いも重要になるのは明白じゃから、多少慎重になるやもしれんがな。
何分、迅速に行動せねばいかん。もう、二度目はないのじゃ。ミヤコさんも知っとるかもしれんが、セイヤが指定した日時にまで、もう時間はない。コンビが出来るのは、平均十年掛かる。儂と婆さんが最短記録の三年を保持しとるがのぉ・・・・・・」
うーん、もしや俺の話では? となると、俺とアリスがコンビを組むって事なのか? ってゆうか何気に惚気入れてんな。
「でもねぇ」
「・・・・・・」
渋るような様子の二人に、ガイトが少しばかり憂鬱げに表情を暗くする。
話の大筋が未だに分からないままだが、一応そろそろ参加すべきかと思うので、ヤマトはガイトに尋ねる。
「なぁ、爺ちゃん。それって、もしやとは思うけど、俺とアリスの話か?」
突然割り込んできたヤマトに、ガイトは呆れを通り越して感心する。
「ふむ・・・・・・そのような事、何時言ったのかな? まあ、当たりだからいいんじゃけど。
しかしのぉ、ヤマトや。余り積極的に首を突っ込むでないぞ。昨晩の件も、お主の話を聞く限り戦闘は回避できたはずじゃ。それとも、お主には戦闘の経験を積む必要があるのか?」
うぐっ・・・・・・流石爺ちゃん、痛い所を突いて来るぜ!
「いや、だけどさ爺ちゃん。余りそう巧妙に話の焦点をすり替えんなよ。確かに昨晩の件はそれなりに辛いけれど、俺は後悔してない。何時かは俺が先陣切って戦う時が来るかもしれない。その時の事を考えると、今の恵まれ過ぎた状況がかなり不安に思えてくるんだ」
紛れもない本音。ゆとりある生活は、何時までも続くわけではない。やがて、新たな嵐が来た時に、それを真っ向から吹き飛ばせないのは自他共に心許ない。
「俺は、爺ちゃんや婆ちゃんのような聖戦を乗り越えた猛者じゃない。それなりの才能はあっても、今回のように強者に敗れただけの、唯の弱者のまま、終わるのは嫌なんだ」
言葉を一言一言、紡いでいく。
別段、戦いを好む性格はしていないのだ。だが、戦わなければ気が済まない事態で、己の未熟さ故に何も出来無い。そんな思いはしたくない。
誰に求められる必要もない。自己満足で可決するだけの考えに、自己満足さえ存在しない事は許せなかった。
「ふむ・・・・・・」
ガイトは目を閉じて、深い迷いに身を委ねる。
(果たして、向かわせるべきか。
今向かわせれば、最悪の事態は免れるかもしれない。だが、また背負わせてもいいものか。結局は、苦しむ。自己満足だけではきっと、やっていけないだろう。誰かの命を背負えば、本当の意味でそれは、責任になる。責任は緊張を呼び、緊張は思考を鈍らせ、思考に想像以上の負荷を掛ける。その中で、果たして到来する闇を払えるのか。
最愛の孫だ。決して渦中の存在にはしたくない。だが、同じように息子も、渦中に身を委ねる事を決意した。儂と婆さんだけで結末を迎えるつもりだったのに、息子は救うといった。だが、それに孫まで・・・・・・。
酷く、厳しいのぅ。現実って奴は)
やがて目を開き、その眼光に鋭敏な圧力が宿る。
見た者に、絶望的な力量差を錯覚させる、極致の威光。
その視線に射抜かれたガイトの孫は、僅かたりとも身動ぎしない。その意思は強固に、強靭なモノとして既に確立されている。
ヤマトの視線には、微塵たりとも敵意はない。だがしかし、遥かな昔、唯一存在したものと酷似した、意思に身を委ねた者の決意が、今や伝説上の存在となったガイトを射抜いた。
「分かった。ヤマトや、お主の意思は十分に理解した」
唯の睨み合い。それだけで、何度も視線をくぐり抜けて来た歴戦の猛者を打ち破った。
(それ程までに、悲観するのか)
喜びよりも、己の不甲斐なさを言及したい。己が不甲斐ないばかりに、親子二代に渡って救われる羽目になるのだ。伝説も、やがて移り変わるだろう。
だが、今はその時ではない。この命尽きる時、伝説は委託される。それまでは、耐え続けなければいけない。
そう己を鼓舞し、決意を固くする様こそ、嘗ての『炎神』を彷彿とさせる。
「爺ちゃん、一体何を」
嘗て見ぬ祖父の決意に、その場の誰もが怪訝な感情を抱く。そんな中、行動力に関しては前世と全く変わりないヤマトは口を開く。
そんなヤマトに、ガイトは微笑を隠しきれない。
「お主は決して、恐れぬのじゃったな。全く、良く出来た可愛らしい孫よ。だからこそ、儂もそろそろ可愛い子を手放す時やも知れぬ。
婆さん、ミヤコちゃん。心配する気持ちは分かるが、時は来た。ヤマトとアリスちゃんに、託す時が」
「?」
その言葉の意味は理解できないが、ヤマト以外の者にとって、それが多大な意味を持つ事は明らかだった。
「義父様・・・・・・分かりました。私は、良いでしょう。認めます」
「はあ、全く、ミヤちゃんがそう言うなら仕方ない。私も全力でサポートしようじゃないか」
二人が何に納得して、これから何が起こると言うのだろうか。とは言っても、どちらにせよ巻き込まれる事確定な感じだし、観念するまでもなく歓迎するとしよう。
「ああ、頼む。
ヤマト、急で悪いのじゃが、これからお主には傷が治り次第ある場所に行って貰う。アリスちゃんと二人でのう」
はい?
「別にお主が責任を取れるならアリスちゃんに欲望をぶつけても構わん。それは既に了承済みじゃ。しかし、此度の目的は・・・・・・」
「いやいやちょっと待って、何で二人? いやそれ以前に了承済みって、何! ドユコト?」
慌てて話に割って入るが、もう既に時遅し。
「いいから黙って聞くのじゃ。此度の目的は、お主にあった武器の入手とするが、それは建前じゃ。あくまで、お主に実戦経験をより多く積んで貰う事にある。
その中でアリスちゃんとアレやコレやが起きても構わん。しかし、それはあくまで二の次じゃ。それを忘れるなよ」
爺ちゃん・・・・・・。
「いや、二の次どころか三、四ぐらいの優先度だよ、リア充って。っていうか何? 実戦が絡むの、それって」
「ああ。向かう先は『侵犯の森』。ここより百二十キロ先にある、大規模審域じゃ」
「審域・・・・・・それなら、俺一人の方が」
「駄目じゃ。いざという時、アリスちゃんの治療魔術はお主を救う。じゃから、拒むでない」
「だけど」
「大丈夫。今更コミュ症を気にしてどうするのじゃ。アリスちゃんはその事も知っている。気にせんでいい」
なん・・・・・・だとっ!
「・・・・・・爺ちゃんの意地悪っ! そんな、そんな事ーっ」
一気に羞恥心がこみ上げて来たヤマトは、枕なりなんなり、手当たり次第にガイトへと投げつける。
「なっ、ヤ、ヤマト! 爺ちゃん泣いちゃうぞ! 機嫌直してくれんと、爺ちゃん泣くぞ!」
そんな孫の本気の拒絶に、生きる伝説が涙目に抗弁するも、決して伝説の孫に思いは届かず、あえなく撃墜。
「知らないよ! ふんだ、もう知らない!」
敬老心をかなぐり捨て、己を無慈悲に(?)切り捨てたガイトを今度はヤマトが切り捨てる。
「爺さん、もうっ、何やってるんだい! ああ、ヤマト、無理して行かなくても」
「ええ、義父様! ヤマトを苛める様な事はお辞め下さい!」
「儂はぁ、そんなつもりじゃ」
女性陣がヤマトの反応に過剰も生ぬるいレベルでガイトを責め立て、誰も味方がいなくなったガイトは唯一人、涙目で家族に説教を繰り返される。
そんな、ヤマト溺愛家族の一幕は、嵐の前の、ほんのひと時の、安らぎであった。