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部員

「やっと見つけた」


 そう言って情報書準備室に入ってきたのは体操服姿の男子生徒だった。いかにも部活のあとという様子で、頬にはまだ汗が流れている。


「畑井からですか?」

「そうそう。あいつは強引で困るな。部活動のあと帰ろうとしてるところ。行ってくれ行ってくれとうるさかった」


「それはすいません」


 僕は申し訳なく思い、頭を下げた。


 男子生徒は「いいよいいよ」、と片手を上げてみせた。四人目の語り手は自己紹介をすることはなく「さて、じゃー聞いてもらおうかな。バトミントン部に伝わる話を」、と言った。







「すっかり遅くなってしまったな」


 まだ日の長い八月とは言え、二十時にもなれば夜の帳が下りている。グランウンドで練習していた野球部や陸上部は帰宅したらしくグラウンドの照明は落とされ、部室棟から自転車置き場までの道は僅かな街灯だけで照らされている。


 そこに四つの影が伸びている。


「部長が張り切りすぎなんですよ。大会が近いっていってもまだ二週間ありますよ」


 一年の黒田が口を尖らせて不平を言う。彼はバトミントン部期待のホープであるのだが、素地の良さに甘えて天狗になる傾向があった。それでも勢いに乗った時の勝負強さは部内でもトップレベルだった。


「黒田。二週間なんてあっという間だよ。いま練習しておかないと」


 同じ一年の今福が黒田をたしなめるのだが、「俺に勝ってから言えよな」、と言って黒田は取り合わなかった。今福は黒田よりも身長が小さく、瞬発力も劣っている。だが、部内の誰よりも粘り強い集中力の持ち主である。すぐに集中力が切れてしまう黒田にはない美点であり、部長である中野は今福の成長を期待していた。


「まぁ、確かに今日は遅くなりすぎた。夏休み中の体育館の使用は十九時半までだから明日は気を付けよう」


 ラケットバックを二つ肩にかけた副部長の吹上が真面目くさった声を上げる。理論重視の吹上はフォームにしても道具にしてもこだわりが強い。部長の中野が万事大らかであるため、ミーティングの進行などは吹上の担当であった。


「すまん。時計を気にしてなかった」


 中野は片目を閉じて吹上に謝る。吹上の立っていた位置からは逆光になっており、中野のウィンクは見えなかった。吹上は大きくため息をつくと「今日はガットも切れるしいいことがないな。この時間では阿部スポーツは閉店してるだろうし」、と困った声を出した。


 彼らの住む四乃山市は、市町村合併によって市という体裁を整えているが人口減少に喘ぐ地方都市である。大型のスポーツ店はなく、競技人口の少ないバトミントンの道具ともなれば限られた個人商店でしか取り扱いがない。


「もう一本あるだろ?」

「こっちはトップの重さが合わないのか、テイクバックが遅れる気がする」


 肩に下げたラケットバックを揺すり、吹上が首をかしげる。


「吹上先輩は気にしすぎなんですよ。俺なら弘法筆を選ばず。バンバン打ってみせますよ」

「おい、黒田!」


 黒田がラケットを振る真似をして腕を大きく振り回す。今福がそれを止めようとするが、黒田は笑うばかりで聞く様子はない。


「道具を笑う者は道具に泣くぞ。いくら弘法筆を選ばず、といっても僕らは弘法ほどの腕がない。腕で足りないものを補うのが道具だ。黒田はもう少し道具を大切にしろ」


 真面目くさった声で吹上が苦言を呈するが黒田は、「へーい、わかりましたー」と言ってまるで馬に念仏であった。


 四人が駐輪所の傍まできたところで、「ちょっと待っててもらっていいですか?」、と黒田が急に神妙な口調で言った。何事かと思い三人が黒田の方を見る。


「ええ、ちょっとトイレに行きたいんですけど!」


 黒田は腹を片手で押さえると、残りの手で駐輪所脇に作られた公衆トイレを指差した。築四十年を越える四乃山高校と同じ年に作られたこのトイレは、見るからに古く。いかにも出そうな雰囲気があった。生徒のなかでは校内心霊スポットとして話題に出ることも多い。


「トイレくらい一人でいけ。高校生にもなって」

「ええー、部長は冷たいな。連れションしましょうよ!」


 黒田がすがりつくが、中野は「一人でいけ」と黒田の背中を押してトイレの方へ押しのけた。


「じゃー、今福。行こうよ。なっ! なっ!」

「めんどくさいな。黒田は」


 そう言いながらもついて行ってやるあたり今福は優しいと中野は二人の一年を微笑ましく思った。その間もトイレの中からは、


「今福! 俺、大きいほうだからいてよね! 絶対だよ!」

「わかったから。早くしてよ」

「もうちょい! もうちょっと!」


 と、言う声が響いている。


「アホだな。黒田は」

「中野も一年の時はあんな感じだった」


 吹上は呆れるような声で言った。そう言われるとそうであった気もしてきて中野はバツが悪くなった。


「俺もちょっと行ってくるわ」


 中野は吹上から逃げるようにトイレに入ると、今福が手持ち無沙汰な顔で洗面台の前で立っていた。トイレは小便器が三つと大便器が二つ。粗末な木の壁で仕切られている。確かに怪談話になりそうなボロさと汚さである。


「先輩もですか?」

「ああ、帰る前に行っておこうと思ってな」


 そう言って大きいほうに入ると黒田が「嫌がってた割には来るんじゃないですか」と声をあげた。トイレ独特の反響で隣から声なのだろうがどちらの方向からの声か判らなかった。


「うるさい。お前が遅いからだよ」

「俺のせいにするんですか」

「それ以外ないだろ」


 なんという会話をしていると、電子音が響いた。携帯電話の着信音である。


「あっ、母さん。……いま部活終わったところ。えっ、……そう」


 携帯の持ち主は今福のようだった。どうやら帰りの遅い息子を心配した親からのようだ。会話を聞かれるのが恥ずかしかったのか、今福は話しながらトイレから出て行った。今福の声が聞こえなくなると、隣の個室から水を流す音が聞こえた。


「部長! お先です」

「とっとといけ」


 扉を騒がしく開閉させると、黒田がトイレから出て行った。全く騒がしいやつだと思い中野が、ため息をついていると誰かがトイレに入ってくる気配がした。そして、再び隣の個室を開閉する音が聞こえた。


 吹上がはいってきたのだろうが、あいつは個室越しに会話をするようなタイプではないと思い、中野は声をかけなかった。


 残りの用事を済ませて中野が個室から出ると、まだ隣の個室の鍵はかかっていなかった。

 おかしいな、と中野が首をかしげると扉が急に開かれた。


「わっ!」


 扉から大声を上げて出てきたのは黒田だった。中野は驚いて尻餅を付いた。


「やっぱり部長も怖いんじゃないですか」


 ニヤニヤと黒田は笑うと、「一旦出たふりをして部長が出てくるのを待ってたんですよ」、と自慢げに言った。中野は尻餅をついて汚れた手で、黒田に拳骨を食らわせると洗面台で念入りに手を洗った。後ろでは、黒田が「痛いなー」と大げさに唸っていたが鏡に映る姿を見る限り平気そうであった。


「バカやってるからだよ」

「それでも殴るのはいけないでしょ」

「はいはい」


 中野は両手をハンカチで振り返ると、後ろの個室の扉の一つに鍵がかかっていた。鏡越しに後ろを通った者はいなかった。


「誰か入ったか?」

「いえ、誰も?」


 状況を察知していない黒田が妙に明るい声で答えた。トイレの外からは事情を知らない吹上と今福の話し声が聞こえるが、中野は知らない三人を羨ましく思った。





 男子生徒が話し終えると時間は十九時だった。


「ありがとうございます」

「参考になったか?」

「ええ、とても」


 これまで聞いてきた話の中で一番、この話がベタな怪談だと、僕は思った。とはいえ、これは目の前の男子生徒にいうべきものではない。この話と同じで知らないままという方がいいこともあるのだ。


「じゃー、俺は行くわ」


 そう言って男子生徒が扉に手をかけるた瞬間、扉が開いた。僕たちは驚いて半歩仰け反った。


「何驚いてるのよ? あれ、黒田君じゃない。あなたも畑井から依頼された口なの?」


 呆然とする僕たちをよそに入ってきたのは極端なミニスカートにオレンジメッシュの頭をした女生徒だった。


「あー、びっくりした。網掛あみかけか。脅かすなよ」


 男子生徒はこの網掛という女生徒と知り合いらしい。


「なに? 肝が小さいんじゃないの? まぁ、いいわ。私も話を持ってきたわ。聞きなさい」

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― 新着の感想 ―
[一言] 語り手が中野じゃなくて黒田だったのはなぜ。 疑問のまま終わらせた方がいい感じですか?
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