はじまりの月
「なんや、遠方。こんな時間まで何残ってんねん」
ノックもなしに情報処理準備室に現れたのは天文学部の部長である畑井だった。僕は畑井に言われて初めてすでに時刻が十九時をまわっていることに気づいた。
「ああ、次の校内新聞の記事が決まらなくてな」
「夏休みまで、あと二週間もないやろ。新聞なんてださんでもええんちゃうか?」
呆れたとでも言うような顔で畑井は僕を見た。僕自身も一学期の期末試験が終わったあとくらいはゆっくりしたかった。だが、校内新聞はひと月一回のペースをで発行することになっている。それをサボったりすれば来年度の部活動の予算に響きかねない。
「新聞部の部長は真面目やな」
「そっちはいいな。天体観測してれば部活動してることになるのだから」
僕が皮肉を言うと「それやったらお前もはいるか? 部員足らんくて困っとるねん」、と畑井は歯を見せて笑った。確かに僕の新聞部も彼の天文学部も同じマイナー文化部で部員不足に喘いでいる。そのうえ、部室が生物教室や物理室などの移動教室ばかりが入っている特別棟の四階にあるため、放課後に訪れるものは皆無に等しい。
「お前こそ、こっちに入れよ」
「ヤダよ。新聞部なんて堅苦しいてあかんわ」
片手をひらひらと振り畑井が拒絶を表す。彼の天文部この特別棟の四階よりも上の屋上にある。そこには県内屈指の天体望遠鏡があるのだが一年前に故障して以来、修理のめどは立っていないらしい。
「お前は帰らないのか?」
「俺は今から部活動や。夜の学校で天体観測。燃えるシュチュエーションやろ」
「部員が一人じゃなければな」
いま、天文学部は部員数一名である。今年、廃部になる可能性がもっとも高い部活の一つである。それに続くのは僕の新聞部でありこちらは二名しかいない。その上、もうひとりは滅多に来ない。崖っぷちなのである。
「そういうなや。夜の学校を独り占めというのは結構ええもんやで」
「そうかねぇ?」
僕は首をひねってみせる。夜の学校なんて不気味で僕は嫌だ。そもそも、怪談とかそういうものは苦手なのだ。幽霊がいない、とは思っている。だが、絶対にいない。幽霊の正体は枯れ尾花かプラズマだ、と言い切ることには多少抵抗があるのだ。
「そうや。次の校内新聞は七不思議でどないや? 四乃山高校七不思議に迫る! とか夏っぽくてええやんか」
「七不思議って言うけど。四乃山高校にそんなふしぎあるのか?」
「うちは創立百二十年の老舗高校やで。絶対あるやろ」
確かに四乃山高校の歴史は長い。県内でも一、二を争うくらいに伝統のある高校だが、七不思議何ぞ聞いた覚えがない。畑井はあると信じ込んでいるようだが、本当かは調べてみないとわからない。
「まぁ、仕方ないか。時間もないし、それで行こう。では畑井。なにか七不思議を教えてくれ」
「いきなり、俺かいな。そうやなぁ……。遠方、ちょっと屋上までつきあえや」
少し思案した後に、畑井は僕を屋上に誘った。僕たちにいる特別棟は校舎の中でも最も南側にあり、正面に体育館が見えた。北側にはクラス棟が並んでいるが、さすがにこの時間になれば誰もない。クラス棟の背後には高校の名前にもなっている四乃山がそびえている。
「おお。流石に天体観測する日は月が綺麗だな」
四乃山の真上に満月が静かに冷たい光を放っている。海外では満月をブルームーンというらしいが僕の目には淡い黄色に見えた。
「遠方。太陽や月ってどう動くか知っとるか?」
「知っているさ。東から登って西に沈む。中学の理科でやったことじゃないか。いくら僕が文系といえどもそこまでアホじゃない」
「いや、お前はあほや」
畑井は月を背にニヤリと笑った。
「四乃山がある方角がどっちかゆうてみい」
「そりゃ、北だ」
「やっぱりあほやな。月も太陽も出てくるんは北半球じゃ南の空や。それやのになんで北の空に月が出るねん」
言われてみればそうである。月も太陽も東から登って南の空を通って西に沈む。だが、いま僕の目の前では四乃山の上に満月が登っている。四乃山は高校の北側である。登るはずもない月だ。
「あれはなんだ?」
「わからん。わからんけどあれは登るねん。それにな、お前。天体観測っていうのは月よりももっと暗い星を見るんやぞ。満月の日にやるかいな。新月の日にやるんや」
「……でも、現にあそこに浮いてるじゃないか」
僕が月を指差すと、畑井が「足元をよくみてみいや」と足元を指差した。足元はコンクリートタイルが敷き詰められており、特に変わった様子はない。月と地面になにか関係があるのだろうか。
「変なところはないじゃないか」
「お前、ほんまあほやな。こんだけ満月が明るかったら影が出来るんちゃうか?」
「あっ!」
驚いた拍子に声が出てしまった。確かに満月の日には影ができる。なのにいまは影ができていない。あんなに明るく輝いているというのにである。僕は狐に化かされているのかとおもい、頬をつねったが何も変化はなかった。
「これが、天文学部に伝わる。よけいな月や。あと、六つ不思議な話集めてみたらどうや」
こうして、僕は一学期最後の校内新聞の特集を七不思議と決めた。幸いにも畑井が不思議な話を知ってそうなやつに声をかけといたるわ、と言ってくれたので僕は明日から部室で、それらの人々を待つことになった。