〈33〉
一方、シャルロットは
シャルロットは地下を出て、老人に招かれた部屋で待っていた年老いた侍女に服を着替えさせられた
「出来れば、風呂に入れてあげたかったのですが時間がないのでご容赦ください」
「……」
「では、行きましょう」
手際よく着せられたものは侍女の服だった
何も言わず、なされるがままのシャルロットにダートンは苦言の一つも溢さない
彼は幼き主の最後の命、なにがなんでも完遂するつもりでいる
ダートンはシャルロットを引き連れて堂々と歩く
城の者はほとんど、シャルロットの顔を知らないのだ
声を掛けられても、新しく入った小間使いと言って茶を濁す
地下で監視をしていた衛兵もシャルロットの顔は暗くてよく見えていなかった
というより、ソニアにばかり注目してそばにいたシャルロットの存在など気にも留めていない
いちいち騒がしいロキと、口を開けば毒を吐くソニアのおかげといえる
「門を出ましたら馬車に乗ります」
門番はダートンを敬礼で見送っていた
シャルロットを着替えさせた侍女もこの門番も外で待つ御者もダートンの協力者だ
そして、ロキに恩義があったり、特別好ましく思っている者達だ
ロキを逃がすために処刑も覚悟でここにいる
ダートンがロキを連れていないのを見て、彼等は一様に、
「ああ、やっぱり」
と悲し気に納得の表情を浮かべていた
ロキ・エー・グランツは逃げないと彼等は初めからわかっていたのだ
わかっていながら行動せずにはいられなかった
王がいくら子を贔屓しているからといって、戦争が始まってしまえばロキを消耗品の人間爆弾にするのは避けられないのだから
だが、全くの無意味ではなかった
幼い少女の命を救えるのだから
仕えるべき主に託されたのだから
彼等は誇りを持って全力でシャルロットをグランツより脱出させる
シャルロットは何もわからぬまま歩く
ソニアの影を探しながら
自分がいつ、この親切にしてくれた老人を焼き殺さないか怯えながら
何も言わず歩く
馬車は誰にも止められることなく静かに動き出す
その少し、後に乾いた音が城に響いた
※ ※ ※
シャルロットはソニアと離れてから初めての安堵を見せていた
対するダートンと御者の顔色は悪い
「あれはなんでしょうッ!?」
「分かりませんが捕まれば終わりというのは確かですねッ!」
「ソニ……!」
「ソニ……?ソニア・フォン・カインベルク……!しかし、魔力を封じられていたはず……!」
だが、現実として氷の侵食が馬車に迫ってきていた
見慣れた景色が氷に覆われていく
逃げ遅れた人々は恐怖と困惑に顔を歪ませて、やがてもの言わぬ氷像と化した
あれは災害だ
人間がどうこうできる領分を越している
街は混乱し、人で溢れかえっている
馬車の前に躍り出る者も少なくない
だからといって、馬を止めれば馬車はオブジェの一つになることは確実だ
自分達だけならグランツの終わりだと素直に受け入れよう
だが、主に託された子供がいる
この子を逃す
命に代えても
命を見捨てたとしても
命を奪ったとしても
御者は馬車の速度を緩めない
幸い、混乱していても馬車を避けるくらいの理性は残っているようでまだ誰も跳ね飛ばしていない
助けを呼ぶ声を振り切ってダートン達はグランツを駆け抜ける
少女を逃がしてくれと命じた主の事を想いながら
地獄は恐ろしい速度でグランツを呑み込んでいく
※ ※ ※
あと、一歩だった
あと、一歩というところで馬車は死に追いつかれた
グランツの外はもう目の前だというのに
そもそも、この死の奔流がグランツだけで留まるかも分からない
それでもとダートンはシャルロットを抱えて飛び出す
古い友人である御者は間に合わなかった
彼の目には恐怖はなく結末を見守るようにその氷像は前だけを見ていた
人の走る速度では氷から逃れられない
理解しているが足掻こうとダートンは走ろうと足を進める
しかし、力を込めた途端に足が砕けた
氷はダートンを捕えていた
「……ッツ!」
転ぶとき、少しでも前へと跳んだ
少しでも前へ
シャルロットを投げ出した
少し、怪我を負うかもしれないが、命までは落とすまい
許してほしいと心の中で謝罪しながら、己の最期を受け入れた
受け入れて、その最期はいつまで経っても来なかった
そこでやっとダートンは後ろを見た
グランツは氷で完全に覆われていた
自身は足の付け根がなく、肩より下が凍って、そこで止まっていた
どうやら災害から逃げ切ることに成功したらしい
とはいっても、すでにダートンは首より下が自分ではないように感じていた
感触はもうない
当たり前だ
凍っているのだから
芯まで凍っている
もう長くはない
何故、まだ生きているかの方が不思議だ
使命は果たした
同僚達も待っているだろう
すぐにそちらにいくと、ダートンは目を閉じた
「……」
ダートンの最期をシャルロットだけが見届けた
最期まで老人と一言も交わすことはなかった
ソニアの起こした惨劇を見たシャルロットは何を思ったか
恐怖か
或いは安堵か
※ ※ ※
アルルカンを名乗る男もまた安全な場所からグランツの終わりを見届けていた
「自分が仕向けた事とは言え、これがグランツの末路ですか」
本来の予定では炎に包まれる終末と彼は雇い主から聞いていた
予定と現実の結果が違っているが、魔法で滅ぶならどちらでも構わないらしい
グランツの王は、賢しく気高き個人だった
アルルカンは仮面の下で、本心を見透かされているのではないかと戦々恐々としていたものだ
個人的には好ましい人物だったが、雇い主が排除するというのなら従う他ない
故に、細工を施した
王の子息、ロキは魔力持ちでありながら、『魔力封じ』の枷を嵌められていなかった
所詮、親は我が子が可愛くて仕方ないのだ
平等を謳いながら、子は特別扱いだ
グランツの王がソニアを処刑する前日の夜
寝静まった頃を見計らい、用心に睡眠薬を地下に散布してからソニアの牢に侵入した
ロキとソニアの枷を入れ替え、魔力の戻ったソニアにアルルカンの調合した魔力を抑える薬を飲ませる
空気中から摂取するものでは効果時間が短いのだが、直接投与すれば半日は効果が持続する
アルルカンの仕事はここまで、後は雇い主がタイミングを全て調整した
現場に立ち会っていないアルルカンの知らぬことだが、グランツが滅びた以上、雇い主は完璧に計画をこなしたということ
「これで死ぬならそれもまた一興。死ななかったとしても魔力の大半を失う、ですか。……たったそれだけのために、無駄に、無為に、命を地獄に落とすか」
直接、無辜の人々を葬ったのはソニア・フォン・カインベルクだが、間接的に彼等を殺害させたアルルカンの罪は同様に償いきれないほど重い
後悔はない
感傷に浸る資格も自分にはもうあるまい
私利私欲のために彼は道化にでも悪魔にでもなると決めたのだ
雇い主との『契約』を成立させ、胸に抱くたった一つの悲願を叶えるその日まで