エレノアの別れ
コールとエレノアが向かい合ったのは、旅立つ前に話しをした、あの場所だった。
コールが二人で話しをと望み、エレノアがそれならと場所を指定した。
コールはコーヒーを頼んだ。
初めにお決まりの家族の様子を尋ね合い、母の体調がよくなったことを伝える。
「隣国の治療法が効きましたの」
「ああ、それで・・・」
当たり障りない部分だけを告げたエレノアだったが、その言葉にコールは彼女が外遊の同行を望んだ背景を見つけたらしく、はっとした顔をした。
話題はそこから当然のように、王女を襲った侯爵の謀反のことへ移る。
「王女は、無事政敵を倒したそうだね」
「ええ」
「噂では王子の外遊も、王女の打った手だったとか」
まだどこまで公にされるのか分からないため、エレノアは曖昧に微笑んだ。
しかしすぐに、コールはため息をついた。
「・・・王子の外遊について行くと聞いたとき、僕は君を信じ切れず疑った。ごめん」
この言葉は、ファレルに情報操作の話を聞いた時点で予想がついていた。腕輪のことも誤解したままであれば、コールには、アイリーンと仲違いしたエレノアが恋仲になりつつある第二王子に拾われたと、そう映ったことだろう。
今日はむしろこの話しをするために会うのだろうと思ってきたエレノアだ。そのため、取り乱さずに答えることができた。
「いいえ、私こそ信じてもらう努力が足りなかったのです」
きちんとこう答えて、それから出来れば、これからはもっと努力をしたいことを伝えて、とそう思っていた。
エレノアが次の言葉を探している間に、コールがカップから手を離して顔を上げた。
彼の薄い青い色の目に、エレノアが映った。
コールが先に口を開いた。
「他に好きな人ができたんだ」
エレノアの手の中で、紅茶が急に温度をなくした。
コールの口は無情に言葉を紡ぎ続ける。
「婚約を解消してほしい。君には本当に悪いと思っているけど・・・君には、僕より相応しい相手がいると思う」
これが、婚約者からの最後を告げる言葉だった。
硬直したエレノアの中で、じわじわと痛みや悲しみが広がっていく。
他にとはどういうことなのか。
何を解消すると言ったのか。
頭が理解を拒否しているようで、うまく言葉を処理できない。それでも無理に飲み込めば、何故かそれは血の味がして、噛みしめた唇の裏が切れたことを知る。
好きな人とは誰、と聞きたかった。
相応しい人とは誰、と問い質したかった。
けれど、結局言えなかった。確かに待たせたのはエレノアで、もう待ちくたびれた彼は、別の人を愛することにしたのだろうから。噂でしか知らないコールの従姉妹のことが頭をかすめた。
何もなければ、二人穏やかに、お互いに歩み寄りながら、いい夫婦になれたような気がする。
けれど、現実にはいろいろな波風を受けずにいられなかったし、そのとき二人は、互いに合わせることに疲れてしまった。
エレノアは自分の前の、琥珀色の液体を見下ろした。
お茶が好きなエレノアと、コーヒーが好きなコールと。
エレノアのために踊ることと、コールのために低い靴を履くことと。
流行の店が好きなコールと、流行に疎いエレノアと。
コールのために綺麗になろうとしたエレノアと、エレノアに変わって欲しくなかったのかもしれないコールと。
穏やかに、ささやかに生きたいコールと、王宮で守りたい人のいるエレノアと。
道が分かれていくことに、何となくだがエレノアも気付いていた。
それでも、そのときどきで自分の目の前の問題を優先したは自分だ。
その問題を彼にさらけ出せなかったのも自分だ。
エレノアは、コールの前では特に立派な淑女でありたい、恥ずかしい姿を見せたくないと思ってきたが、それも間違いだったのかもしれない。
この結末は、コールが告げたが、エレノア自身も選んできたものだ。
それが分かっていたから、エレノアは無理矢理自分を奮い立たせた。
そして血の味の残る唇を動かし、静かに微笑んだ。
「わかりましたわ。あなたがそうおっしゃるのなら、無意味な契約で互いを縛るべきではありませんわね。今後のことは父を通して相談してくださいませ」
こうなってすら、エレノアには彼の前で泣き崩れることすらできなかった。
胸は酷く痛いのに、淑女らしく微笑んで、目はやや伏せて。
そんな彼女にコールの顔には切ない微笑が浮かんだ。
「君には、大切なものがたくさんあると思う・・・僕がいなくても」
婚約中に他の人間を好きになったなど、謝るべきことを言っているのはコールの方だ。その上自分が居なくてもいいだろうなど、本来ならありえない言い分だ。しかしエレノアは、
「あなたを一番大切にするべきでしたのに、そうできなくてごめんなさい」
と謝った。
それはコールが切ない顔をしたからだ。こうなるまでに、どれだけそんな思いをさせただろうと、そう思ったからだった。
コールは謝ったエレノアに、一瞬胸をつかれたような顔をし、言葉を失った。それから彼は自分のカップに目を落とし、呟くように言った。
「・・・いや。僕こそ、ごめん。僕にもっと自信があって・・・もっと、君を守る力があればよかったのだけれど」
恐らく彼の頭には、デビューの夜のことやヘンリー・イングラムのことが回っていたのだろう。だからエレノアは首を振った。
「そんなこと。たくさん、振り回してしまって」
言い合って、自分たちの会話が全て過去形であることにエレノアは気付いた。
気持ちの中では、どこかで自分も終わりを迎えることを知っていたのだと。それでも、胸はこんなに痛いけれど。
婚約解消の正式な話は、双方の当主を通して行うことになる。コールの申し出にエレノアが頷いたことで、二人がすべき会話は終わりだった。
別れ際、コールが不意にこう言った。
「君の目、紫だったんだね」
わずかに笑ったエレノアだったが、彼女もまた思っていた。コールの目は、水色だったのだと。
とうとうこの日が来てしまいました。
エレノアの紫の目を落ち着いた青と言ったコールと、彼の水色の目を青と言ったエレノアの恋が終わりを告げました。




