エレノアの感謝
「アイリーン様がご無事で本当によかった」
王都へ上る馬車の中、話題は主に王宮のことだった。
「偽の海賊騒ぎから始まって侯爵に自ら剣をとらせるところまで、ほぼ彼女の筋書き通りに進んだようだよ。大した人だね」
ハロルドが手放しに人を誉めるのは珍しく、エレノアは驚きつつも喜びに頬を緩ませた。大事なアイリーンをハロルドに認められるのはとても嬉しい。
「そうでしょう。さすがアイリーン様」
ハロルドはそんなエレノアに苦笑した。
四人乗りの馬車は、侍女もいないため二人だけを乗せて軽々と走っていく。エレノアは隣に座った彼の、窓枠に置かれた白い手を見た。就職して学生時代のように剣の練習をすることはなくなっても、その手に実はペンだこや細かい傷などがあることをエレノアは知っている。
それに、今回も。
「ハロルドのおかげね」
エレノアの呟きは決して大きくはなかったが、彼は聞き逃さなかった。
「お母様とシンシアを助けることができたのは、ハロルドのおかげ。本当に、ありがとう」
彼は心底驚いた顔をした。
「何言っているの。全部エレノアがやったことでしょ」
エレノアは首を振る。
「違うわ。森が怪しいと調べてくれたのも、闇の精霊と交渉してくれたのも、ハロルドよ」
その上翌日のうちに再度精霊と会い、契約内容を細かく確認までした彼である。新たに結ばれた契約では、ガーラント家に生まれた子どもは10才になる年の秋に森に入り、闇の精霊に魔力を捧げることになった。ハロルドは、その際子どもがガーラントの体質を受け継いでおらず十分な魔力をため込んでいなくても、決して命をとらないことを約束させ、反対に精霊は30年経っても次の子どもが現れない場合には契約が終わったものとすると告げた。
もちろん長年母を支えてくれたのは父ウィリアムだし、シンシアも使用人から情報を集めたり母の側にいたりと頑張ってくれた。それでも、ハロルドがいなければ今こうして笑っていることはできなかっただろうとエレノアは思っていた。
しかしハロルドは頑固だった。
「エレノアが治癒魔法で時間をつくって、精霊のことを調べてきたんだ」
「それでも、ハロルドがいてくれなかったらそれを伝えることすらできなかった」
水鏡など他の誰でもできる、と彼は言ったが、実際やってくれたのはハロルドだ。それに家族以外の誰が水鏡の向こうにいたとしても、焦りに押しつぶされそうなエレノアを宥められはしなかっただろう。同じ目的のため同じ思いで動いてくれるハロルドがいたから、耐えられたのだ。
「その上アイリーン様を守るためにも戦ってくれていたのよね。お疲れ様、それに、ありがとう」
こちらの件は自分が礼を言うのはおこがましい気がしながらも、それでも感謝が口から出た。
「どういたしまして」
ハロルドの目がかすかに笑う。
「でも、これは俺個人のためでもあったから」
意味深に言うハロルドにエレノアはどういう意味かと尋ねたが、彼は久々に見せる意地悪な笑顔で、
「教えない」
と言った。
そのため残りの道中は若干エレノアの頬がふくらんだ。
しかしハロルドがそれすら楽しむように頬杖をついて笑っていたので、エレノアも途中でふくれていることに飽きてしまった。
それに、随分とリラックスした彼を見て、こうした様子を屋敷の中でも見せるようになったのだから変わったものだ、と感慨深く思ったのだ。ハロルドもようやくガーラント家を自分の居場所だと、家族だと思えるようになったのだろうと、エレノアは考えていた。
王都への道は空いていた。
未だ王宮の大事件のせいで、許可証をもつ限られた人間しか王都へ出入りできないのだ。しかしハロルドが早急に王都に戻れるようにと王女と上司にもらった許可証をもっていたため、同行のエレノアも王都へ戻ることができた。
そんな状況でよく帰郷できたと驚けば、彼はこう言った。
「イングラム様が、さっさと行って解決して戻って来いと言ってくださったんだ」
まだ後始末の続く王宮で、若輩とはいえ戦力であるハロルドだ。裏でそのようなことがあったのを知り、エレノアは胸が温かくなるのを感じた。ハロルドによれば伯爵はエレノアを大事な孫だと思ってくれているらしい。数年前までは存在すら知らなかった祖父だが、イングラム伯爵を祖父だと思ってもいいと知り、エレノアはうれしかった。しかし一方ではそんな忙しいときに仕事を抜けさせてしまったハロルドが気にかかる。
そうしたわけで、馬車は途中の休憩も最小限馬のためだけに留め、急ぎ王都へと戻った。
ハロルドが急いで王都に帰らねばならないのは仕事の都合だが、エレノアの方はすぐに職場に向かわねばならないわけではない。
第二王子の一行は交渉を続けているらしくまだ外遊から戻っていないし、正式にファレルから異動を伝えられなければ勝手にアイリーンのもとへ戻ることもできない。ただ、外遊途中に帰された身の上であることから、呼び出されればすぐに王宮へ参ずることができるよう、王都の屋敷に待機しようというのである。
王都の屋敷につくと、侍女から着替えだけ受け取ってハロルドは慌ただしく王宮へ向かった。
エレノアはそれをアン達と一緒に見送った。
結果的にエレノアはこの後7日も自宅待機となるのだが、それも結論から言えば必要な7日だったと言える。
自宅待機の2日目、エレノアはコールと会うことになった。




