エレノアの家族
その夜以来、母の身体は徐々に回復した。
まだ目覚めていられる時間は短いものの、意識もはっきりし、子ども達の顔を見て涙を流した母の姿に、エレノアもまた泣いてしまった。母はエレノアの手を握って何度も謝った。それが何のことかは分かったが、すでに母の事情が分かったときに怒りも悲しみも消えていたので、エレノアはただ母を抱きしめた。
そしてシンシアはハロルドの監督のもと、初めての風魔法を使った。
魔法が使えたということは、シンシアの魔力のつぼの形も変わったということだ。
エレノアは家族の安全が守られたことに酷く安堵した。
「アーノルド・ガーラントの功績について考えたんだ」
ハロルドが言った。
夕食までのひととき、久々にのんびりとお茶を飲んでいるところだった。
二人とも明日には王都へ戻る。ウィリアムとシンシアはもう少しこちらで母につきそう予定だ。二人が先に戻るというので、その前に皆の無事をお祝いしようと使用人も家族もささやかな晩餐の用意をしている。旅支度を終えたエレノアとハロルドは、明日に備えてゆっくりしているようにとお茶を出されたのだ。
エレノアは、口を開いたハロルドの方を向いた。秋の夕方のこと、日はすでに低く、窓からの日差しを受けたハロルドの黒髪まで赤く輝いている。
「彼はやはり魔法を使えない体質だったのだと思う。それが、『果ての森』であの闇の精霊と遭遇して契約を交わしたんだ。ガーラント家の功績は、それで説明がつく」
『果ての森』が隣国で『魔の森』と呼ばれているのは、闇の精霊のせいだったのだろう。勝手に魔力を吸いとり人の命を奪うことすらある闇の精霊の存在で、隣国は森を恐れたのだろうし、その精霊と契約したアーノルド・ガーラントは退治したと見なされ功績を得たのだろう。
領地の森が『果ての森』とつながっているのも、その辺りが関係していたのだろうか。結局精霊とは何者なのか。聞けば分かるのかもしれないが、聞かなくても良いような気がした。
相手が何者であろうとガーラントの体質がある限り、自分たちにとっては必要な相手だ。その一方でどんなに加護を授けられようと、ただ森の深くに存在するだけであろと、エレノアは精霊の強大な力というものに生理的な恐れを感じる。そのため、加護をやたらに利用しようとしたり、むやみに近づいたりはしない方がよいと思うのだ。その恐れもまた正しい気がしていた。
「せっかく結んだ契約なのに、忘れられてしまったのね」
言いながら、エレノアは自分の感じる生理的な恐れがその一因だったのではないかと思った。王国で認められていない存在との契約が他人に知れることを、またその存在自体を、先祖は恐れ、書き残さなかったのかもしれない。それで何かの不運が重なり、伝聞が途切れたのかもしれない。
不運という暗い響きに引きずられるように、エレノアの心に引っかかっていたある問題が意識に浮上した。
「私、もう一つ気付いてしまったことがあるのだけれど・・・」
「どうかしたの」
エレノアの声音が沈んだので、ハロルドが心配そうに尋ねた。
エレノアはため息をついて続けた。
「私の魔力って、一度に使える量が多いのが長所だってホールデン先生に言われていたのだけど・・・結局それって、精霊に食べられて魔力のつぼが壊れたってことで・・・欠陥だったってことよね」
唯一の長所すら事故によって生じた欠陥だったのかと思うと、エレノアは久しぶりの挫折感に襲われたのだ。ガーラントの森で闇の精霊が母やシンシアの魔力を食べる様を見たことで、それが事実だったと知り、実は家族の幸せを喜ぶ影でひっそりと落ち込んでいたエレノアである。
目を伏せたエレノアの表情をのぞき込むように、身を乗り出してハロルドが言った。
「エレノア」
強い口調に目を上げれば、
「確かに魔力のつぼが壊れたことは、欠陥と言えるかもしれない」
と言われたので、エレノアはがっかりして眉を垂らした。
人に欠陥と言われると、自分で気付いたとき以上に大きな打撃だったのだ。ほんの少し、ハロルドに話して否定されることを期待していたのかもしれない。そんな自分の浅ましさを感じて、エレノアはますます落ち込んだ。
しかしハロルドは彼女の目をまっすぐ見つめ続けた。彼の切れ長の青い瞳は真摯で、そのためエレノアも目をそらすことができなかった。彼は再び口を開いた。
「でも、一度に使える量を調整して自分の武器にしたのはエレノアの努力だ」
ハロルドに真っ直ぐ見つめられ、エレノアは瞬きすらせずに固まった。
「エレノアの、長所だ」
恥ずかしさと同時に、喜びが、エレノアの胸の中に込み上げてきた。
エレノアはこの部屋が夕日に染まっていてよかったと思った。こんなに顔を赤くしたところを、見られたくはなかったから。これは喜び、努力を認められた嬉しさと恥ずかしさ、それ以外の意味などないけれど、それでもこんなに頬を熱くしている自分がはしたないような気がして、エレノアは困った。
だからといって、今ハロルドから目を逸らしたくはなかった。いろいろな行き違いを通り抜け、母の病を一緒に治し、ようやく本当に分かり合えた。ハロルドはまだエレノアを見つめ続けている。
「うれしいわ。ハロルド・・・」
エレノアは熱をもった頬を努力して動かし、言葉を紡いだ。
ハロルドの目があまりまっすぐだからいけない、いいのだけれど、いけない。視線で射抜くという魔法があるのなら、とうにエレノアは死んでいる。
エレノアは声の出し方も思い出せなくなりながら、無理矢理言葉を押し出した。
「なんだか、ようやく本当に家族になれたってかんじね」
言葉は本心で、けれど口にするには重々しくて青い瞳に飲み込まれそうで。小首を傾げて少し軽い調子を作ることで、なんとか言うことができた。
エレノアは、上手くいった、とそう思った。
そのため彼女は、このときハロルドがなぜか曖昧な笑みを浮かべたことに、全く気付かなかった。




