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エレノアの旅9

エレノアは完成した報告書を翌朝すぐに主へ提出した。

ところが受け取ったファレルはというと、一瞬何だか分からないようにじっとその表紙を見た。

そのためエレノアは、

「昨日受けさせていただいた治癒魔法の報告書ですわ」

と再度告げねばならなかった。

「ああ・・・わざわざ書いたのか」

視察の目的である治癒魔法を実際に体験させたのだから、報告書を提出させるのは当然だ。確かに多少分厚くなってしまったが、そう驚くことだろうか。エレノアはとんちんかんなことを言う主に内心首を傾げた。

そんな彼女の顔を観察するように見て、ファレルはひとつ頷いた。

「確かに調子は戻ったようだな」

実のところ、昨日はあの後世話も入室も拒否され、ファレルに会うのはこれが最初なのだ。

エレノアは晴れ晴れとした笑顔で口を開いた。

「はい。お陰様ですこぶる快調です。本当に、貴重な機会をお作りいただき、ありがとうございました」

「ん」

「あとは実際に理論通りに試行してみて、効果が出せるものか確かめたのちにまたご報告いたします」

心からの感謝を込めて言ったというのに、ここでファレルが眉をしかめた。

「待て・・・試行するとは、治癒の技のことか」

「はい」

当然とばかりに答えたエレノアだったが、ファレルは即座に首を横に振った。

「やめておけ。そんなことは王国の魔法省に任せればいい」

再び主がおかしなことを言うのでエレノアは今度こそ首を傾げた。

「何故でしょう。今試してみれば上手くいかなかったとしても、修正がしやすいではありませんか」

「いや、駄目だ。試すなら俺で試し・・・くそ、これも駄目だ」

急にイライラした様子で乱暴に髪をかき上げたファレルに、エレノアは困惑した。昨日といい今日といい、どうも主の様子がおかしい。普段のファレルは不遜な振る舞いや周囲へのからかいはしても、むやみに感情を高ぶらせるような仕えにくい主ではないのに。

クリスが諭すように口を挟む。

「エレノア。殿下はエレノアが他の随行に触れて施術することを心配しているのですよ」

エレノアは驚いた。確かにこの外遊の随行はほぼ全員が男性だが、実験のために手を握るくらいどうということはないはずだ。

「心配することなどありませんわ」

エレノアは力強く保証した。しかしファレルの眉間の皺は消えないばかりか、むしろ深くなるようだった。

「ああもう、これだから・・・いいか、世の中の男はお前の婚約者のようなのばかりではないんだ」

「私の婚約者は関係ないでしょう」

突然持ち出されたコールの存在に、反射的に硬い声が出る。彼女の声音に比例するように、ファレルの眉間の皺もさらに深くなった。

「そうではない。ああいう手合いのように指をくわえているだけの男は少ないと言っているだけだ」

エレノアの頬にさっと朱が走った。鈍感なエレノアも、今の言葉にコールをけなす色が含まれていることを感じてしまったのだ。

ファレルが、しまったというように口をつぐみ、その背後でクリスは天を仰いだ。それをエレノアの目は捉えたが、だからといって頭に上った血がすぐに戻ることはなかった。

「・・・よく知りもしないで、彼を悪く言わないで下さい」

「・・・知っているさ、先だってのつきまとい騒動も最近の夜会の噂も」

一層低くなったエレノアの声に、諦めたようにため息をついたファレルは投げやりにこう言った。

エレノアは、大きく息を吸った。侍女として、淑女として、怒鳴らないという最低限の体面を保つためにはその必要があった。

最初につきまとい男を退治してくれたのはカーラだし、夜会の噂はアイリーンも知っていたから、それらの情報をこの第二王子が知っているのは想定できたことでもある。けれど、今関係がぎくしゃくしている彼のことを持ち出され、あまつさえ批判的に語られるのは我慢がならなかった。

「確かに殿下は王子で、地位も権力も魔法の才能もおもちでしょう。でも、彼だって殿下にはないものをもっておりますわ」

主に対して言うべき言葉でないことは分かっていた。けれど、先に侍女に対して踏み込みすぎたのはあちらだという気持ちが、エレノアの制御を外していた。

エレノアはファレルを睨み付けて言った。

「人への気遣いと謙虚さです。彼は人に見下されるような人ではありませんし、私が彼と上手くいっていないのは、彼のせいではありません。私のせいです。・・・ですから、非難なさるなら私を直接非難なさって下さい」

言い終わると、エレノアは処罰をまつ人のように頭を垂れた。

ファレルへの腹立ちは、声を出すことで収まっていった。

言い終わった今は、むしろ自分で言った言葉に打ちのめされていた。上手くいっていない二人の関係も、それが自分のせいであることも、口に出せば現実になったように思えた。いや、すでに現実だったのだ。そして直視することを避けていたそれを、今はっきりと自覚させられたのだ。

「・・・お前を非難する気はない。顔を上げろ」

静かに顔を上げれば、ファレルは憂いをたたえた目をエレノアに向けていた。

しかしその目はすぐに逸らされ、彼は

「どうしても施術を試すというのなら、クリスにしておけ」

と言って立ち上がった。

「殿下?」

クリスの問いかけに、少し寝ると振り返らずに言うと、彼は隣室へ消えた。

「・・・申し訳ありませんでした」

謝ったエレノアに、クリスは苦笑した。

「何について?王子への不敬罪なら、本人に咎める気はないみたいだよ。殿下自身嫉妬していらないことを口走った自覚があるようだし、エレノアが言い返そうが言い返すまいがしばらく頭を冷やしに行っただろうね」

エレノアはそれでも仕事中にことを起こした申し訳なさが消えなかった。けれど、クリスはこう言った。

「なんにしろ、僕は殿下の色恋関係まで後始末する気はないよ」

色恋、と言われエレノアは一瞬思考が停止したが、次の瞬間クリスの言わんとしていることに気付き目を見開いた。


侯爵は人気のない廊下を進んだ。

城の騎士団は襲来した海賊を討つため南下している。

戦況は一進一退で、先日ついに魔法省も南へ出発した。もともと第二王子の外遊にも騎士の一団が派遣されており、最低限と残された見張りの数は疎らだった。

廊下の途中、心細げに立っていた見張りは、レアード侯爵とその護衛の姿を見てはっとしたように背筋を正した。

「ご苦労」

「レアード侯爵様とお見受けいたします。この先へどのようなご用でいらっしゃるのですか」

侯爵はぎろりと見張りを睨み付けた。

護衛が低い声で言った。

「・・・誰に物を言っているのだ?」

若い見張りはそれだけで縮み上がる。

「し、失礼いたしました」

ふんと鼻を鳴らせば、しょぼくれた見張りが鎧の下の肩を落とす様子が横目に見えた。

当たり前だ、このジェスロウ・レアード侯爵の行く手を・・・いや、王の祖父の、行く手を遮ったのだから。明日にはあの男は対海賊の最前線へ送られるのだ。

そう考え腹立ちを抑えて廊下を進めば、目的地が見えてきた。

王女は戦へ向かった兄クインランの無事を祈るため、儀式の間に籠もっているという。

あの王女がクインランを兄と呼ぶこと自体が腹立たしいが、今回は都合がよい。儀式に使われるのは王宮の中でも出入りの容易な、その割に人気の少ない場所だ。

荷の搬入が制限されたせいで刺客こそ送り込めなかったが、王族の流れをくむ侯爵には王宮内でも入れぬ場所など無いに等しい。こうして自らの手で憎き王女を葬る運びになったことにも、何か運命めいたものを感じるではないか。

儀式の邪魔にならぬようにと付近の廊下に敷かれた絨毯が一行の足音を消してくれる。全てがこれから行う物事を後押ししてくれるようで、侯爵はほくそ笑んだ。やはり自分の考えは正しい、これは天の意思でもあるのだと、胸の中に興奮がわき上がる。

目配せをすると、護衛の一人が小声で防音の魔法を展開させた。

これで助けはこない。さらに、自分たちの近づく音も王女には聞こえなくなった。

音もなく扉が開き、祭壇で祈る王女の後ろ姿が目に入った。

道中恋愛要素が薄い上、ようやくうっすら動きがあったかと思えばマイナス方向で・・・すみません。

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