エレノアの旅8
眠りについたのは朝方だったが、侍女であるエレノアは定時に目を覚ました。もちろん泥のような眠気と身体のだるさは全くとれていない。それでも冷たい水で顔を洗えば、なんとか頭も働き始める。
主の寝室に続く一つ目の部屋に入ると、やはりクリスもすでに起きて来ていた。
「おはようございます」
「おはよう。エレノア、寝ていていいんだよ?」
クリスには今日はゆっくり眠っているようにと言われていた。しかし主の世話をする人間が昨日は逆に面倒をかけてしまったのだ、その上寝過ごしてはいられない。
エレノアは軽く微笑んでクリスに礼を述べ、静かに昨夜の衣類の手入れを始めた。クリスは眠れといっても聞く気のないエレノアに苦笑して、「無理しないように」と言うに留めた。
結局主であるファレルは昼近くまで眠っていたが、その間に一通り衣類の手入れや荷ほどきがすんだので、エレノアは満足していた。
しかし、寝癖のついた髪で起きてきたファレルは、寝室の扉を開けクリスとエレノアを寝ぼけなまこで交互に見ると、はあと深いため息をついた。
「おはようございます。殿下、寝間着で歩き回らないで呼び鈴を使って下さい」
ファレルが薄いガウン一枚でずんずん部屋を歩いてきたのを、クリスが止める。それでもファレルはとまらなかった。
彼はエレノアの目の前までくると、じろりと顔から胸までを見下ろした。
エレノアもファレルを見上げた。いつもはクリスに多少整えられた姿で寝室から現れるファレルである。美形は寝乱れた姿でも様になるものなのだな、とそのまだ開ききらぬ様さえ憂いを含んで見える眼やつるりとした肌を妬み半分に観察していたのだ。
「おはようございます」
一応きちんと挨拶をしたエレノアだったが、ファレルはそれにも答えなかった。エレノアはさすがに長すぎる凝視に居心地の悪さを覚え、問いかけた。
「・・・殿下?」
すると、ファレルは碧の目を呆れたように細めて言った。
「なぜ起きている」
もう昼ですから、とエレノアは言いかけ、ファレルの言葉に遮られる。
「顔色も悪い、魔力も少なすぎる。具合が悪いはずなのになぜ起きている」
胸元に指を突きつけるようにして言われ、エレノアは身を縮めた。
「まあ、この展開は予想していました」
クリスもため息混じりに言う。
エレノアは反論した。
「侍女は主より先に起きるものです」
「侍女なら少しは言うことを聞け!」
ファレルの怒鳴り声を聞くのは初めてだった。彼は基本的にだらけているかにやにやと人をからかっているかで、たまに機嫌を損ねてもせいぜい顔をしかめる程度なのだ。そのためエレノアは驚いて目を瞬かせた。
「・・・申し訳ございません。ですが、もう眠気も覚めてしまいましたわ」
貴方の大声のせいで、とは言わなかったが、どれほどの違いがあったろうか。
ファレルはしかめっ面のまま乱暴に髪をかき上げた。寝間着からのぞく腕や首の筋に、やはりアイリーン様とは違うとエレノアは思う。
「どうせ聞く気もなかったくせによく言う」
寝起きに怒鳴ったせいかファレルの声は少し低くかすれていた。
「・・・お目覚めなのにお茶もお出しいていませんでしたね。今用意いたします」
エレノアが侍女としての勤めを果たそうと動き出すと、背後から深いため息が聞こえた。
用意してあったポットの水を火の魔法で熱する。そして時間を計って茶を煎れて戻れば、ファレルはふて腐れた顔で長椅子に座っていた。
彼は茶を一口飲むと、エレノアを睨むように見た。
「お前が言うとおり休まないなら、こちらにも考えがある」
「何でしょう」
「今日向かう予定だった施設には治癒に長けた巫女がいると聞いている。お前が治療されてこい」
エレノアは再び驚きに目を見開いたが、それからすぐに花咲くように微笑んだ。
「ありがとうございます!」
ファレルは彼女のその顔を見て、まだ不機嫌を漂わせながらも一つ頷くと、残りの茶を飲み干した。
濃い草の香りがする。天上から無数の植物の束が吊されているが、部屋の端の方では若い娘が台に乗って今まさにその数を増やしていた。
こぽこぽと音をたてているのは何かの薬草を煮ているのだろうか。並べられた鍋からは湯気が上がっている。白い装束を着た女性たちが、その鍋をかき混ぜる。
「我々は木の精霊の御加護により、薬草の効能を高めているのです。こちらでは祈祷と薬効と、合わせて治療を行います」
エレノアを迎えてくれた老巫女は、そう説明した。水の精霊の街で読んだ文献にも、同じように水薬の効能を高めるという内容があったのを思い出しながらエレノアは頷いた。
案内された場所には、簡素な木の寝台があった。そこに清潔な布を敷くと、老女はエレノアを横たわらせた。
「かなり、お疲れのようですね」
「お恥ずかしい話しですわ」
顔に出ているかと頬を撫でたエレノアに、老女は首を横に振り微笑んだ。
「いいえ。貴方の身体がそう言っているのです」
「なぜ分かるのですか?」
皺だらけの温かい手にそっとまぶたを閉じられながらも、エレノアは興味津々でそう聞いた。
老巫女は優しい声で言った。
「手を当てて貴方の身体を通し、精霊達に話しかけるのです。そうすると、貴方の中の足りないものが感じ取れます」
「どのように、感じるのでしょう?」
祈祷には感覚的な要素が大きいらしく、文献にも簡単な呪文以上のことは書かれていなかったのだ。
「そうですね・・・私は、声のように感じますね。力に満ちている人に触れると、大きな元気のよい声がそろって返ってきます。けれど、病をもった人に触れると、ばらばらと小さな声が返ってきます。・・・貴方は特に、土の力が足りないようですね」
エレノアは握られた右手から温かいものが流れ込むような感覚を覚えた。まるで失われた何かを補うように、その流れはエレノアの内部に広がっていく。
しばらくすると、老女は握る力を緩めた。
「私の祈りで癒せる部分はわずかなようです。後はお薬の力を頼りましょう」
エレノアは目を開いた。
さして明るくないはずの室内がひどく眩しく感じられた。
しばらく老巫女を待っていると、木彫りの杯を手に戻ってきた。
「土の力が足りないときは、この薬草がよいと言われています。少し苦いですが、どうぞ」
杯の中身を見て、エレノアは不覚にも一瞬固まった。しかし、すぐに微笑む。
「・・・いただきます」
みるからに味の想像のできるどろりとした液体を、エレノアは根性で飲み干した。液体は口内にも喉にもべっとりとまとわりつき、唾液を飲んでも飲んでも苦みは消えない。差し出された水をありがたく流し込み、ようやく言葉を口にすることができるようになった。
「ありがとうございました。あと一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ。私にお答えできることでしたら」
丁寧に頭を下げたエレノアに、老巫女はにこにこして言った。
「先程のような祈りの技は、巫女や神官の方であればどなたもできるものなのですか?」
「そうですね・・・正直に申しますと、効き目の差はあります。けれど、精霊の加護のある者であればあとは経験次第です」
つまり、魔力をもつものであれば多かれ少なかれ効果があるということだ。また、ファレルに魔力の枯渇を指摘され、老巫女も土の力が足りないと指摘したことからも、彼女が感じ取っている『声』というのが魔力と関連していることはたしかだろう。
エレノアは老巫女に深く感謝を述べ、施術の館を後にした。
戻った彼女の顔色の良さに皆ほっとした顔をしたが、
「この体験を報告書にまとめますわ」
と挨拶もそこそこに勢い込んで机に向かうのを見ると、その顔は呆れに変わった。
エレノアは見る間に報告書を書き上げていく。その積み上がった紙の山に誰かが漏らした「さすがは雪崩のエレノアだな」という呟きを、本人だけは聞いていなかった。




