エレノアの旅7
そうして何百回かしゃがみ込んだあとだった。
ぞくりとエレノアの背筋を悪寒が走った。
ふう、と生暖かい風が頬をかすめていった。
草いきれのような独特の匂いが鼻を抜ける。
まとわりつく風は生暖かいのに、体中から何かが抜け出ていくようでエレノアは寒気が止まらなかった。
そして、エレノアは何かの声を聞いた。
・・・ささげものかとおもったが。まちがいか・・・
届いた声はまるで葉擦れのようでいて、それなのに聞き逃すことができない。あきらかにそれは『声』であり、脳に直接話しかけられたように明確に聞こえた。
ここが誰もいない森の中であることを、エレノアは必死で考えまいとした。
そうするうち、また、ふう、とため息のような風が吹いた。
匂いが、次第に薄くなっていく。
ぞくぞくと震える背中ごし、振り返ろうとすればできるだろうに、エレノアはどうしても振り返ることができなかった。
そのままどれくらいの時間が経ったのだろうか。
前方から近づく明かりに気付き、エレノアはやっと身体を動かすことができた。
「無事か」
いつもと違う真剣な声音に、エレノアは一瞬人違いかと思ったが、明かりにきらめく金髪を認めて名を呼んだ。
「ファレル殿下」
探しに来たのは確かにファレルと数人の侍従だった。
「どうしてここだと分かったのですか」
ファレルが無言で自分の手首を示したので、エレノアは腕輪のことだと気付いた。
「・・・遅くなった」
「いいえ、どうもありがとうございます」
ファレルは珍しく言葉少なだった。そのことに戸惑ったエレノアだったが、侍従の一人に上着を渡されるとほっと息をついた。
そして歩き出そうとしたところ、長い時間冷え切っていた足がうまく動かなかいことに気付く。
結局エレノアは上着で包まれ捜索隊に交代で運ばれた。そうして人の体温を感じて、自分がどれほど冷え切っていたのかを知った。あまりに寒く、そして眠たかったため、羞恥心さえ感じなかった。
かなりの時間をかけて森を抜け、最初の建物が見えると、そこには複数の人影があった。深夜にもかかわらず自分の捜索のため多くの人に迷惑をかけたことをエレノアは感じた。
しかし近づいてその中にシェナイの姿を見つけ、エレノアの眠気は吹き飛んだ。怒り、悔しさ、悲しさなど、熱いものが胸の中に込み上げる。エレノアは情けない顔をしないよう、つきかけた気力を必死でかき集めて表情を取り繕った。
しかし黙ってやり過ごすことなどできないということに、すぐに気付かされた。同じく彼女を見たファレルが、珍しく険しい顔をして口を開いたのだ。
「巫女シェナイ」
その鋭い目を見れば、彼が後に何を続けようとしているのかは明白だった。そして、その後自分のせいでこの視察がどうなってしまうのかも。
瞬時に悟ったエレノアは、問いただそうとしたファレルを遮り、彼の腕から滑り落ちるように下りると声を張り上げた。
「シェナイ様が教えてくださった道を忘れて、皆様にご迷惑をお掛けしました。本当に申し訳ごさいません」
ファレルは何を言っているという目で見たが、エレノアはもう一度、
「探してくださって、深く感謝いたします」
と言って深く深く頭を下げた。
宿泊する館についたときにはすでに空は白み、夜が明けかけていた。しかし、酷く不機嫌になってしまった主を放って眠りに行くこともできず、エレノアはクリスと共にファレルの部屋について行った。
「何のつもりだ」
部屋に入るなりそう言ったファレルをまっすぐ見つめ、エレノアは答えた。
「今後のことを考えたつもりです」
国の視察のためにも、エレノアの目的のためにも、ここでシェナイを問いただしてこれ以上視察に支障が出ては困るのだ。
「国として視察に来た先で随行が遭難させられかけたのだぞ。その責任はどうするのだ」
「追及しても、彼女がとぼければ証拠もありません。そこにこだわるよりも今後の視察をきちんと進めることの方が重要なはずです」
「殿下の気持ちもお察ししますが、ここはエレノアの判断が正しかったと思いますよ。通常の視察ならばいざ知らず、今はまだ国へ戻るわけにもいかない・・・お分かりでしょう?」
クリスが口添えしたが、ファレルの眉間の皺は消えなかった。
「ここで見逃して、また同じことをされたらどうする気だ」
「・・・うかうか相手の策に掛かって迷惑をお掛けしたことは申し訳ございません。また捜してくれとは申しません」
「そういうことを言っているのではない」
眉間の皺が深くなる。美形が顔をしかめると非常に怖い顔になるが、エレノアは幸いと言うべきか美形のしかめ面には免疫があるのだ。だから、疲れ果てた頭でも冷静に答えることができた。
「同じ策に嵌らぬよう重々注意いたします。それに彼女は頭の良い方ですから、この騒ぎの後でまた同じことはしないでしょう」
ファレルの機嫌は直らなかったが、ここでクリスから、双方もう休むようにと強制終了が掛かった。
そのためエレノアはふらつく足で主の部屋から退き、ようやく長い一日を終えることができた。
王国の混迷は続いていた。
その中、侯爵の自室には二人の男がいた。
一人はジェスロウ・レアード侯爵その人、そしてもう一人は痩身の、どこと言って特徴のない男だ。
彼はのっぺりと表情の伺えない顔で侯爵に報告した。
「海賊騒ぎのせいで積み荷はどんな貴族のものも全て調べられています。刺客は送り込めません」
侯爵は苦々しげに言う。
「毒も効かなかったのだぞ。どうしろというのだ」
「海に近い南方からの荷は特に警戒対象ですから」
男が諭すように言うが、侯爵はいらいらと
「時間がないのだ」
と机を指で叩いた。
そんな侯爵のせわしない動きを、男はしばし無言で眺める。黙っている男に侯爵はじれたような目を向けた。
「なんとかならんのか」
言われた男は、考え込むように指を顎に当てた。
「・・・検問はやっかいです。しかし反対に言えば、海賊のおかげで騎士団が城を離れています。王女の盾も今はおりません・・・」
「そうか、たしか残っていた盾の一人が明日休みを取るのだったな」
極秘のはずの王女の侍女の勤務予定を思い起こし、侯爵はゆがんだ笑みを浮かべた。仲違いから盾であったガーラント家の娘を手放した愚かな王女。彼女を守るために無理をして連勤していたカトレアという侍女もさすがに休暇を取るという。この辺りの事情は極秘文書として厳重に管理されていたが、侯爵の人脈をもってすれば簡単に手に入る情報だった。
「今ならば、王女は丸腰です」
男は淡々と事実を読み上げるように言葉を紡ぐ。
「今討たねば、海賊騒ぎが収まり次第王は改革を進める気でしょう。そうなればさすがの侯爵様方もかなりの痛手を被りましょう。そして次に来るのは・・・」
ダン、と侯爵は拳を肘掛けに叩きつけた。
王女の成人の儀など、言葉だけでも聞きたくない。
「王になるのはクインランに決まっておる」
怒りに声を震わせた侯爵を、男は静かに見守る。
侯爵は立ち上がると、壁際に向かうと、飾られていた剣を手に取った。
引き抜かれた刃は、部屋の明かりを受けてまがまがしく光った。
シリアスな場面が続いていますが、もう少しで必要な情報が出そろいそうです。残りの旅も、お付き合いいただければ幸いです。




