エレノアの旅6
森の一角に小石が敷かれ、木の門がたてられている。
白亜の中央神殿とは異なり、こちらの神殿は森の一部のようだった。赤茶の大地に現れたその森は奥深くどこまでも続き、枝分かれした小道がどこへ導こうというのかは見当もつかない。
その中に、一人。
「・・・抜かったわ」
エレノアは呆然と呟いた。
前日、エレノアは気になるシェナイの様子についてこっそりクリスに相談していた。
悪口を言うようで気が引けたが、些細なことでも周囲の変化を感じれば報告をするようにと指示されていたのだ。
他の人間には親切に振る舞っている巫女のことだ、さすがのクリスにも信じてもらえるか少し不安だったが、彼は驚いた様子もなかった。
彼は頷きながらエレノアの言葉を聞くと、こう言った。
「やっぱりね。女性の随行はエレノアだけだから、あちらから見ればそう見えるんだよ」
「そう見える・・・ですか」
エレノアは首を傾げた。クリスの濁した言い方では何が言いたいのか分からなかったのだ。
「つまり、王子のお気に入りの女性だと思われているということ」
即座に顔をしかめたエレノアにクリスは少し笑ったが、すぐにこう忠告した。
「いやな役回りだけど、敢えて否定はしないこと。エレノアがいることで、今のところあちらも王子の寝所へ人を送ることは遠慮しているしね」
この旅での自分の立場は、思った以上に複雑なものだったらしい。身内は分かっているから気にしないようにとクリスに言われ、エレノアは複雑な思いで頷いた。
「そうなると、水の精霊が嫌うから遠慮しろと言ったのも、エレノアを引き離すための詭弁かもしれないな。まあ、明日には木の精霊の街へ向かうからね」
木と土は相性がよいとされている。エレノアも、木や火の魔法ならば少し使えるのだ。
そう期待を込めて移動した先でのことだった。
「ここでは男女で入り口が違うのです」
巫女シェナイが言ったのは、神殿の前に立つ立派な銀杏の大木の下だった。銀杏は一方が雌、もう一方が雄だという。双方の木の傍らには木造の建物が奥へと伸びる様子が見える。
そこでファレル等の案内にはこの神殿の神官がつき、二手に分かれたのだ。建物の中でエレノアは白い衣に着替えるように言われた。
「水の精霊のもとでは禊ぎをします。同じように、こちらでは絹や毛の衣類から麻の衣に着替えることで精霊の御心に添うのです」
「そうなのですか。とても興味深いお話しですわ」
初めてとも言えるシェナイから自分への声掛けに、エレノアは喜んで答えた。
このまま二人でいる時間に少しでも関係を改善できればと、思えばそんな浮かれた気持ちがあったせいかもしれない。
「脱いだ衣類はこちらへ」
言われるまま素直に衣類を脱ぎ、白い布に腕を通したところで気付いた。見たことのない形の衣にはボタンもリボンもなく、着方が分からなかった。
「あの、これはどうやって着ればよいのでしょう?」
そして先程までシェナイがいた場所を振り返ると、そこに彼女はいなかった。
驚いて視線を動かせば、建物の奥に白い衣の裾が消えていくところだった。
エレノアは口をあんぐりと開けた。まさかここで、置き去りにされようとは。
すぐに追いかけようにも、肌も露わなこの状態で行くわけにはいかない。建物には人気がなく、他の助けもきたいできそうにない。エレノアが普通の貴族の令嬢だったなら、ここで下着姿のまま途方に暮れたことだろう。けれど、侍女として訓練をつんだ彼女には、着付けの技術と根性がある。エレノアは一瞬青ざめたが、すぐに唇を引き結んで考えた。
シェナイが着替えずそのまま奥へ進んだのだから、彼女の衣類はこの衣と同種のものなのだろう。彼女の格好を思い浮かべ、布を巻いてもう一本の長い紐で抑える。
なんとか見られる格好になると、エレノアは淑女に許される最高スピードで奥へと進んだ。
奥に長い建物は窓もなく、途中のぼったりくだったりをくりかえしてようやく外に出た。隣の建物に入ったはずのファレル等を探したが、シェナイがどういう説明で言いくるめたのか、すでにここにも人気はなかった。
「はあ・・・」
エレノアは大きく一つ息を吐くと、気持ちを切り替えて進路を見極めようとした。
森の中にそこだけ白い小石が敷き詰められた空間があり、その先に三本の道が森の奥へと伸びている。
そのどこを辿ればいいのか、エレノアには見当もつかなかった。けれど、ここでぼんやり待っているのはシェナイの思うつぼだろう。それは嫌だった。それに道は三つ、運がよければ先に行った彼らに追いつけるかもしれない。
結局エレノアはあてどなく歩きだした。ドレスよりはましにしろ、単衣の衣の長い裾とサンダルのような履き物もなかなか歩きづらいもので、おまけに道らしく城砂利が敷かれていたのはほんの最初だけで、あとはうねる木の根や石に浸食されるがままの獣道だった。途中崖の上のような場所さえあり、さすがにこの道は間違いだったかもしれないとエレノアは思ったが、行きと戻りとどちらが短いのかさえ分からないため、とにかく先へ進んだ。
しかし、苦労してたどり着いた大樹のもとに人の姿はなかった。
麻一枚の衣を通して、秋の森の冷気が肌を刺す。すでに日は陰り、森には闇が迫っていた。
エレノアはため息をついた。夜の森を歩き回るのは得策ではない。悔しいが今夜はここで朝を待つしかなさそうだった。
エレノアは大樹の下にしゃがみ込み、身体を丸めた。
「寒いわね・・・」
せめて火でも焚きたいと思うものの、ここは森の中だと考えてやめる。
この前『果ての森』を見て以来、森自体にいくらかの恐れを感じているエレノアである。
森といえば、とエレノアはぼんやり思い出す。
昨夜は二度目の通信の日だった。
エレノアには報告することがなかったため、ハロルドの報告に期待を込めていた。
しかし彼の第一声は
「そちらの祈祷を真似て手当てをしているけど、効果は今のところないらしい」
だったので、エレノアは肩を落とした。視察のほぼ半分がすぎたというのに調査が行き詰まり、焦っていたところでもあった。
落ち込んだエレノアを見て、ハロルドは続ければ効果があるかもしれないと言ってすぐに話題を変えた。それが、森の話だった。
「・・・エレノアの父上の日記の方だけど、彼はガーラント家の歴史を調べていたようなんだ。それによるとガーランド家は建国時に功績をたてたらしい。もっと王都に近い領地を賜ってもいいくらいね。実際は王都から一日半だし大半は開墾できない深い森だけど」
「ガーラント領の森は、『果ての森』とつながっているのよね・・・こちらでは、『魔の森』と言われているけれど」
ハロルドはここで、少し唇を湿らせた。
「・・・ちなみにこの森で、エレノアの父上も亡くなったらしい」
知らなかったわ、とエレノアは答えた気がする。顔も思い出せない父の死にまつわる話は、彼女に痛みを与えなかった。ハロルドはそのことにほっとしたように続けた。
「彼は何かを調べていたのだと思う。実際、武で鳴らしたわけでもないガーラント家の先祖がどうやって功績をたてたのか考えると不思議なんだ。だって魔の森と呼ばれるような場所で、魔法が使えなかったはずだろ」
言われてエレノアはあの森を思い起こした。恐ろしい、懐かしい気持ちにさせられたあの場所を。
「そう思って建国当初の当主を調べたけど、ハズレだった。彼はガーラントの例外で、魔法が使えたんだ。70まで生きているから」
ハロルドの報告は以上で、お互いに特に進展のない状況に、エレノアは焦りを隠せなかった。
そんな彼女に、ハロルドはこう言った。
「今少しごたごたしていて、ガーラント領へも屋敷へも戻れないんだ。戻れ次第、読みかけの領主の日記類に手をつけるよ。エレノア、気を落とさないで」
「・・・そうよね、落ち込む暇はないものね」
エレノアも気持ちを奮い立たせて笑って見せ、通信は終わったのだが。
森に関しては良いことなしだわ、とエレノアはため息をついた。
ハロルドの調査でもあてが外れた森、父が死んだ森、そして今日もせっかく木の神殿で情報を得られるかと思いきや、遭難中の森。
なんだかついてなさ過ぎて、火などつけたら次は山火事でも起こしそうだ。
そのためエレノアは結局明かり一つさえつけず、立ったりしゃがんだりを繰り返して寒さと眠気を堪えた。




