エレノアの旅5
一行は翌日、水の精霊を祭る街を目指し、馬車で移動した。
シェナイがうっとりした視線をファレルに注ぐ。
「ファレル様はさすが学者でいらっしゃるだけあって、知識が豊富ですのね」
自国における彼の肩書きは、表向きは魔力が見える城の守り手ではなく、少量の魔力をもった魔法学者なのだ。この外遊も、治療や農耕に魔法を用いる意識の低い自国に、その知識を持ち帰るためとなっている。
「私など、まだまだ端くれですよ」
普段不遜を絵に描いたようなファレルが謙遜したので、エレノアはシェナイの正面で笑ってしまわないようにこっそりと手の甲をつねって耐えた。
ゆったりとした4人乗りの馬車には、巫女シェナイも同乗している。ファレルにとってはさらなる苦痛だろうしエレノアも嬉しくはないが、彼女の案内のおかげで、道中も様々な儀式や祈祷を見学できた。彼女は地方都市にも顔が知られている有名人だったのだ。
しかし、目的の神殿が近づいたとき、思わぬ事態が起きた。
「水の精霊は、土の気を嫌うのです。強い土の気配をもつ方は、申し訳ありませんがお通しできませんの」
巫女シェナイがそう告げたのだ。
エレノアはがっかりした。明らかにこれは、土の魔力をもつエレノアを差す言葉だろうから。
「そうなのですか。それならば、仕方がありませんね」
水の精霊の力に特化した儀式があると聞いていたので残念に思ったが、この国において精霊は神聖な存在と知っているので、エレノアも素直に頷いた。
ファレルやクリスは彼女を一人残すことを心配したが、彼らも他国の宗教に敬意を払わぬわけにはいかない。エレノアは先に宿泊先で荷解き等を済ませることにし、神殿に着く前に馬車を下りた。
そうして馬車を見送る際、エレノアははっとした。
ファレルの隣でシェナイが酷く毒々しい微笑みを浮かべたのだ。それは一瞬のことだった。そのため、エレノアは自分の考えすぎだろうかと自問した。
翌日からも数日、エレノアは居残りを余儀なくされた。
しかし、ファレルの口添えでこの街の貴重な文献を読むことが許されたので、王子の代理として他にも数人の侍従が文献を検めることとなった。
話す言葉はほとんど変わらぬ二国だが、文字となるとそうはいかない。特に神殿に収められているような文献は文章が装飾的で文字も特殊なため、字引片手でも解読が難しかった。そのため館の一角に、不気味な唸り声が響くこととなった。
「水・・・が?いや、を?」
「高価な土の精霊を・・・違うな」
唸る侍従達の中で、エレノアは学生時代にとった杵柄とばかり読みといた言葉をガリガリと書き付けていく。もともとダンスや器楽より語学の方が得意なたちだし、個人的事情でこの場の誰より意欲が高いということもある。
背筋を伸ばして優雅にペンを持った彼女がものすごい勢いで書き散らしていく様子に、最初は唖然としていた侍従たちもそのうちすっかり慣れ、彼女が積み上げた紙を崩さないうちに束にまとめてくれるようになった。
しかし、魔法を使えない人間の方が多いこの国では、魔力と関わりのある病という捉え方がないためか、エレノアの求める病の情報は見つからなかった。
前回の通信から3日も経つと、手当ての効果はあっただろうかと気になり出した。そして駄目なら他の方法を探さねばとまた気が急いてくる。他の侍従が交代で視察について行く中で、自分だけがずっと館に籠もりきりであることも焦りに拍車をかけていた。
文献を解読していると、少しだけ気が休まる気がした。わずかでも事態が前進しているように思えるからだ。それが気休めであることも気付きつつ、エレノアは一人深夜まで机に向かっていた。
「もう休むよう言ったはずだが」
背後から声をかけられ、エレノアは立ち上がった。現れたのはファレルだった。
「申し訳ございません。もう少しだけ、読んでしまってはいけないでしょうか」
「いけなくはないが、その場合人気のない暗い部屋に俺と二人ということになるぞ」
「・・・分かりました。もう片付けます」
からかわれたことが分かり、エレノアは渋々巻物をしまった。
ファレルはエレノアを無理矢理休ませるために来たのだろうから。
「根を詰めるとかえって物事が上手くいかないものだ。明日は神殿でなく街の視察を行う。お前も来い」
エレノアは目を見開いた。王子はこれを言うためにわざわざ足を運んでくれたのだろうかと思ったのだ。
エレノアの頬が自然と緩む。
「承知いたしました」
優雅に述べた彼女の頬に指を伸ばしかけたファレルは、すぐにその手を下ろしてつまらなそうに言った。
「顔にインクがついている」
エレノアはさっと頬を触った。けれどファレルが嘘だとばらしたので、むっとして彼を睨み付けた。
打って変わって機嫌良さげに出て行く主の姿にエレノアは、変態の思考は分からない、と頭を振った。
そうして翌日、訪れたのは中心部から少し離れた辺りだった。
街の小さな礼拝所にファレルの一行は立ち寄った。
「この国は、偉大なる精霊がお作りになったものです。原始の時代、この世には魔物と精霊が混沌としておりました」
薄暗い礼拝堂には不思議な匂いのする香がたかれ、小さな子ども達が年老いた神官の話を聞いている。彼らは現れた異国の一団をそわそわと気にしていたが、ここでは大人しくしているよう決められているらしく、誰も声を出したり立ち上がったりはしなかった。
「人々の生活はその中で混迷を極めました。そこで精霊にどうか我らを救ってくださいと願ったのです。精霊たちは相談し、魔物の入れない土地を作ることにしました。まず土の精霊と木の精霊が大地を作り、水の精霊がそこに雨を降らせました。動物たちが住み始めると、風の精霊が夏を和らげ、火の精霊が冬を越す熱を与えました。そうして私たち人間は、精霊の許しを得てこの地に住まうようになったのです。その証拠に、精霊は今でも気に入った人間に加護を与え、その身を通して奇跡を施します。我々は精霊を敬い、この地を大切にしなくてはなりません。そうすれば必ずや精霊は我々に答えてくれることでしょう」
おとぎ話のようなこの話が、この国の建国の神話なのだという。
エレノアの祖国では、神という概念はなく、祈りを捧げる対象は単純な「天」と「地」だ。建国の物語はあるが、それは果ての森を制しこの地に国を開くまでの王と仲間達による英雄譚である。
そのためこの話はエレノアにとって大変興味深かった。求めている治療法とは関わりのない話だが、久々に館を出て街を巡ったこと自体が気分転換にもなった。
話を聞き終わりほう、とため息を漏らしたエレノアに、ファレルが
「我が国の話とはかなり違うな」
と話しかけた。
エレノアはそれに同意を示したが、ふとシェナイがこちらを見ているのに気付いた。
その目が睨んでいるように見え、エレノアは衝撃を受けた。『もしや』もこれだけ続けば、確信になる。やはり自分はこの巫女に嫌われているらしい、とエレノアは心の中で呟いた。
そのころ、王国では大変な騒ぎが起きていた。
国王は前々から、この秋一つの事業を実行に移す予定でいた。それは穀物の収穫量の虚偽報告や値の操作による不正に切り込むもので、私腹を肥やしていた一部の貴族は戦々恐々としていた。
ところがいざ改革の大鉈を振るおうというまさに直前、南の海に海賊が襲来したのだ。
事態を収拾すべく、クインランの統括する騎士団が出動した。
この機に乗じて都に異敵が入り込むのを警戒し、領地間の検問は強化され、王都の門は閉ざされた。
王都に閉じこめられた者も、王都から閉め出された者も、皆騒然となり、人々は混迷を極めた。




