エレノアの旅1
翌朝、着替えて部屋を出たエレノアは、窓から見えた景色に目を奪われた。
森が、屋敷の目の前にそそり立つように迫っている。その木の一本一本の太く大きいことと言ったら、天を支えていると言われても成る程と頷くほどである。幹は苔むし、どれほどの年月そこに立っていたかを見る者に教えるが、それだけの年を重ねながらも病んだり力を失ったりしているようには見えない。
思わず窓を開けると、朝の湿った空気が流れ込んでくる。その濃厚な森の香りに、エレノアはぞくりと肩を震わせた。
昨夜遅くにこの館に着いたときには、闇に覆われて何も見えなかった。そのため目の前に広がる鬱蒼とした森の姿にエレノアは圧倒されていた。
「ああ、おはよう」
「おはようございます」
側の扉が開いて出てきたクリスに、エレノアはまだ夢見るような瞳のままで挨拶を返した。
クリスはそんなエレノアの様子におやと目を瞬いたが、彼女の側の窓が開いているのを見て状況を察したようだった。
「この森は、すごいよね。一般的な木の三倍くらいの高さだ。僕も初めて見たときは驚いたよ」
「本当に大きいですわ・・・これが有名な『果ての森』ですのね」
クリスと話ながらも、エレノアは魅入られた人のように森から目を離せなかった。しかし、同時に胸の奥底からわき上がる漠然とした不安も感じていた。
「怖いのに、目がそらせないと言いますか。懐かしいのに、恐ろしいと言いますか」
気持ちをそのまま口走ったエレノアに、クリスは興味深げな目で言った。
「面白いことを言うね。ああ、そういえば、この森は国境沿いに南のガーラント領まで続いているんだ。南下するにつれ木の大きさは普通になっていくけれど、懐かしいと言うのならそのせいかもしれないね」
言われてみれば、ガーラント領の東側も広い森に覆われている。エレノアは、故郷の風景を思い出した。
「そうなのですか。それにしても、北の方が植物が大きいというのは不思議ですわね」
「うん。この森がいかに古くて、かつ人の手が入っていないかが分かるよね」
クリスはそう言ったが、エレノアはみたび森を見て考えた。人の手が入っていないというよりも、人が入り込む余地などないのだ。普通の感覚の持ち主ならば、威風堂々とした姿や漂う気配に恐れおののいて手出しを避けるだろう。
この森が、実質的に二国の境となる。隣国の民が恐れて近づかなかったこの森の存在があったからこそ、エレノア達の先祖はその先で新天地を得ることができたのだ。つまり、それだけこの森は手強い。
「今日は、この森を抜けるのですか?」
エレノアは恐る恐る尋ねた。
「いや。森の終わり近くに転移場所があるから、この館からそこまで跳ぶんだ」
エレノアは、ほっとした。森の中を歩いて行くなどと言われたら、普通の顔色でいられない自信があった。
安心しました、とクリスに笑って王子の部屋に向かいながら、エレノアは考えた。遙か昔自分たちの先祖は、この『果ての森』を歩いて通り抜け、国を開いたのだと。
寝起きの悪いファレルを二人がかりでたたき起こし、朝食の世話をし、自分たちの食事は交代で口に詰め込んで出発の時間を迎える。
館の中に作られた転移地点に入ると、また例の落ち着かない感覚がしてエレノアは目を閉じた。そして次の瞬間には肌を撫でる湿った空気を感じていた。
エレノアが目を開けると、次々送られてくる他の騎士や侍従達もざわめき、辺りを見回していた。
エレノアも上を見上げた。空がとても遠い。それほど、木々が高く育っているのだ。こちらの転移地点には小さな小屋が一つあるだけで、どうやら人が駐在しているのではなく用があるときだけ館から魔法使いが来ることになっているようだった。そのため、人気のない森の中に放り出された感じが高まり、エレノアは自分の腕をそっと抱きしめた。
「全員揃いました」
騎士団長の報告を受け、ファレルが出発を告げる。
最後に送られてきた馬車に乗り込むと、エレノアはようやく腕を解放することができた。
「エレノアはこの森も怖いのか?」
ファレルが怖がりなエレノアを揶揄するように言ったので、つんとすまして答える。
「自然に畏敬の念を抱くのは生きている物として当然の感覚でしょう」
「なんだ、怖いなら手でも握ってやろうかと思ったのに」
ファレルはすかさずクリスに窘められ肩をすくめていたが、エレノアはふと違和感を覚えて彼を見つめた。
「なんだ?」
「いえ、以前は言いながら同時に手も伸びてきたので、少し大人になられたのかと」
緊張が解けた後のためか自制がきかず、たいそう失礼な物言いだったが、クリスは成る程と頷いたし、ファレルは真顔でこう言った。
「本当はそうしたいところだが、あいにくお前の弟と約束をしているんだ」
「ハロルドと、ですか?何を約束なさったのですか」
突然ハロルドが話題に出てきたことに驚きつつエレノアは尋ねた。するとファレルは、にやにやと人の悪い笑みを浮かべた。
「知りたいか?」
「ええ、まあ・・・」
気にならないと言えば嘘になる。正直に答えたエレノアに、ファレルはますます緑の目を細め、そしてこう言った。
「秘密」
エレノアは少しむっとした。知りたいかと聞いてきたのはファレルの方ではないか。意地が悪いにも程がある、とエレノアの口がわずかにとがる。
しかしそんなエレノアの顔を見て、ファレルはさらに嬉しげに笑ったのだった。




