エレノアの旅支度
エレノアは隣国に向かう第二王子ファレルについていく。
少し落ち着いて考えれば、それはもともと治療法を探しに行きたかったエレノアにとって、願ってもないことだ。侍女として行くのであれば、当然自分の目的には仕事の空いたわずかな時間を割くしかないが、それでもアイリーンの侍女へ戻る道を残したまま費用の心配もなく出国できる。何より王子と同行することで、エレノアが女一人で行く場合に比べて、安全の度合いが跳ね上がる。
急な出立ということで、エレノアには準備のため二日間の休暇が与えられた。
エレノアはすぐに家族とマクレーン家へ宛てて手紙を、そしてコール本人へは面会の問い合わせを書いた。
そして返答が来ると、エレノアとコールは向かい合った。
場所は、いつか二人で来たことのある店だった。エレノアは紅茶を、コールはコーヒーをそれぞれ頼んだ。
運ばれてきた茶はとても良い香りだったが、少しもエレノアの緊張をほぐしてはくれなかった。
緊張の面持ちのエレノアに対し、コールの表情は凪いでいた。
彼は頼んだコーヒーを半分ほど飲むと、本題に入った。
「王女の命で、殿下の視察について行く、ということだよね」
「ええ。一月後には、またアイリーン様の侍女に戻ります」
「エレノアも、行きたいんだよね」
「ええ」
「そう」
コールはそう呟くと、
「それなら、しかたがないよね」
と言って微笑んだ。
それはエレノアにとって、本当に久々に見るコールの笑顔だった。
エレノアは唐突に、様々なことを口にしてしまいたい衝動に駆られた。
コールが信用してよい人間であることは知っている。彼なら大切な秘密を話しても、他人に触れ回るようなことはしないだろう。
隣国に行きたいのは母の治療法を探すためであること、ファレルの侍女が人手不足であった理由、それから今回のこととは関係のない腕輪のことまで、全てコールに話してしまいたいと、強く思った。
けれど、結局エレノアは何一つ言えなかった。シンシアの婚約に障るかもしれないだとか、王宮の侍女としての責任だとか、そうしたことがこの瞬間もエレノアの頭から消えることはなかった。
二人はそれから、隣国の風土のことや旅の日取りのことなど、当たり障りのない会話を交わした。コールの馬車が着いたので、彼が先に店を出るのをエレノアが見送った。
結局、言わなかった。
頭のどこかで、この決断をのちのち後悔するかもしれないという声が聞こえたが、エレノアはその声を、冷めた紅茶と共に飲み下した。
ちょうど同じ頃、ハロルドは王宮でファレルと対面していた。
第二王子の自室で、茶まで出され、極めつけにいつもそばに控えている侍従まで席を外した。姿が見えなくとも彼を守る準備は万全なのだろうが、どこまでも信用しているといった自分への好待遇に、ハロルドは逆にいやな予感を感じていた。
急に呼び出してこの悪友は何を言い出す気なのかと、彼は気を抜かずにファレルを観察した。
侍従が部屋を出るなり、ファレルは茶を飲むより早くこう言った。
「俺はエレノアを外遊に連れて行く」
ハロルドは、ファレルの発言に眉をしかめた。
「・・・何、急に」
王宮と魔法省は隣接しているとはいえ、仕事中の呼び出しである。それでなくとも仕事と治療法探しで寝る間も惜しんでいるときで、悪い冗談ならばこっそり殴ってやりたいところだった。
しかしファレルは、いつものようににやりと笑いもせず、また冗談だとも言わなかった。代わりに彼はこう言った。
「俺はエレノアを伴侶にしたいと思っている。お前がエレノア・ガーラントを慕っていると聞いたから、一応言っておこうと思った」
ハロルドは一瞬目を見開いたが、すぐに鋭くファレルを睨み付けた。
「そう睨むな。わざわざ呼び出したのは、宣戦布告のためではない」
そう諫められても、ハロルドは表情を崩さなかった。
そんな彼をながめて、ファレルは結局返事を待たずに続けた。
「お前には、俺が王都を離れる間のアイリーンの警護を頼みたい」
ハロルドの目が呆れのため冷たさを増す。
「・・・この流れで、どうして頼み事になるんだ」
第二王子の傍若無人は今に始まったことではないが、だからといってはい分かりましたと言うことはできない。
しかし相手はそんなハロルドの視線すら気にしなかった。
「ついては、外遊中はエレノアに手を出さないと誓う」
これは交換条件のようでいて、実は脅し同然である。
エレノアが遠くにいる間、ハロルドを初めとしてだれも彼女を守ることはできない。つまりハロルドには、最初からファレルの頼みを断る選択肢などないのだ。
ハロルドはどこまでも自分本位の第二王子を再度睨んだ。
しかし、目を逸らさないまま結局は頷いた。
「まあ、しかたがないから話に乗るよ」
こちらにも隣国へ行きたい事情があることは言わなかった。エレノアが言うのなら言えばよいが、ハロルドはこれ以上ファレルに交換条件の材料を与えたくなかったのだ。
彼はエレノアが、母の治療法について全く手がかりのない状況にしびれを切らしていることを感じていた。そのため業を煮やした彼女が一人で飛び出してしまうよりは、第二王子という国家間ではこれ以上ない効力をもつファレルと共に行動する方がまだ安心だと考えた。ただし、ファレルはエレノアにとって別の意味で危険だと今や自他共に認めているわけだが。
長年の付き合いでハロルドは、ファレルが少なくとも約束を破る人間ではないと知っている。この男は、傍若無人で自分勝手ではあるが、それゆえ、自分の意思には忠実だ。
旅の間はエレノアに手を出さないと誓えば、見張る人間がいようが居まいが彼は自分の誓いを守るだろう。
ハロルドは出された茶を一口飲んだ。癖が強い味は好みではないが、上質の茶だった。
「指一本でも触れることは『手を出す』に含める」
彼の発言に、今度はファレルが眉間に皺を寄せる。
「お前、硬すぎないか」
「なんとでも言えば」
「緊急時以外、とつけろ」
「エレノアの生命に関わる緊急時以外、だ」
三口も飲めば、茶の強すぎる癖にも舌が慣れた。
友人が、しかも国内で最も権力をもつ男が、自分の恋敵となったことに衝撃を受けはしたが、すでにハロルドは気持ちを立て直していた。




