エレノアの不安
襲撃騒ぎの後始末の裏で、エレノアには困ったことがいくつか起きた。
きっかけは容姿のことだ。
少し前からエレノアは、先輩侍女たちにやたらと化粧や服装について教授を受けるようになっていた。
髪がまっすぐな分様々に結って印象を変えられると髪結いの練習を見てくれたり、焦げ茶は艶が分かりやすい色だからと言って髪の手入れを教えてくれたりする者もいれば、化粧はもとの肌を生かしてほんの少しにしなさいと、薄い色の頬紅を貸してくれる者もいた。このように皆が姉のように面倒を見てくれた結果なのか、廊下ですれ違う他の使用人達の悪口からも「地味」という言葉が消えていった。
そうして自分でもなかなか垢抜けたと思う格好をして、エレノアはコールに会ったのだ。
髪型は緩い編み込みをわざと少し崩して柔らかな印象を作り、顔にはごく淡い頬紅を差した。流行のハイウェストのドレスの色も日傘や靴の色も、夏らしい色合いにまとまっていると先輩侍女のお墨付きをもらっていた。
ところが、久々に会った婚約者はエレノアを見るなり寂しげな顔をした。
似合わなかっただろうかと表情を曇らせたエレノアに、彼は慌てて
「少し見ないうちに変わっていて、驚いただけだよ」
と言ったが、その後はお互いぎこちないまま食事をすることになった。
それでももっと時間があれば、二人とも気分を変えられたのかもしれない。しかしエレノアの休日は1日だけだ。翌朝早くにはまた勤めが始まるため、あまり引き延ばすこともできず、そのままデートは終わってしまった。
落ち込んだエレノアにさらに追い打ちをかけたのは、あの男だった。
「やあ、お久しぶりですね。エレノア嬢」
「・・・ごきげんよう」
冬以来姿を見せなかったヘンリー・イングラムだ。
カーラに退治された彼だったが、彼女の不在を嗅ぎつけたのか、こうして最近たびたび嫌な笑顔で彼女の通り道に立っているのだ。
「また一段と綺麗になりましたね」
この男のために化粧をしたのではない。本当ならコールに言われたかったことをこの男に言われ、エレノアはかっとなった。
「失礼いたします」
無礼と思われてもいいとばかりに足早に通り過ぎようとしたところを、ヘンリーは追いかけてくる。
「待って下さい。少し話しませんか」
「仕事がありますので、これで」
「いや、今日は休みのはずだ。婚約者に会っていた、違いますか」
エレノアはますます腹が立って、立ち止まらずに言い返した。
「婚約者といたことまでご存じなら、なおさら私になど構わないでください」
「その婚約者とやらは別の娘と浮気をしていますよ」
エレノアの足が思わず止まった。
ヘンリーはそれを好機とばかり、彼女の前に回り込む。
「ニコラス・マクレーンは最近夜会で若い娘と楽しんでいます。どうです、あなたが侍女として、国のため今後のマクレーン家のためと働いている間に、奴は浮気をしているんですよ」
「・・・その方は、彼の従姉妹ですわ」
従姉妹、とヘンリーは鼻で笑った。
「ええ、従姉妹でしょうよ。でも、だからどうだっていうんです?社交界での世話役だというなら、四六時中ひっついていないでむしろその娘のために出会いを作ってやるべきでしょう。それをただ二人くっついて広間の隅で話しているんですからね」
さも馬鹿にしたように言う。
「あなたはそんな奴に操を立てていないで、さっさと切り捨てるべきだ」
黙りこんだエレノアに、ヘンリーは手応えを感じたようだった。
エレノアは、心底腹を立てていた。
エレノアは、この男がイングラム伯爵の知らないところで勝手に動いていたようだということを、ハロルドから聞いている。恐らく魔法省への就職に失敗したヘンリーが、伯爵に見切りをつけられることを恐れて息子の忘れ形見であるエレノアを手に入れようとしたのだろうというのが、ハロルドの見解だった。
だからこのとき彼女を支配していたのは、恐怖ではなく怒りだった。
「・・・それで、あなたに乗り換えろとでも?」
思ったより数段低い声が出た。
「え、まあ、そうですね。僕はこれでも伯爵家の人間だし・・・」
「それで」
怒気を読まずに売り込みを開始するヘンリーを、エレノアは遮った。
「え?」
「それで、それがなんだというのです?」
ヘンリーは、ようやくエレノアの怒気に気付き、顔を真っ赤にした。
「失礼いたします」
言葉が出ず固まった男の傍を通り、エレノアは王宮の通用口をくぐった。
コールが従姉妹だという娘と夜会に出ていることは、知っていた。
アイリーンからも聞いていたし、以前コールの口からその存在を聞いたこともある。そのとき、どうやら彼にとっては妹のような存在らしいと思ったことも覚えている。
何も気にしていなかったのは、コールを信じていたからだ。
いや、今も信じている。
ただ、忙しくて会えないことや腕輪の誤解や、いろいろなことによる彼への後ろめたさがあるせいで、少し不安に感じているだけだ。
エレノアは言い聞かせるように胸の中で呟いた。
わざわざそうするのは疑惑を感じているからではないかと、もう一人の自分が指摘するが、エレノアは頭を一振りしてその声を追いやった。
数日後、再びヘンリー・イングラムは現れた。
それからもたびたび姿を見せては絡んでいくので、エレノアは職務に支障をきたしてはいけないと、ハロルドやジゼルに相談をした。彼らはすぐに動いてくれた。
けれど、彼に言われたことについては誰にも言う気になれなかった。
ヘンリーへの対処がすすめられても明らかに落ち込んだ顔をしているエレノアを見て、アイリーンは
「少し遅くなったけれど、夏の休暇をとらない?」
と提案した。
ようやく負傷していたカトレアも戻り、王女の侍女たちにも順番に四日程度の休暇を出すことにしたのだとアイリーンは語った。
「ガーラント領に、一度帰っていらっしゃいな。そうすればいやな顔も思い出さなくてすむわ」
慈愛に満ちた微笑みを浮かべるアイリーンにそう勧められ、エレノアははいと頷いた。




