エレノアの亀の首2
騒ぎの後始末と警戒態勢は夜まで続いていたが、エレノアはアイリーンの指示で駆け付けた他の侍女と交代することになった。
エレノアはその指示に素直に従うことにした。集中を欠いた状態では、アイリーンの側にいても守れない。それに、ひどく疲れていた。
夜の廊下を歩いていくと、忙しげに駆け抜ける多くの人間とすれ違った。普段は走ることなど許されない王宮だが、襲撃の後始末でそんなことを気にしている余裕は無いらしかった。
王宮内でも、使用人の部屋がある北の一角は窓も蝋燭も少なく薄暗い。侍女はそれでも一人部屋をもらえて女中達よりずっと待遇がよいのだが、怖がりのエレノアは普段、夜になってからここを通るのがとても怖い。
けれど、今は疲れ果てそんなことも感じない。いつも指先に灯す魔法の火も出さなかった。
暗いせいなのか疲れのせいなのか、とても長く思える廊下を、エレノアはゆっくりと進んでいた。
「エレノア」
暗闇の中でかけられた声に、エレノアはのろのろと振り返った。
呼び止めたのはハロルドだった。小さな明かりを手にした彼は、息を切らしていた。
エレノアは声を出すのも億劫だったが、こう言った。
「なあに?ここは女性専用の場所よ」
エレノアの反応に、ハロルドは鞭打たれたような顔をした。
しかしそれから、一気に距離を詰めるとエレノアの両手を掴んだ。
そしてその手にすがるようにして言った。
「ごめん。お願いだから、許して。何度でも謝るから。だから、お願いだから、避けないで。エレノアにまた避けられたら、どうしていいか分からない」
他の人間からしたら意味不明な言葉だっただろうが、エレノアには何のことかすぐに分かった。
実際、ハロルドがしたことで、エレノアは大いにショックを受けていた。
ハロルドは敵を倒したが、そのとき使っていたのはどう見ても水の魔力だけではなかった。泥も、亀から生えたあの首も、エレノアが必死に極めてきた土の魔法によるものだ。
エレノアには、それがショックだった。久々の挫折感だった。
「・・・また避けるって」
エレノアは目を伏せ、呟いた。許す許さないの話には、まっすぐ触れる気になれなかった。
「昔、俺が『大嫌いだ』って言ってから、ずっと俺のこと避けていたでしょ」
ハロルドも話がそれたことには気付いただろう。しかし彼はエレノアの言葉に答えた。だからエレノアは、それに甘えてまた話をそらす。
「避けただなんて」
「何を言ってもため息一つで流して、よそゆきの顔しかしなくなった。・・・俺が、ずっと謝りもしなかったのが悪いけど。でも、もう嫌なんだ」
すがりつくように両手を掴んだハロルドの手は、もうすっかり大きいのに、細かく震えていた。
その震えにエレノアはやっと気付いた。
エレノアは唐突に、彼も怖がっているのだと理解した。
あの日と同じように。
妹ができると知ったあの日、納屋で叫んだハロルドを見ていたときと同じように。
あの日、二人は、自分の居場所を妹が奪ってしまうのではないかと怖がっていた。それでエレノアは逃げたし、ハロルドは苛立ちを爆発させた。
今、エレノアは、自分の存在価値をハロルドが奪ってしまうのではないかと怖がっている。
今、ハロルドは、自分の行いでまたエレノアに避けられるのではないかと怖がっている。
ハロルドは、黙り込んだエレノアに不安を感じたのか、両手に力を入れた。
「エレノア、聞いて。俺は絶対エレノアの『亀』を真似しない。できない。あれは長い時間をかけてエレノアが極めた技だから、同じことはできないと、分かっている。俺は、俺の主力は、水で。土は補助なんだ」
ハロルドはエレノアの頭の上で必死に説明する。そうしてたくさんの言葉を浴びせなければ、エレノアの気持ちが解けないというように。
「だから、コントロールの甘さを補うためにああして土で発射台を作ったり、水の威力をかさましするのに使ったり、そんなものだよ。エレノアと同じことは、できないよ」
ハロルドの言葉の中身は、エレノアのお株を奪う気はない、エレノアが不安に思う必要はないということらしかった。けれど、エレノアの気持ちはそれよりも、ハロルドが必死になっているということ自体になだめられていた。
ハロルドは、エレノアに対してはいつも下手くそに話す。外で猫を被っているときにはあれだけ流ちょうになるのにだ。
エレノアは、小さく息を吸った。
「・・・分かったから」
吐息を漏らすように呟いたエレノアに、ハロルドがびくりと大きく震えた。
「もう、分かったから。大丈夫だから、取りあえず放して」
放されない両手に彼の顔を見上げると、せっぱ詰まったような目にぶつかった。いつもはあんなに涼しげな、全てを見透かすような青い目が、暗がりの中でも分かるほど揺れている。
「放したら、逃げない?」
「・・・逃げないわ」
逃げる避けると人をなんだと思っているのかと考えたエレノアだったが、それは言わなかった。実際様々なことから逃げてきた自覚があるし、恐らくもしハロルドがこうして話に来なかったら、また彼を避けてしまっていただろうから。
「よかった」
ハロルドはほっとしたようにそう吐き出すと、エレノアの手を放した。
そしてその手で彼女の身体を抱きしめた。
「ハ、ロルド?」
エレノアは、知らない体温の近さに動揺し困惑した。しかしすぐにハロルドが
「ごめん、ほっとして」
と言って離れたので、ただ頷いて返した。
自分を恥じているようなその口調に、エレノアはもう気にするまいと思った。
「・・・もう、遅いから部屋に戻るわ。ハロルドは?」
魔法省へ戻って王宮警備の見直しがあるというハロルドを見送ると、エレノアは魔法の火を灯した。そして今度こそ自室へと戻った。




