エレノアと冬の戦い4
「僕もあの学校に通っていたから、授業が終わる時間は大体把握しているんだ」
店に入ると、コールはそう言ってエレノアに茶を勧めた。
「来年はきっと、こうしてお茶を飲む機会ももっと減ると思って・・・強引だったかな。ごめん」
彼が謝ったので、エレノアは慌てて首を横に振る。
「そんな・・・わざわざ、学校まで来ていただいて、こうして時間をつくっていただいて、嬉しいですわ」
来年アイリーンの侍女になると決めたのも自分なら、今おかしな事に巻き込まれているのも自分なのだ。それを婚約者が時間をつくってくれたのに、感謝こそすれど文句のあるはずがない。
「でも、本当は迷っていたよね」
「少し、心配だっただけです」
こうしている間も、窓の外にあの狐ににた顔が見えはしないかと胸の奥がざわつくのだ。
せっかくコールが実現させてくれたデートのはずなのに、思うように楽しめないのがもどかしかった。
そんなもやもやを振り切るように、エレノアは話題を変えた。
「コール様は、どんなご用でいらしたのですか?」
「ああ。今日は父の代理で従姉妹の迎えに来たんだ。王都の学校に通わなかった代わりにここ数か月行儀見習いとして他家で侍女をさせてもらっていたんだよ。たしかエレノアより一つ年下だったかな?」
従姉妹を預けた先が大切な取引先でもあるため、領主の代理として挨拶がてら迎えに行ったのだという。今日は王都の屋敷に一泊し、明日の朝には領地に帰るのだそうだ。
それからしばらく、侍女の修行についての話が続いた。
エレノアの猛特訓ぶりがコールには驚きだったようで、あまり無理をしないようにと心配されてしまった。また、コールの従姉妹がやらかしたという新米侍女の失敗談を聞いて、エレノアは先に聞いておいてよかったと感謝した。
またたくまに時間は過ぎ、時計を確認したコールが終わりを告げる。
「・・・名残惜しいけど、そろそろ送るよ」
「はい。本当に、ごめんなさい」
謝らなくて良いのだと微笑んで、コールはエレノアを馬車へと伴った。
ほんの短い時間だったが、それでもエレノアは来てよかったと思った。
そうして二人を乗せた馬車はガーラント家の前に到着した。
「エレノア嬢!ちょうどよかった」
馬車を降りた途端にかけられた声に、エレノアは固まった。
「どなたですか」
察したコールが間に入ろうとしたが、居丈高に下がれと言われてしまう。
「僕は彼女に用があるんだ。せっかく邪魔な弟より先に来たんだ、お前が邪魔をする気なら、伯爵家を敵に回す覚悟があるとみなすぞ」
「彼女は、僕の婚約者です」
「そんなものは簡単に握りつぶせる」
この横暴な相手に、礼儀正しいコールは戸惑っているようだった。
そんなコールを押しのけて彼はエレノアの手を握った。ざっと服の中で鳥肌が立った。
「さあ、今のうちに行きましょう」
「あの、私は」
嫌悪と恐れでうまく断る言葉が浮かばず、エレノアは震えた。
「直接話せばきっとあなたも分かるはずだ」
何が分かるというのだろう、とエレノアは考えた。彼は自分たちが知らない、両家の過去を知っているというのだろうか。それならば自分はそれを聞くべきなのだろうか。コールが止めないのも、だからなのだろうか。
それでも馬車に乗せられそうになると、恐怖の方が勝った。
「放して下さい」
ようやくここにきて屋敷の人間がこの騒ぎに気付いて駆け付けたが、使用人の彼らは声高に伯爵家を名乗る相手にどうすることもできず、期待を込めてコールを見た。
そうして見つめられたコールは、困った顔をしていた。
それを見て、エレノアは不意に悟った。ここで彼に頼ってはいけないと。彼はマクレーン家の跡継ぎで、ガーラントとイングラムのいざこざに巻き込んではいけないと、最初から分かっていたではないか。
デートの余韻でそれを忘れかけた自分をエレノアは恥じた。
「ヘンリー・イングラム様とおっしゃいましたか」
我に返れば、淑女としての声が出せた。
「そうです、さあ」
「いいえ、私は参りません。ご一緒するというお約束はなかったはずです」
エレノア本人にはっきりと断られ、むっとしたのかヘンリー・イングラムの口調が変わる。
「硬いことを言うな、子爵家風情が」
「その子爵家風情に、どのようなご用でしょう」
エレノアはゆっくりと首を傾げた。
手を振り払う力はない、強引に屋敷へはいる力もない、それでも会話を引き延ばすことくらいはできる。
エレノアは自分にできることまでも放り出していたことを恥じた。
「用は、二人きりになったら話す」
「まあ。私、婚約者でもない男の方と二人きりになるような、はしたないことはできませんわ」
そんなことを無理強いなさいませんわよね、とみつめれば、相手がわずかにたじろいだ。
そうして場所は動けないものののらりくらりとかわし続ければ、馬車の音が近づいてくる。それに気付いたのはエレノアだけではなかった。
「もういいから、とにかく乗れ」
ハロルドの帰宅に気付いたヘンリー・イングラムは、エレノアを強引に馬車へ引き入れようとした。
エレノアは必死で抵抗した。
ハロルドの馬車はまだ着かない。
コールがエレノア、と呼ぶ。
手首がもげる、そう思ったときだった。
「うわ!」
エレノアを引き上げようとしていたヘンリーが突然叫んで、仰向けにひっくり返った。
何かに足を滑らせたようなその盛大な転び方に、エレノアは驚いて後ずさった。
「ヘンリー・イングラム殿ではないですか。おや、お召し物が泥だらけですよ。早く帰って洗った方が良さそうですね」
馬車が止まるより早く飛び降りたハロルドが、ヘンリーを睨み付けながら近づいてきた。
そしてエレノアの前まで来るとすぐに彼女を玄関に押し込んだ。
「それでは僕らはこれで失礼します。今日はどなたともお会いする約束はなかったはずですから」
こう言うと、彼はようやく身を起こしたヘンリーとコールを代わる代わる見つめた。
「お気をつけてお帰り下さい・・・イングラム殿も、マクレーン殿も」
彼がばたんと扉を閉めるまで、他の人間は一言も発することができなかった。
それほどに彼の顔には気迫がみなぎり、彼の行動は迅速だった。
扉を自ら閉めたハロルドがくるりと振り返って、エレノアはようやく自分がぼう然としていたことに気付いた。
「エレノア。今日はシンシアと帰るはずじゃなかったの」
「・・・ごめんなさい。あの」
「聞かなくても大体予想はつくよ。ニコラス・マクレーンが迎えに来たんで出かけたんだろ」
ハロルドの口調はいつもよりやや荒く、怒りが滲んでいた。
「ごめんなさい」
「ごめんはもういいよ。それより、あいつと出かけるならあいつにしっかり守らせろよ。誘うだけ誘っておいてエレノアが連れて行かれそうになっても止めないなんて、あの男は何を考えているんだよ」
ハロルドの怒りの矛先がコールに向かったので、エレノアは弁護する。
「私が、悪いの。行くって決めたのは私だし、もともと私の問題だもの」
するとハロルドの青い目が鋭くエレノアを射抜いた。
「当たり前だ。もともとはエレノアが断るべきだったんだ」
「お兄様、ごめんなさい。お姉様に行くよう勧めたの、私よ」
騒ぎに駆け付けていたシンシアが割ってはいるが、ハロルドは一瞥しただけだった。
「誰が勧めようと関係ない。あいつと出かけると決めたのなら、何で責任をもって守らせない。盾にでもなんでもしろよ。何で自分が前に出るんだよ」
「だって、コール様では無理だったもの」
言ってしまってエレノアははっとした。
自分の口から出た言葉の後味の悪さに俯く。
そしてそんな無意識が行動にも表れていたことに、エレノアは今さらながら気付いた。ハロルドが一緒のときは影で無様に震えていたのにコールのときは前に出るだなんて、二人どちらに対しても失礼極まりない。
ハロルドは、俯いてしまったエレノアに一つため息をついた。
「・・・そう、思うんなら、無計画に出かけたことを反省してよ。あいつのためにも、エレノアのためにも」
ハロルドの感情の波がひいてきたことを見てとったのか、すかさずアンがエレノアに歩み寄った。
「玄関先でもありますし、ひとまずお二人とも、お召し替えなさいませんか」
その懇願するような声に、ハロルドは頷いて階段へ向かった。
「エレノア様も、さあ」
エレノアはアンの手に背を押され、のろのろと歩き出した。
彼女は、顔をあげ、前をいくハロルドの後ろ姿を見た。
ハロルドの背は今年も伸び続け、今ではエレノアより頭一つ以上高くなっている。授業で鍛錬があるためか、体つきもエレノアとは全く違ってきた。
先程は馬車の前から強い力で玄関に押し込まれても安堵しか感じなかったのに、今はその大きくなった背中が怖くて、エレノアは深呼吸をした。
「ハロルド」
呼び止めたエレノアの声は小さかったが、ハロルドは踊り場で振り返って彼女を見た。
真っ直ぐ向けられた青い目にまた俯きたくなる気持ちを抑えて、エレノアは自分も彼の目を見つめる。
「頼ってばかりなのに、勝手なことをして、本当にごめんなさい。それなのに、助けてくれて、本当にありがとう」
自分に対する情けなさと、恐怖から解放された安堵と、ハロルドの怒りへの怯えなど、いろいろなものがごちゃまぜになって涙が出そうだった。
涙を堪えて見上げていると、ふいにハロルドが目を伏せた。
「・・・もう、分かったから。早く着替えなよ」
そう言って再び歩き出したハロルドの姿が見えなくなると、エレノアは堪えきれずに一筋涙をこぼした。
結果的にこのつきまとい行為は、ハロルドの要請を受けたディラン経由で、欠席中のカーラに伝えられた。そして彼女の「駆除するわ」という伝言の後ぴたりとやんだ。
「結局、何が目的だったのかしら」
「分からないけど、カーラ嬢はヘンリー個人へ対処したんでしょ。とりあえずはイングラム伯爵が他の手を打ってくるのか、様子を見るしかない」
ハロルドに言われ、エレノアもそうねと頷いた。
「それにしても、カーラは何をしたのかしら」
あれだけしつこかったヘンリー・イングラムが、学校でもハロルドを見るだけで逃げていくようになったという。
「敵には回したくないな」
ハロルドは、ひどく真剣な顔でそう言った。
前話のきりが悪かったので、早めに投稿しました。じめじめした話が長く続いてすみませんでした。




