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エレノアと15の夏の誘い

最高学年となった15歳の初夏、エレノアの亀は一応完成を見た。

一応、というのは、訓練を積んでも危機察知で卒業したカトレアに及ばなかったからだ。それでも防御力では火にも水にも物理攻撃にも360度鉄壁と言える域に達したため、ホールデンは「この亀はある種一級品だよ」と言ってくれた。

カーラは「亀を越えたわね。ゲンブと呼んでもいいかしら?」と意味は分からないがどうやら誉め言葉をくれた。


夏はこの国の社交シーズンの盛りである。そして同時に学生にとっては、就職活動の始まりでもある。

王立女学校には中等部の上がない。また、王立学校の方も中等部を卒業後、高等部に進むのは学者や医師を目指す一部の者だけである。そのため就職を目指す者にとっては男女ともに、実質この夏が勝負の季節なのだ。

もちろん女学校の生徒は大部分が社交と箔付けのために学校に来ており、就職組は少ない。それでも卒業後すぐに結婚をする予定の者や高位の貴族の家で花嫁修業を行うといった者もおり、補講を受けている者だけではなく皆が将来を見つめる、これまでとは違った夏となった。


「エレノアは、どうするの?」

アイリーンが聞いたのは、そんな夏の始まりのことだった。

エレノアは言葉に詰まった。

ここにきても、彼女はまだ自分の将来像を明確にできていなかった。

エレノアにはニコラス・マクレーンという婚約者がいる。最終的には彼と結婚してマクレーン家に入るのが自分の人生なのだとは思っている。しかし、一緒に学んできたカーラが早々に就職希望先へ挨拶に行ったという話を聞けば心がざわめくし、去年卒業したカトレアが王宮で侍女として働いていると聞けば羨望の思いがわく。

アイリーンは、答えに窮したエレノアを責めることなく、優しく微笑んだ。

「すごく難しい顔になってしまったわね。それでは、どうしたいのか聞いてもいい?」

これは、ホールデンにも聞かれたことだ。彼は「いろいろ後が怖いから」と訳の分からないことを言うだけでエレノアを勧誘することはなかったが、教え子の先行きは気になるようだった。

そのとき答えたことを思いだしながら、エレノアは吐息を吐くように口にした。

「このまま、アイリーン様のおそばにいたいです。おそばにいて、何かあったら、少しでもお守りしたいです」

しかしそれが簡単ではないことは、エレノアにも分かっている。正式に王宮の侍女になるのは、今までの見習いというアイリーンのお客様のような立場とは違うだろう。第一侍女に採用されたとしても、アイリーンのお付きの侍女になれるかどうかは分からない。また、家どうしの間で結婚の話が今後どう進むのかも問題だ。

そんな様々なことを考え出すと、エレノアは逃げ出したくなる。それを堪えるのが精一杯で、何も動くことができずにいた。

女であるエレノアに、父のウィリアムがこの先どうするのかと聞かないのをいいことに。

「まあ。そんなふうに考えてくれていたのね」

アイリーンの声に、思考の淵から浮かび上がったエレノアは顔を上げた。

ここにいたっても子どものような希望を口にする自分を王女がどう思うのか、分からなかった。アイリーンの性格を考えれば、馬鹿にしたりすることはないだろうとは思ったが。

そうして心配な気持ちで顔を見れば、王女は微笑んでいた。その普段の五割増しで輝く笑顔に、エレノアは目をみはる。

「ありがとう、エレノア」

その笑顔と言葉をもらえただけで幸せだ、とエレノアは思った。

しかし、アイリーンはエレノアが何か口を開く前に一歩彼女に近寄り、そっと手を握った。

「私も、卒業しても、そばにいて欲しいと思っていたの。私の、侍女になってくれない?」

信じられない気持ちで目を見開いたエレノアに、アイリーンは念を押すように言う。

「危険な目にもあわせるかもしれないし、大変なことも多分あるわ。でも、エレノアが侍女になってくれるなら、私は貴方に恥じないよう頑張るわ・・・駄目かしら?」

「駄目だなんて!うれしいです、とても。信じられなくて。あの」

焦って言葉が出てこないエレノアに、アイリーンはまあ、とはしゃいだ声をあげる。

「じゃあ、なってくれるのね?うれしいわ!もちろん、お家の方や婚約者の方の許可がいるのは分かっているわ。でも、エレノアさえそう言ってくれれば、きっと何とかできるもの。ありがとう!」

言おうとした不安材料を全て先に押さえられ、礼まで言われたエレノアは、こちらこそありがとうございます、としか言えなくなった。

アイリーンはそんな彼女の両手をぎゅっと握りしめて、その勢いでさらに距離を詰めた。

至近距離に近づいたところで、アイリーンがそっと耳元でささやく。

「『女王』の侍女に、なってくれてありがとう」

え、と聞き返そうとしたところで、少しだけ離れたアイリーンが口元に人さし指を当ててにっこり微笑んだので、エレノアはもう、かくかくと頷くしかなかったのだった。


「歓迎するわ!エレノア!」

ばんと開かれた扉から入ってきたのはカーラで、エレノアはそのことに驚く。

気付けば教室にはなぜかエレノアとアイリーン、そして王女のお付きの侍女しかいなかったのだ。

カーラが何かの手を使って皆を引き離していたのだと、エレノアはやっと気付く。

「歓迎するということは、カーラはもしかして」

「そうよ。アイリーン様の侍女よ」

なるのよ、と言わなかったことで、すでにそうなのだとエレノアははしたなく口をあんぐりあけそうになって慌てて閉じる。前々から妙に事情に通じていたり、王家とつながりがあったりといったカーラの謎がようやく解けた。

「これからも遊べるのね、エレノアと」

「これからも遊べるのね、エレノアで」

大きな驚きの後では、些細な言葉のおかしさなど気にもとまらず、エレノアは、今度は二人によって握られた手を、ただただ強く握りかえした。



アイリーンは「なんとかできる」と言い切ったものの、エレノアには筋として自分で許しを得ておかねばならない相手が居た。

翌日、訪問の許可をもらうとエレノアはコールを訪ねてマクレーン家の屋敷を訪れた。

「アイリーン王女様の侍女に?」

エレノアの話を聞いたコールは、さほど驚かなかった。

エレノアの思う以上に、王女が誰を好み何を行うかは貴族の関心事だ。王女が卒業後に親しいエレノアを取り立てることは周囲の予想の範囲内だったのだ。

そのため、コールは思い詰めた表情のエレノアを見て察したらしかった。

彼はミルクを入れた紅茶を一口飲むと、微笑んだ。

「早く結婚したい気持ちはあるけど・・・でも、王女様がお望みで、エレノアもそうしたいのなら、いいと思うよ」

エレノアが王宮に出仕することになれば、当然結婚の準備は遅れることになる。

しかし幸いコールはこう言ってくれた。

さらにマクレーン家の当主は、この話を大層喜んだ。貴族にとって自国の王族の側に仕えるのは誉れあることだ、と丸顔をいつも以上に赤くしてエレノアを激励してくれた。

そのため残る懸念は、ガーラント家の家族のみとなった。


エレノアは勿論、王女の誘いをもらったその日の内にウィリアムへ相談したのだ。

しかしウィリアムは母にも相談しないと、と答えを伸ばした。

彼女としてはウィリアムさえ良いと言ってくれれば母の意見は問題ではなかったのだが、当の父がそういうものだから、じりじりと待つことになったのだ。

ちなみに反対しそうなハロルドとアンは、意外にも肯定的な意見だった。

「せっかく技を磨いたんだ、急いで家庭にはいることもないしね」

というのがハロルドの反応で、アンの方は、

「エレノア様の望むようになさるのが一番です」

という答えだった。

「危ないからやめろと言われるかと思ったわ」

拍子抜けしたようなほっとしたような気持ちで言えば、アンはこう続けるのだった。

「エレノア様が、以前の何かに追われているような顔ではなくて、希望にみちた顔をなさっているからです」

そうして、

「本当によろしゅうございましたね」

と眩しい者を見るように目を細められたので、エレノアは恥ずかしいようないたたまれない気持ちになって、アンのエプロンに顔をうずめた。

方々に話が通り、エレノアはいよいよ母の反応が待ちきれなくなった。

ウィリアムが手紙を出して数日が経って、早馬でようやく手紙が着いた。

届いた答えは、エレノアが望むのならばというものだった。

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