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エレノアの梅雨の思い出

建国祭が終わり、都の季節は春から夏へと移り変わっていく。

王都は海から遠い上三方を山に囲まれているため、この時期から蒸し暑い。特に長雨が重なったこの週は、本を読んでいても湿気でページがうまくめくれないほどだった。

「王都の方が涼しいと思っていたのに」

今年王都で初めての夏を迎えるシンシアは、ぐったりとソファーに同化している。

ガーラント領は王都よりも南方だが、海からの風を遮る山がないため割合さっぱりとした気候だ。

エレノアは少し苦笑した。彼女の方は背筋を伸ばして優雅な姿勢をとっているが、夏ばてをおこしている妹にそれを求めようとはしなかった。

「私も初めの年は驚いたわ」

「そういえばエレノアは・・・いや、なんでもない」

何事か言いかけてやめたハロルドに、シンシアがソファから起き上がる。

「なんですか?お兄様。何を言おうとしてらしたの?」

「なあに、ハロルド?何を言おうというのかしら?」

きらきら期待に輝く目と、きりりと圧力をかける目とに、両側から挟まれたハロルドはといえば、

「・・・図書館に用事があったんだ」

もちろん逃走した。背中に妹の盛大な非難を浴びながら。


ハロルドは馬車を出そうという侍女の言葉を断り、雨の中外出する。

雨脚は弱く、霧雨程度だ。半分濡れながら歩けば家に籠もっているよりも涼しく感じた。

特に用事はなかったが、ああ言った手前、出かけなかったと分かればシンシアがうるさい。ガーラント家の次女は、見た目は砂糖菓子のようだが、案外しつこくこだわるのだ。そんなところは姉妹でよく似ていると、ハロルドは思った。

エレノアの顔が浮かんだところで、先ほど言おうとしたことも一緒に蘇った。

王都へ来た最初の年のことだ。

エレノアは8才、ハロルドは7才になった年だ。

最初の戸惑いを乗り越えたエレノアは、この頃学校生活に全力投球していた。

そして学校でも折れることを知らなかった当時のハロルドは、出る杭として先輩や高位の貴族に打たれていた。家ではおくびにもださなかったが、嫌みや陰口だけではなく物が隠されたり転ばされかけたりと、物理的にもいろいろしかけられたものだ。

ただし幼少期にそんなことも経験済みだった彼は、これらに傷付くこともなく、ただ面倒な厄介事をどう始末するべきかと考えていた。そうして涼しい顔をしていると、張り合いがないと早々に飽きる者が多かったため、ハロルドは涼しい笑顔という猫をめきめき成長させた。ただしそれが一部の者にはますます気にくわなかったようだが。

反対に、何をされても堪えた様子なく、淡々と授業で相手を完敗させるハロルドに興味をもって近づく者もいた。その筆頭がディランであり、ファレルだ。

「お前・・・凄いな!腹が真っ黒だ!」

突然現れたと思えば大笑いしてくれた王子に、最初は笑顔の下で唖然としていた。今となれば魔力を見ていたのだと分かるが、当時はただの暴言だと思い、自国の王子がこれかと愕然としたものだ。

ハロルドより二つ上のディランは、王子のお目付役だったようでファレルの口を慌てて押さえていた。


その、ディランが家を尋ねて来たいと言ったことがあった。

「いいじゃないか、ゆっくり話したいこともあるしさあ」

ディランは軽い奴だがハロルドに何かすることもないし、侯爵家の人間だ。当時のハロルドには特に断る理由も見あたらなかった。そのため家の者に確認してから、とにっこり笑顔で返事をしたのだ。

しかし翌日、ハロルドはディランに丁重にお断りをすることになる。

その日も雨が降っていた。前日も前々日も雨が続いていたため、王都は上から下までじめじめと湿っていた。

ガーラント家の馬車に乗り込むと、かすかに花の香りがした。湿度が高い日は鼻が利く。エレノアだろう、とハロルドは思った。エレノアの方が早く学校が終わるので、帰りは彼女の迎えが先になるのだ。

そのかすかな香りを感じながら、ハロルドは目を閉じる。

雨で人出が少なかったためか、馬車はいつもよりも順調に進んだ。わずかな休息の間に馬車は屋敷へとたどり着き、ハロルドはまた笑顔を作って御者に礼を言う。

玄関を入る、また侍女に笑顔を向ける。

決められた手順と考えれば、それも大して苦ではない。

そうして静かに談話室の扉を開けたところだった。

「エレノア様!」

「なあによう、アンったら。誰もいないときくらいいいじゃないのお」

「だから!ああもう!」

言うより早いとばかり、アンが少女のスカートを引っ張りに走る。

「・・・」

ハロルドは無言だった。

さすがに笑顔が作れず、驚きをあらわにしてしまった。

ソファに寝転がっているエレノアは、膝上まで裾をからげていた。その上緩めた襟元を手であおいでいた。

貴族の令嬢なら親兄弟にも足首より上を見せることは無い。それなのに、子供とはいえ今エレノアは腕から膝から、日にさらされない白い肌を思いっきり露出していた。

「あ・・・あら、ハロルド。帰っていたの?」

あわてて取り繕うにも、無理やりたくし上げた袖がなかなか降りない。

別に、とハロルドは思う。

別に、ただ細いだけのまだ女らしさのかけらも無い足や腕が出ていたからといって、何も感じない。

彼女は数日前から暑さを侍女にこぼしていたから、暑いからとあんな格好をしていたのだろうと予想も付いた。

ただ、それとこれとは別だと思うのだ。この家にはハロルドもいるのだし、それを気にしないでまるでいないかのように振舞うのはどうなのだ。

ハロルドは、眉間に思わず力が入るのを感じた。

「さすがにどうなの」

口調もだいぶぶっきらぼうだったが、取り繕う気にもならなかった。

エレノアは、そんなハロルドに一瞬ひるんだような顔をしたが、珍しく、だってと言い返してきた。

「だって暑いんだもの!だってダンスの授業で汗もかいたし、むしむしするし!」

半泣きになった彼女をアンがはいはいとなだめる。

ハロルドは腹立ちがおさまらず、そのまま部屋を後にした。

廊下を歩きながら、もし今日、急にディランを招くことになってはしたない身内の姿を見られていたらと思いついてぞっとする。

そしてエレノアが今後もああならない保障はないと考え、やはりディランの訪問は自分のもとで差し止めようと決意した。


「お帰りなさい」

談話室の扉を開ければ、エレノアがそう声をかける。

「ただいま。シンシアは?」

「ぐったりしていたから、あのこのばあやが部屋で休ませているわ」

シンシアに追求されないことにほっとしながら、ハロルドは借りてきた本を机に置いた。

エレノアはゆっくりと扇で風を送りながら、果実水を飲んでいた。

王都の気候に慣れても、エレノアは実のところいまだにこの蒸し暑さに弱い。淑女らしく座っているのは、努力してのことなのだ。

ハロルドはやや気だるげな彼女に近づく。

「ハロルド?」

わずかにエレノアが首を傾げるが、ハロルドは彼女の手からグラスを取り上げた。

魔力を糸のようにほんの少しだけ放出し、凍れとささやく。

するとグラスの中の液体は白く結晶を作り出した。

「まあ。冷やしてくれたの?」

目を見開く彼女の頬に、グラスを返してやる。

「冷たい。ありがとう、ハロルド」

笑顔を向ける彼女を見ると、ディランの訪問許可を再度取り消さねばという気持ちがわいてくる。それは以前とは違う意味合いでのことだが、今思えば当時は気付いていなかっただけでもしかしたら根は同じだったのかもしれない。

「どういたしまして」

そう返しながら、なんにせよこの長雨も悪くはないと、ハロルドは微笑むのだった。





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