エレノアと猫
こんなにすぐに、どなたかに読んでいただけたことに驚いております。拙い文章を読んでくださって、どうもありがとうございます。
「マナーの授業がほとんどなのね。」
エレノアはため息をつく。
「王立女学校は、令嬢の為の学校ですから。学問よりも令嬢としての教養が重視されるのでしょう。」
エレノアがいるのは、王都に構えた子爵家の屋敷だ。帰って来るなり自室にも戻らずに談話室のソファに座り込んでしまった彼女に、領地の屋敷からついてきてくれた侍女のアンが、お茶を差し出す。
まずは部屋で着替えを、など言いたいことはいろいろあろうが、ここのところ落ち込み気味のエレノアを見ている侍女は見逃してくれた。
エレノアは、ティーカップを両手で持ち上げた。優雅な令嬢ならば美しくつまむように持つところだろう。これにもアンは何も言わないでくれた。掌にじんわり伝わる温かさと彼女好みの茶葉の香りがエレノアを慰めた。
「もっとこう、家庭教師の先生と勉強するのとは違うことを教えてもらえると思っていたのに。」
マナーの話ばかりなら、母達のいる家で家庭教師に教わっても同じではないか、と思えてくる。勿論、本当は学校だからこそできる人間関係や、王立女学校卒業の肩書きの重要性はエレノアにも分かっているのだが。むしろ、聞きかじったその辺りの有益さに引かれて、『自慢の姉』への近道だと思った節もある。
アンがくすりと笑う。
「それでしたら、ハロルド様から王立学校のお勉強について伺えばよろしいんですよ。」
良いことを思いついたとばかりに微笑む侍女に見えないように、エレノアは顔をしかめた。ハロルドになんて聞けるわけがない。ハロルドは、エレノアを嫌いなのだから。
「僕に何か?」
「あら、ハロルド様。」
折悪く入ってきた弟の声に、エレノアはのろのろと顔を上げる。
「エレノアお嬢様が、王立学校のお勉強についてお知りになりたいと仰っていたんですよ。」
「言ってないわよ、そんなこと。」
「僕もまだ、たいしたことは習っていないけど。エレノアが知りたいのなら話すよ。」
僕って誰のことだ、とエレノアは呻く。弟は入学後のわずかな期間でめきめきと成長している。身長もそうだが、後は主に猫を被る方面に。わずか8歳にして末恐ろしいことだとエレノアは思う。
ハロルドは屋敷の中でも猫を被っている。もともと感情を隠すのが上手だったが、最近は微笑んで貴公子っぷりを演出するようになってきた。素材が良いので、そんな演技がよく似合う。屋敷の侍女たちも可愛らしい「ハロルド様」には甘い。
ここで性格がよくなっただとか、紳士的になっただとか考えないのは、エレノアと二人きりのときの姿を知っているからだ。
「お湯をもらって参りますね。」
ハロルドの分のお茶を用意しようと、アンが退席する。すると彼は、さっさと猫を放りだした。
「で、何が知りたいって?話してエレノアに理解出来るかは分からないけど。」
「・・・その猫、こんなに被ったりはいだりしてたらすぐばれるわよ。」
「ご心配なく。俺は大丈夫だから。」
エレノアはため息をついた。
そう、彼は今まで通りだ。エレノアに対しては、美しいが無愛想で、認めたくないが姉より出来の良い、今まで通りのハロルドだ。
嫌いなエレノアには、猫を被るほどの手間もかけないということだ。
「別に、教えてもらわなくていいわ。アンが早とちりしただけ。」
「へえ?」
その細められた目が、俺に教わるのがしゃくだからじゃなくて?と言わんばかりに見えるのは自分の考えすぎだろうか、とエレノアは頭の中で呟いた。
実際、弟に馬鹿にされながら教わるなんてまっぴらだ。だって、それじゃあ姉として立つ瀬がない。
エレノアは、ハロルドには言わないが、シンシアだけでなくハロルドにとっても自慢の姉になりたいとこっそり思っていた。それがこの出来の良い弟相手だとすごく難しい。それにハロルドはエレノアなんて姉と慕っていない。それでも、そうなれたら、散々負かされてきたハロルドに、勝てる気がするから。
エレノアは背筋を伸ばし、ティーカップを優雅につまみ上げた。
「ええ。私はまず、自分の学校で学ぶべきことを残らず学び尽くすつもりだから。」