エレノアの侍女見習い
冬の一番長い夜に行われる冬中祭。
これは、一年間を振り返り、過去の罪を見つめる日。他の二つの祭りとは性格が違う。懺悔された罪は天から降る白い雪に清められ、罪を告白した人間は新年の訪れを告げる鐘の音と共に穢れのない身となってまた新たな一年を迎える。
この国は真冬のこの日、全土が白い雪に覆われるのだ。
「本当に、帰らないのですか?」
アンに確認され、エレノアはにっこりと笑って頷いた。それはもうどんな言葉でも意思を変えないというような、鉄壁の笑顔だった。
「何度も話したように、今年は帰れないの。アイリーン様のお誘いがあるから」
本当は帰りたくないエレノアに、丁度よくアイリーンが誘いをかけてくれたのだが。
ハロルドもそれなら帰らないと言ったが、彼はウィリアムに手紙で説得されたようで、渋々旅支度を終えている。
「・・・あの、さ」
歯切れの悪い言い方はまさか説得する気かと鉄壁の笑顔で振り返るエレノアに、ハロルドは「違うから」と否定した。
「本当は明後日、話したいことがあったんだ」
明後日というのは、冬中祭の当日にあたる。
エレノアは首を傾げた。
「私、何かハロルドに謝らないといけないことをしたかしら?」
「そうじゃなくて」
じっと見上げると、ハロルドが狼狽したように青い目を泳がせた。
口元を隠した手の、長い指がエレノアの目に入る。うらやましいくらい長い、綺麗な指だ。
しげしげと観察していると、ハロルドは一歩後ろに下がった。しかしそこから思い直したようにポケットから何かをとりだし、そのままその手を前に伸ばした。
「これ」
押しつけるように渡されたのは小瓶だった。
「なあに?あら、魔法?」
瓶の中には少量の液体が揺れている。意識を凝らせばかすかな魔力が感じられた。
「頼むから、明後日、深夜の鐘が鳴る前にそれを皿に注いで」
ハロルドの口から出た「頼む」という言葉に、エレノアは驚いた。彼はエレノアにも、屋敷の他の誰にも頼み事をしたがらないのに。
そのためエレノアは、考えるよりも先に頷いていた。
「分かったわ。明後日の夜ね」
こうしてエレノアは屋敷の皆より一足先に、小瓶の入った荷物と共に馬車で出発した。
行き先は王宮だ。アイリーンが、真冬の最も寒いと言われるこの数週間を南の離宮で過ごすため、その侍女見習いとして同行することになったのだ。すでに3度目となる紺色のお仕着せも着慣れたもので、準備は万端だ。
冬中祭は、昔から家族で過ごすという風習がある。そのため王宮の人々も交代で休暇をとらせて地元に帰すので、人手が不足する。
「本当は、離宮に行かなければその分警備も楽でいいのだけれど」
「まあ、年に一度使うことで、普段目の届かない地方の視察にもなる」
王宮の建物は管理にもかなりの費用と人手が掛かっている。それがきちんと管理されているかを見ておくのも必要なことなのだと、王子が説明した。
そう、王子だ。
エレノアは何故かアイリーンの部屋にいるファレルを、半眼で眺めた。
確かに避寒に行くのに、アイリーン一人ではないとはエレノアも思っていた。双子の兄であるファレルは、その同行者として最も有力だ。しかし、ここまで四六時中一緒にいるとは想定外だった。
「ファレル殿下。アイリーン様のお支度もありますし、そろそろ・・・」
ベテランらしい侍女がにこやかに促したが、彼は全く気にした様子もない。
「いや、俺のことは気にしなくていい。続けてくれ」
「私が気にするから出ろと言っているのよ」
アイリーンが空色のスリッパを投げつけた。エレノアは無言でそれを回収する。このやりとりは、実のところすでに数回目である。
すでに旅仕様のドレスが準備され、あとはアイリーンが着るのを待つばかりだ。
「別に今さら見ても妹だし中身じゃないし・・・」
「変態!」
スパンスパンと往復でスリッパが唸り、さすがの王子も口をつぐんだ。
エレノアの仕事は、アイリーンの特別大事だという手荷物を運ぶことだった。
「それがないと、どうにも落ち着かないの」
恥ずかしげに笑うアイリーンは大層愛らしく、また彼女が自分に砕けた口調を向けてくれることも喜ばしく、エレノアは頬をバラ色に染めた。
もう一つ、ベテランらしき侍女から言われたのは、いざというときにアイリーンを守ることだった。
「王女様の警護には騎士団がついて行きますが、万が一ということがあります。王女が寝室にはいるまで、交代で常に側に付き従ってください」
エレノアが『亀』を使えることは皆知っているようだった。同行するもう一人の侍女も防御の魔法を使えるらしい。
『亀』の改良は着々と進み、今ではホールデンに太鼓判を押される強度で、6歩ほど歩ける大きさを半時は維持できる。残る課題は危機察知だが、ベテラン侍女はエレノアが正直にそう言っても、気にする様子はなかった。
「・・・まあ、変態なりに役には立つので」
呟きの意味は分からなかったが、とにかく自分の最善を尽くそうとエレノアは小さく拳を握った。
馬車でもアイリーンとファレルは一緒だった。向かい側にファレルの侍従のクリスという青年と並んで座り、エレノアは落ち着かないながらも賑やかな時間を過ごした。
アイリーンとファレルは、並べて見ると本当によく似た双子だった。淡く輝く金の髪に、美しい緑の瞳。まぶたの描く曲線も優美な鼻の角度も同じで、腕の良い絵師が丹誠込めて描いた天使の絵を眺めているようだった。
しかしその片割れは馬車の中でも相変わらず勝手気ままで、アイリーンやエレノアをからかったり、そのたびスリッパで叩かれたり侍従に足を踏まれたりしていた。
この道中で、エレノアの持った手荷物の中身がピンクのスリッパだと判明した。
「お気に入りなの」
頬を染めてスリッパのレースを指でなぞるアイリーンに、エレノアはまた天使のように可愛らしいとうっとりする。
「それが一番硬いからだろ」
ファレルの指摘は、耳に入らなかったことにした。
途中の街で休憩と転移を挟む。
魔法による転移は高度の技で、現状では、特殊な訓練を受けた魔法使いが決まった目標に向けてしか使えない上、移動距離も限られている。そのため一行は国の要所に配置されている魔法省の施設に立ち寄り、転移と馬車移動を繰り返した。
エレノアにとっては初めての転移魔法である。手にした鞄の柄がカタカタと鳴るほど震えてしまい、ファレルに「恐がりだな」と笑われた。しかしアイリーンが「私も苦手だから」と手を握ってくれた。
目を閉じていても、身体がずずっと何かに引きずり込まれるような感覚は鳥肌が立つものだった。
転移の場所が迫るとだんだん顔色を悪くするエレノアに、しまいにはファレルまでが「手を握るか?」と言うほどだった。もちろん王子の申し出は、彼の侍従と妹によって厳重に却下された。
そのようにして最先端の魔法技術を使いながらも、離宮へ到着したのは夕食前のことだった。
「ファレル殿下、アイリーン殿下、ようこそいらっしゃいました」
ずらりと居並んだ離宮の使用人に、アイリーンが優雅に微笑み、口を開く。
「出迎えどうもありがとうございます。滞在中、よろしく御願いしますわね」
ファレルの方はにこりと微笑んだだけだった。
その後の移動中も夕食中も最低限しか口を利かない王子をいぶかしんでいると、クリスがそっと教えてくれた。「口を開かなければぼろが出ませんから」との説明に成る程と深く頷くエレノアだった。
その後アイリーンは早々に就寝し、エレノアの初仕事は終了した。




