エレノアの弟
※2/3、中盤に魔力量についての説明を追加しました。いつもご指摘ご感想ありがとうございます。
「エレノアちゃん、ファレル殿下と踊ったんだって?」
いつものことだ相手にするな、と彼は自分に言い聞かせる。
しかし努力もむなしく、水の龍は予定のコースを外れた。
「あーあ、ハロルド君たら簡単過ぎるよ。君、左右の制御が甘いね。イメージするとき片手で操っているよね?」
「はい。両手に切り替えますか?」
ハロルドは話の前半と自分の動揺を敢えて無視して答えた。
ホールデンも髪を抑えながら頷いた。
「それがいいね。君の場合対象が大きいから」
今、二人がいるのは学校の屋根の上だ。
大規模な攻撃魔法を使う生徒が集められ、学校の上空で制御の訓練をしていた。
この規模の魔法を使えるだけ魔力量の多い人間は限られ、そのため屋根の上は閑散としている。
今いるのは大体、先日ホールデンから祭りのバイトを持ちかけられた人間だ。
例外として、ファレルもいるが。彼は先ほどから、少し離れた場所でペンを片手に何か書き付けている。不可視で力を使っている生徒の魔力の気道を、正確に書き留めるように言われているらしい。彼は魔力自体を色のついた光として見ることができる。
「・・・今、何か考えたね?」
ハロルドは舌打ちを堪えた。両手で操っている水の龍は、若干ファレルのいる左側へと航路がずれていた。
ホールデンはやれやれとため息を隠しもしない。
「君はさ、常に年の割に自制心も集中力も強い方だったよね。家のことだって自分のことだって、何を言われても軽く流せるのに、どうしてそんなに簡単に気持ちが乱れるんだろうねえ」
「先生、それは授業と関係があるのでしょうか?」
ハロルドは自分の龍から目を逸らさずに返した。第一、敢えて乱しているのは貴方ではないか、と思いながら。
そのホールデンは、軽く肩をすくめた。
「授業なら言わないかもね。でも、君は僕の誘いを受けただろう?」
はっきり言われずとも、ハロルドは先日のバイトのことを言われているのだと悟る。
魔法省の手伝いを引き受けた、それは卒業後魔法省で働く意思があると示したことになる。つまりホールデンは、魔法省を目指す気ならば今のハロルドでは力不足だと、そう言いたいのだろう。
ハロルドはため息をつくと、両手を下ろした。水の龍が空中にかき消える。
「僕の集中力の弱さを指摘してくださっているのは分かりました。しかし、そのことと、気持ちの乱れの原因を掘り下げることは関係がないのではないでしょうか」
術を使っている最中に、こうして耳元で囁くホールデンがいなければいいだけのことだと、彼は考えた。
ホールデンはにやりと笑う。
「いやいや、関係は大ありだよ」
この軽薄な笑いが、ハロルドは苦手だ。
おまけにホールデンは、ハロルドの肩に馴れ馴れしく手を回してきた。
「なんです」
振り払いたいのを堪えて咎めると、甘ったるい笑いがますます深まる。
「あのさあ、ハロルド君。君の魔力量は他の人間よりかなり多いんだ。でもね、実は君、本来使えるはずの魔力の半分しか使えていないんだよ」
魔力量は人によって違う。それは生まれ持った体質とも言えるもので、ファレルに言わせると『魔力のつぼ』の大きさの差なのだという。そのつぼをいかに使いこなすかで、魔法使いとしての能力が決まってくる。魔力量が少なくても、効率よく使うことで技の威力や持久力を上げることもできるし、特性を見極めて精度を上げることもできる。ただし、魔力量が大きければその分伸びしろが大きいわけで、やはり有利だ。
「半分・・・ですか」
それは枯渇を避けるというより魔力を使いこなせていないという次元だ。事実ハロルドは、今も授業時間内に魔力を枯渇直前まで使い切るよう指示され、そのつもりで技を使っていたのだ。
「そう。それでも人より大きな技が使えているし、成績は優がつくから気付いていないでしょ。けどねえ」
職業として魔法を極めるのならば、そこで満足する訳にはいかないのだ、とホールデンの目は言っていた。
「どうしてだと思う?」
「は?」
「どうして、君は力を出せないのだろう。君の心を制限しているのは何だろうね?」
ハロルドは答えられなかった。
「エレノア・ガーラントは変わったよ。彼女は自分を見つめ直して、強くなった。じきに一人前になるだろう」
はっきりと口にされた名前に、ハロルドは居心地悪く身じろぎした。
ホールデンは男子生徒を「君」付けし、女子生徒ならば「ちゃん」付けで呼ぶ。それをしないのは卒業生を呼ぶときだ。彼はエレノアを、保護対象の生徒から一人前の使い手として評価したのだろう、とハロルドは悟る。
「それで、ハロルド君はいつまで中途半端男でいるつもりなの?」
ホールデンはにやにやと人の悪い笑みを浮かべると、他の生徒の元へ歩み去った。
ハロルドは、無言で向き直って両手を構えた。すぐに見慣れた水の龍が現れる。
透明な龍は、何もない空中をぎくしゃくと頼りなく飛んでいった。
ハロルド・ガーラント。
この名前は、彼の三つ目の名前だ。
最初の名前は、ある伯爵家の息子としてのものだった。
しかし生みの母は彼が生まれるとすぐに身体をこわし、そのまま亡くなった。すると、婿養子だった父とハロルドは、伯爵家の親戚達に追い出されてしまった。
その辺りはハロルドも幼かったので記憶していない。ただ、事実として、父と共に父の実家である子爵家へ戻ったと知っているだけだ。
そうしてハロルドは二つ目の名前を名乗るようになる。
そこでも、出戻りの三男坊である父とハロルドは厄介者だった。家を継いだ長男は軟弱なウィリアムを嫌っていたらしく、その態度は彼の息子達にも伝わった。
「ごめんね、ハロルド」
意地悪をされて戻ってきたハロルドを抱きしめて、いつもウィリアムは謝った。
その父が、兄の命令で行った夜会でガーラント子爵家の女領主と出会い、ハロルドは三つ目の名前を得る。
そしてウィリアムとハロルドは、ガーラント家に住まいを移した。
この頃には、ハロルドはすっかり子どもらしさをなくし、大人びた子どもと言われるようになっていた。大人しく礼儀正しくすれば、大抵の大人は自分を邪険にしない。加えて能力が高いことを示せば、家の役に立つ人間として一目置かれ、さらに同年代への牽制となりうる。数年の居候生活で得た子どもなりの処世術だった。
「エレノア、ウィリアムとハロルドよ」
挨拶させられたのはつややかな焦げ茶の髪を水色のリボンで結んだ、小さな女の子だった。
ガーラント家に一つ年上の娘がいることは聞かされていた。父親と共に会いに来たがそれまで会えていなかったので、彼女を見たのはそのときが初めてだった。ただ、すでに何度かの空振りで彼女の印象は悪かった。
ハロルドは、新しい住まいでの居心地を少しでもよくするため、培った処世術を淡々と行使した。
しかしどうしてもエレノアを大人しく姉さんと呼ぶ気にはなれなかった。
「女の子を泣かせるんじゃないよ」
ウィリアムは何度も言った。けれど、手加減しようとも優しくしようとも思えなかった。
エレノアが勝負に負けるたび、大きな目に容易く涙をにじませるから。ハロルドから見れば全く問題にならない程度のことで庭に逃げ出すから。ハロルドにはいない優しい母親がいて、生まれたときから住み慣れた家があって、使用人達に愛されて・・・それほどに恵まれているのに、いや恵まれているからこそ、彼女は逃げていくのだ。ゲームのコマを片付けながら、ハロルドはそれを冷ややかに見送っていた。
妹が生まれると聞いた日、ハロルドはイライラしていた。いつも通り逃げ出したエレノアになのか、そんな彼女を青い顔で捜す大人達になのか、自分でも分からなかった。
偶然入った納屋で彼女を見つけ、罵ったとき、ぶつけた苛立ちは本心だ。しかし彼女に対するものだけではなかったと、後から思ったのも事実だ。
そのとき彼女が言ったことを、ハロルドは今も覚えている。
「貴方も、心配?」
彼女は罵ったハロルドに驚いたような顔をした後、気遣うようにそう言った。そして、それまでの落ち込みが嘘のようにけろりと立ち直って先に立って歩き出した。その顔に、決意をたたえて。
拍子抜けすると同時に、彼女に興味が沸いた。エレノア・ガーラントは、臆病で自分より幼いところのある子供だが、どうやらそれだけではないようだと、そう思った瞬間だった。
臆病なはずのエレノアは、自分から王都の学校に入学を希望した。さらに、家庭教師の話を非常に熱心に聞くようになった。入学してからも、しばらく戸惑っていたようだがその内結果を出し始めた。彼女は臆病な甘ったれなだけではなく、前向きで努力家だった。
ただし、ハロルドがエレノアを見直した瞬間、彼女の方はハロルドに線を引いたようだった。それは淑女という仮面で接することで示された。
「何かご用?」
とエレノアは、家の中でもハロルドにだけ淑女の構えを崩さない。
心配しても、からかってみても、全て小さく息を吐いて流される。
本心だったとはいえ酷い言い方をしたのだから当然のことだが、ハロルドはエレノアによそゆきの顔をされるたび、むしゃくしゃする気持ちを堪えられなかった。
ハロルドがエレノアを見た途端、エレノアは彼に背を向けて歩き出した。




