エレノアの情報
エレノア・ガーラントとは。
ガーラント子爵家の長女にして、王立女学校中等部に在籍中の14才。
女学校きっての秀才で、成績は常に上位を占める。
今年の夏に社交界デビューを果たした。
亀という妙技で王女アイリーンの命を助けたことで有名。
また、デビューするや否や孤高の第二王子からダンスの誘いを受けたことで、社交界の噂の的となっている。
「・・・噂になってどうするのよ」
パコンと兄の頭を叩く。
今日のスリッパはピンクのレース付きだ。アイリーンのスリッパは消耗が激しいので、常に10足は部屋に常備されている。
叩かれたファレルは慣れているので避けもしなかった。
「お前が、自分で行けないから代わりに見てこいと言ったんだろう」
「そうだけど、誰も踊れとは言っていないわ」
ファレルはこれでもこの国の王子なのだ。おまけに見た目だけは良いときている。普段あまり夜会に出ない美貌の第二王子がデビューしたての娘を誘ったとなれば、そこに嫉妬や邪推が絡んでくるのは目に見えている。
「エレノアには婚約者だっているのに・・・」
ゆっくりと関係を温めているらしい初心な少女が、ファレルのせいで困ったことになっていないといいとアイリーンは思う。
ファレルはといえば、あああの影の薄い奴、などと言っている。彼に掛かれば、記憶に残るほど印象の濃い人間の方が少ないのだが。
「・・・そういうこと、エレノアの前では言わないでよね」
ぴんと来ない顔をしているファレルに、ため息混じりに説明する。
「大事に思っている相手を悪く言われたら悲しいものでしょう」
「へえ、エレノア・ガーラントはあんなつまらなそうな男が好みなのか」
少しずれたところに反応する双子の兄に、アイリーンは拍子抜けする。
「好み・・・まあ、金髪碧眼が好みらしいけれど。誠実そうだし、婚約者としてはいいお相手よね」
「金髪碧眼?あれは金か?金というのはもっと・・・」
「ともかく。いいわね?」
首をすくめつつも承諾したファレルを横目に、アイリーンは思う。ファレルは・・・口は悪いが、彼の言っていることは大抵真実だと。
アイリーンは書類の束をめくった。
「うん、やっぱりいいお相手よ。ニコラス・マクレーン。マクレーン子爵家は代々堅実に領地を運営しているし、今の当主は国王寄りらしいわ。エレノアとニコラスの婚約も、彼女が私と親しくなってから両家の当主が決めたものだし」
「それは、アイリーンにとって『いいお相手』ということだろう」
これも真実を指摘されてしまったが、アイリーンは澄ましてファレルを見つめた。
「そうよ。でも、私にとっていい相手なら、エレノアにとってもいいことでしょう」
「エレノア・ガーラントがお前に仕えたいと望むなら、だろう。まだ本人に了承も得ていないくせに、勝手な言いぐさだな」
アイリーンはファレルにスリッパを投げつけた。しかし珍しく彼がひょいと避けたので、ピンクのスリッパは床に落ちる。毛足の長い絨毯が衝撃を吸収し、スリッパは音すらたてなかった。
「エレノアは私のものよ」
「・・・確かにエレノア・ガーラントには裏がない。アイリーンに向けている好意も本物だろう。お前が言うには性格は努力家で真摯。しかしそれは、王宮の生活に馴染むかでいうと困難だ。むしろ、馴染もうと努力する分苦しむぞ」
アイリーンは唇を噛んだ。
いつもいつも、王女である彼女にはしがらみや損得に絡んだ言葉や視線が向けられる。同性であればそこに嫉妬が混じることもある。そんな中で、エレノアがくれるまっすぐな好意が、アイリーンには嬉しい。それはエレノアが世間に疎いせいもあるのだろうが、それでも手放せないと思う。
入学当初、誰もがアイリーンの動向をうかがうばかりで、授業を真面目に受けようともしなかったころ、アイリーンは途方に暮れていた。まだその頃のアイリーンは、今ほど自分の影響力を知らず、また今ほど上手く人を動かすことができずにいた。
授業中、自分がすでに学び終えた内容だったためペンを持たずに聞いていたアイリーンは、他の生徒が皆その真似をしだしたことに気付いて愕然とした。とはいえ、急に自分が熱心に授業内容を書き付け始めるのも見え透いた手だ。さあどうしたものかと思ったとき、一人だけ熱心にメモをとっている少女を見つけた。それが、エレノアだった。
アイリーンはすぐに彼女に声をかけたわけではない。王の娘である彼女には、潜在的な敵が多い。しばらくじっくりと見守り、信頼できる筋から素性を調べた。そうしてエレノア・ガーラントという少女が、どうやら本当に他意無く、他の少女達がメモをとらないのはアイリーンに倣ってのことだと気付きもせず、学習に集中しているらしいと理解した。意を決して話しかけてみれば、エレノアはアイリーンの姿に驚いたように目を丸くし、名前で呼んでと言えば嬉しそうに、恥ずかしそうにその頬を染めた。
エレノアは、嘘がつけない。今でこそ淑女の振る舞いを覚え、雄弁すぎる眼差しを伏せたり扇で口元をさりげなく隠したりといったことができるようになったが。
その目から伝わる真っ直ぐな好意を寄せられるたび、アイリーンはまたよそで優雅に仮面を被る力を得る。
彼女が失敗しながらも熱心に踊り、魔法を使うのを見るたび、アイリーンは制限の多い窮屈な自分の身を一時忘れることができる。
アイリーンは、ぽつりと呟くように言った。
「私が、友だちにそばにいて欲しいと願ってはいけないの?」
「そうは言っていない」
珍しく表情をゆがませるアイリーンに、ファレルはため息をついた。
「ただ、苦しいことは、自分で選んだのでないとすぐ逃げたくなる。だから、外堀を埋めようとするのはやめた方がいい」
アイリーンは、手元の書類を見た。
そこにはガーラント家の情報やマクレーン家の情報、エレノアの生い立ちから現在までが細かに書かれている。
最近の部分には、カーラとエレノアが非公式に王妃の控え室からショーを観覧したことも載っており、その許可にはアイリーンが一枚噛んでいた。カーラを喜ばせたいのは勿論だが、本来知るはずのない内情にエレノアを触れさせ、少しずつこちら側にとりこみたいと思ったのも確かだ。
しょんぼりと眉を下げたアイリーンに、ファレルは拾ったスリッパを手渡しながら付け足した。
「まあ、泣いて逃げても戻ってくるしぶとさはあるようだが」
それがつい先日のデビューの日を指していると気付き、アイリーンはきっとファレルを睨んだ。
「いろいろ言った割にファレルだってエレノアと踊ったのじゃない!」
スリッパが振りかぶられる。
今度こそファレルも避けなかった。




