エレノアの決意
エレノアは鏡を見てはため息をつく。
焦げ茶の髪は長いだけ。金色でもなければウェーブもしない。
瞳は青いと言いたいけれど、青と言い切るにはやや暗い気がする。
お母様のように美しい金髪ならよかったのに、とエレノアはいつも思う。
そうでなくとも、黒髪と青い目が白磁の肌に際だつハロルドのようならばと。
古くからいる使用人は、「エレノア様にはエレノア様の、ハロルド様にはハロルド様の美しさがあります。」と言ってくれるが、7つとなり屋敷の外に出ることも増えた最近では、出かけた先で人々にほうっと感嘆の声を上げさせるハロルドと自分の容姿では比べるべくもないと知っている。
「エレノア様、奥様がお呼びです。」
奥様という言葉にも慣れた。母は再婚し、再び奥様と呼ばれるようになった。
ここしばらく、母は体調が悪く食事も共にしないことが多かった。その母から呼ばれたのなら、エレノアが喜んで行かない訳がない。
「すぐ行くわ。」
眺めていても変わるわけではない。エレノアは鏡台の前から潔く立ち上がった。
メイドに案内された先には、長いすに並んで座る両親と、そしてハロルドがすでにいた。エレノアは遅くなってすみませんとわびた。
娘が腰を下ろしたことを確認すると、母はメイドにお茶を用意させた。機嫌の良い母の金髪を、エレノアはぼんやりと見ていた。少し痩せたが、相変わらず美人だ。
「お母様、お加減は?」
「ありがとうエレノア。もうだいぶいいのよ。」
にこやかに言う母に、エレノアはほっとした。
「今日は二人に大切なお話があるの。」
二人に、ということは父はもう知っているのだ。大人同士の話があることはわかるが、エレノアよりも新しい父の方が母に近しいようで、先ほど緩んだ頬に少し力が入る。
「改まって、どのようなことですか。」
ハロルドが先を促すと、母は父へとちらりと笑みを向け、それから子ども達に向き直った。
「実はね、二人に兄弟ができたの。」
エレノアは母の言葉が直ぐに理解できなかった。兄弟?と口の中で繰り返し、ハロルドを見、気付けば馬鹿みたいに言っていた。
「・・・え?また、再婚したのですか?」
あんまりな発言に父のウィリアムは咳き込み、ハロルドからは軽蔑の目を向けられた。
「ご、ごめんなさい。あれ、でも、え?」
混乱するエレノアに、母は笑う。
「もう嫌だわエレノアったら。ここよ、ここ。」
そうしてそっと撫でたお腹は前より心なしかふくらんでいて、ドレスも病み上がりのためかと思っていたがゆったりとしたラインで。
大事に撫でられたそこに、新しい命が宿っているのだとようやく理解したエレノアは、自分の発言に真っ赤になり、それから彼女の頭の中は真っ白になった。
「こんなところにいたの。」
かけられた声に、ちらっと目をやり、直ぐにエレノアはまた顔を背けた。
「父様も母様も探している。」
ハロルドは藁の山の下からエレノアを見上げた。
エレノアは、納屋一杯に積まれた藁の上で膝を抱えていた。もう7つになってレディの教育も始まっているのに、彼女が逃げてくるのは庭の外れも外れ、こんな場所なのだ。ここにはウィリアムもハロルドも来ないはずだったから。
そこにハロルドが現れたことに、エレノアは腹を立てた。
「こないで。」
「家中で探しているんだから、俺だけ探さない訳にいかないんだ。しかたないだろ。」
さも迷惑そうに言われ、さらに腹が立つ。
「探さなくてもそのうち戻るわ。でも今は戻らない。だからどこかに行って。」
地団駄踏むように叩きつけた足が藁を蹴散らして、ハロルドに降りかかった。
それを腕で払いきれずに被ったハロルドは、珍しく眉間に皺をよせていた。
「あ・・・。」
わざとでなくとも気分的に謝ることも出来ず、エレノアは固まる。そのほんの数秒で、ハロルドは藁の山の頂上にたどり着いた。
「・・・。」
無言で藁を投げつけられ、エレノアは抗議の声をあげようときっとハロルドを睨み・・・そして、首を傾げた。
「怒っているの?」
頭から藁をかけられればたしかに普通腹を立てるかも知れない。けれど、ハロルドが怒気を露わにするところを、それまでエレノアは見たことがなかったのだ。
「・・・吐き気がする。」
「え?」
さらに首を傾げて、自分を見上げるエレノアを、ハロルドは睨み付けた。
「お前みたいに甘やかされた奴を見ていると吐き気がするんだよ。逃げて隠れてれば誰かが探してくれると信じてるんだろ?甘ったれ。お前なんて、だいっ嫌いだ。」
エレノアの口がぽかんと開く。
エレノアは、驚いていたのだ。大嫌いと言われたことは、不思議と腹が立たなかった。むしろどこかでああやっぱりと、納得している自分がいた。
それよりもエレノアは、ハロルドがこんなに自分の感情をはっきりと話したことにびっくりしていた。
エレノアはしゃがみ込んだまま、ハロルドを見上げた。
黒髪の影になってもはっきりわかる眉間の皺。
それでも損なわれることのない彼の美貌は、こんな時でも稀有なものだと思わせる。
お父様はそうでもないんだけどな、とエレノアは考えた。癒し系のウィリアムとハロルドはあまり似ていない。死んだ父に似たエレノアが母に似ていないように。新しく生まれる母とウィリアムの子どもは、どんな顔をしているのだろうか。少なくともどちらかに似ているのだろう。
そこまで考えている間、ハロルドは先ほどの饒舌が嘘のように黙りこくって立っていた。
その肩の線が、エレノアにはいつもより心なしか下がって見えた。
考えてみれば、暗くなってきたこの時間に、両親がハロルドに自分を探すように言うとは思えない。
ハロルドは、エレノアを探せと言われたわけではなくて、むしろ自分と同じように一人になれる場所を探してここに来たのかもしれない、とエレノアは気付いた。
「ねえ、ハロルド。」
ハロルドは返事をしなかった。それでもエレノアは、彼が聞いていると分かった。
「貴方も、心配?」
何が、とは言わなかった。
ハロルドも聞かなかった。
そして彼は否定もしなかった。依然ただただ眉間に皺を寄せて自分を見下ろしているハロルドに、エレノアはすうっと煮えくりかえっていたものが落ち着いていくのを感じた。
「戻るわ。」
エレノアが滑るようにして藁の山を降りると、黙ったままのハロルドもそれに続いた。
納屋を出ると、エレノアは腰に手を当ててハロルドを振り返った。
「ハロルド。私、生まれてくる妹の、自慢の姉になることにしたわ。」
その晴れ晴れとした笑顔に、ハロルドは目をみはる。
「・・・まだ妹か弟か分からないけど。」
「妹よ。私、可愛い妹がほしいもの。」
「何それ。大体エレノアが『自慢の姉』って、無理があるでしょ。」
「失礼ね。なるったらなるのよ。」
生まれてくる、父と母の両方の血を引く子ども。その子どもが、ガーラント家の一番大切な子どもになってしまうのかもしれない。長女であるエレノアでも、出来の良い男児であるハロルドでもなく。けれどその子どもが、自分を愛してくれれば。慕ってもらえる姉になることができれば。
そうすれば、まだこの家に自分の居場所はあるのだ。
妹ならば、ハロルドの居場所はなくならないのだ。
絶対負けてなるものかと、エレノアは拳を握ってずんずん歩いた。