第八話 「闇」
●2日後 茶 南風
美奈子の失踪は、関係者を青くさせた。
死鏡を破壊、依代になっていた美奈子は鏡より解放されたと判断していた水瀬達は特に、だ。
「鏡は、破壊されていなかったの?」
ルシフェルは納得できないという顔で水瀬に言った。
「あの時、鏡は間違いなく破壊されたはずだよ?私も確認した」
「僕もそうだよ。でも」
水瀬は黙った。
「……何?」
「あれが、本物だという保証は出来ない」
「じゃ、ニセモノがあんな騒ぎを?まさか……」
「多分、あれは、鏡の分身だったんだよ。破壊されて力を失った。だけど、それは本体には何の被害ももたらせていない」
「分身?」
「手応えがヘンだったっていったよね?あれは本体を破壊していなったからなんだ。いくら尻尾を切っても、トカゲ本体が死ぬことはないのと一緒。これで繋がったよ」
水瀬自身は、妙に納得した顔でお茶をすする。
「桜井さんは、今度は本体に乗っ取られた。分身が乗っ取った体だもん。本体ならずっと楽だよ」
「あのね?」ルシフェルは水瀬に訊ねた。
「だとしたら、美奈子ちゃんを乗っ取って何をするつもりなの?」
「わかんない。可能性としては」
水瀬は茶碗をテーブルに置いた。
「本体がそろそろ保たなくなったってことかな―――あっ。来た」
店に入ってきたのは、理沙だった。
「お待たせ」
「お姉さん、どうしたの?随分やつれているけど」
目の下の隅といい、「私、疲れ果てています」という顔の理沙の顔を見つめつつ、水瀬は心配そうに言った。
「何日も寝ていないって顔だよ?」
「その通りよ」
理沙はなげやりに言った。
「10年前の事件にまでかかわるハメになって。おかげでここんところ、ロクに寝ていないわ」
理沙はハンドバックから封筒を一枚取りだして水瀬に渡した。
「はい。幼稚園に保存されていたものよ。探す間中、園児の世話させられて大変だったんだから」
「園児に発砲しなかった?」
「お尻触ってきたガキに威嚇発砲した程度よ」
封筒の中身は写真。
幼稚園の集合写真だ。
「どれ?」
「この子」
理沙が指さしたのは、一人の女の子。
「なるほど、ねぇ」
水瀬は感心したように写真を見つめると、持っていた一枚の写真と共にルシフェルに手渡した。
尚武で智代をあやすルシフェルを、博雅がケイタイのカメラで撮った写真。
「水瀬君、これって……」
「ルシフェ。そういうこと」
「?」
テーブルに置かれた写真。それは10年間の歳月を無視した子供の写真。
同じ子供が、同じ園児服を着て無邪気に笑っていた。
「他人のそら似っていうにしては、話がうますぎるわ」
「お姉さん。現場から指紋、とれた?」
「ダメ。10年だもん。でも、幼稚園にね?この子の書いた絵と一緒に、手形が残っていたわ」
「手形?」
「子供の成長の記念にって、よくやることよ。ま、親心ってやつね」
「お姉さんは全く縁がないことだね」
いいつつ、水瀬がポケットから取りだしたのは、ビニール袋に入ったサンマドロップの缶。
「指紋、調べて」
「これは?」
「今、尚武にいる子の指紋が採れるはずだから」
「……わかったわ。で」
理沙は剣呑な目で水瀬を見つめつつ、言った。
「私が親心と縁がないって、どういうことか、説明してくれる?」
翌日、学校にかかってきたのは理沙からの電話。
驚きを隠せない理沙に比べ、水瀬は平気な顔をしていた。
10年
10年の間、変わることないよう、成長を止めたとでもいうのか?
「それで、お姉さん。須藤智代の在籍は確認できた?」
「だめ。葉月市周辺の幼稚園や保育園まで調べたけど、都筑智代でもね。何しろ」
「?」
「厳密には、須藤美桜は結婚していないわ」
「え?」
「婚約者が一年戦争で死んでいるのよ。刀の修理師でね。本当は尚武の跡取りになるはずだったのよ。あの戦争で、前線で刀剣の修理に関わっていて……」
「そう、なんだ」
「第2次洞峠攻防戦で未帰還。死亡認定されている」
「……」
「おかげで、美桜さん、精神がおかしくなってね。今は戻ったらしいけどさ。数ヶ月前まで、婚約者と自分はすでに結婚していて、後は子供を待つだけだって思っていたそうよ。病院で聞いたわ」
「じゃ、美桜さんは……」
「病院で受けた不妊治療は、正しくは精神治療。確かに効果があったらしいわよ?美桜さん、精神状態がそうだったから、ホルモンバランスとか全部崩してしまってね。生理も止まっていたのよ。で、不妊治療にかこつけて、治療が施されたのね」
「当然、子供はいない。と」
「その「いないはず」の子供の指紋だけが残っている」
「うん……」
「10年前に死んだ都筑智代と、何者なのかわからない須藤智代の指紋が一致したなんて、何の悪い冗談よ、これ」
●尚武
「あれ?」
放課後、尚武に立ち寄った水瀬とルシフェルは、ドアにかけられた案内板を見て、首をかしげた。
『本日は終了しました。またのご来店をお待ちしております』
もう夕方だ。
ということは、今日は休みか?
水瀬は主の自宅の方に回った。
チャイムを押すが、反応はない。
「……」
●明光学園前派出所
「都筑、ですか?」
巡査長は、その名を聞いた途端、苦い顔をした。
「あいつの件は、私がここに配属されて最初の事件でした。いや、ヤクザというより、銀行だか内勤の連中みたいなイヤな感じのする奴でした」
「キレ者ってところ?」
巡査長の出してくれたお茶を飲みながら、理沙は話を聞いていた。
「そうです。マトモな世界でやってれば、それなりに成功したでしょうね。とにかく尻尾をつかませない。お仲間の連中ですら、最後まで、アイツがどこに金を隠していたか知らなかったと聞いた時は、笑いましたがね」
「身内ですら信じていなかったの?」
「アイツは、血が凍っていたんですよ」
巡査長は、憮然とした顔で言った。
「人間、どうすればああも冷たくなれるかって位、ね」
「会ったことが?」
「そりゃ何度も。敵対するヤクザがね?アイツの家に襲撃かけたこともあるんですよ。その度にこちとらが出動するわけで。そうすると、事情聴取ですら、法律がどうのこうの、権利がどうのこうのって追い返しにかかる。挙げ句が、民事不介入だの、マスコミだの国会議員だのに知り合いはヤマほどいるって脅しにかかる。やってられませんでしたよ。言っちゃわるいですけどね?あの火事で行方不明って聞いた時は、死んだなんて考えもしませんでしたよ。ああ。こりゃ、逃げたなって」
「死んだって信じられなかった?」
「ええ!だってそうでしょ?あいつは人間の皮被った蛇だ。冷血動物――いや、機械で出来た悪魔だ。あいつのしでかした企業犯罪で、何人が死んだかはご存じでしょう?やれ自殺だ何だで。一家心中に追い込まれた奴の現場にも行きましたよ。そんな奴が、どうして人間らしく“死ぬ”なんてマネが出来るはずがないとね」
「因縁――かしらねぇ」
「おや?元官僚が、因縁なんて信じているんですか?」
「信じているから、出世街道から追い出されたのよ」
自嘲気味に笑う理沙の茶碗に茶をつぎ足しながら、巡査長は言った。
「ま、あのヤマで岩田警部やあなたのとった判断が正しかったことは、現場の連中なら誰でも理解してますよ。でね?警部補。因縁といえばもう一つ、あいつが住んでいた所、昔、何だったかご存じですか?」
「住宅街?」
「違いますよ」巡査長は笑って否定した。
「もっと前です」
「?」
「幕末まで、あそこは刑場だったんですよ。しかも、死体捨て場」
「鈴ヶ森は知っているけど」
「それは江戸市内です。葉月は市外、この一帯では唯一の刑場ですよ。人食い穴っていう、大きな、多分鍾乳洞だと思いますけどね?そんな穴があって、死体はそこに捨てられた。便利だからって選ばれたんじゃないですか?大正の頃には埋まっていたそうですけど。しかもね?警部補、あいつの家は、その真上に建っていたんです。知った時はふさわしいところに住んでやがるって笑いもしましたよ」
「へぇ?」
「この近隣の処刑は全部引き受けていたそうでね。年間刑死者は千人近く。江戸開府から260年近くとすれば、26万人ですかね?あそこで死んだのは。記録だともっと古く、鎌倉くらいですから、あいつの家、人食い穴はそれだけの人を喰ってきたんですよ」
「因縁だけで幽霊でるなら、品川のあたりは今頃大変なことになっているわよ」
「鉄道敷設にあわせて、近衛が総掛かりでも除霊に3年だそうですよ。ま、考えてみれば、その後の災害、事件、事故、いろいろあったけど、その犠牲は、どこか因縁なんでしょうねぇ」
「でも、葉月は近衛の軍都でもあるし」
「そこが違うんですよ」巡査長はお茶を飲みながら言った。
「元は演習地です。人を近づけさせないために」
「?」
「ここは陸路と海路の接点。交通の要衝でもありましてね?古くは平安時代の動乱から始まって、この辺は幾度となく戦場になっています。秀吉の関東攻めの際、反逆者を皆殺しにしたのもここ。幕末には江戸攻略を目指す新政府軍と幕府軍が魔法騎士まで動員して戦ったのもここ。昔は言ったそうです。葉月は土も海もまんべんなく人の血で穢れているって」
「あのね?」
理沙は訊ねた。
「よく言うじゃない。葉月湾は元は存在しなかったって。あれって本当なの?」
「そうですよ?あれは魔法騎士の攻撃によるもの。―――ま、魔法が暴発というか、暴走したというのが正しいらしいんですが。とにかく、敵味方巻き込んでの大爆発で発生したのがあのクレーター、そして葉月湾です。一説には両軍合わせて10万が一瞬で消滅。一瞬ですよ?」
「で、その犠牲を隠すために?」
「こんな曰くのある所だから、この辺で時々出る白い石はほとんど骨だっていいます。なにより、葉月湾は原因が魔法でしょう?明治のしばらくまで、この辺一帯、魔力的には異常地帯だったそうで。いわば妖魔の巣窟になったんですよ」
「危険だった、ということなのね?」
「そうです。原因作った近衛は、今でいえば、倉木と同じですよ。ご存じでしょ?倉木周辺を近衛が危険地帯だからって接収したって。ここもそう。一帯を基地だの演習地だのにして、世間から隔離すると同時に港を作りもした。ま、その時の御用商人、加納なんですけどね」
「世の中、うまく出来てるものね」
「うまく立ち回るヤツはどこにでもいるもんです。加納は処刑場だった所にも目をつけて都市まで作った。これが今の葉月市の発足した経緯です。で、軍都とするのにあわせて、近衛に虱潰しにヤバい所を潰させた。何しろ、少し掘ればあちこちで骨の山が出来るところです。かなりてこずったらしいですけどね」
「へぇ」
「所がね?近衛もいい加減なモンで、この葉月のどこかの古墳だか室を利用して、随分厄介な存在――それが何かはわかりせんよ?―を、封印したところが、近衛自身、それがどこだったか、今ではわからないというんです」
「じゃ、その地下には何かがいる。ということね?」
「いた。というべきかもしれません」
巡査は残ったお茶を飲み干した。
●須藤宅
夕暮れの中、水瀬はチャイムを押した。
これで5度目。
数名の弟子が住み込んでいるため、必ず誰かがいるはずだ。
なのに、何故、誰も出てこない?
「どうするの?」
ルシフェルは水瀬に訊ねた。
理沙に連絡して、警察として中を確認してもらうべき。
というのが、彼女の判断だった。
しかし、
「いくよ」
水瀬は塀を飛び越えて庭に入り込んでいった。
「え?み、水瀬君!?」
ルシフェルは、水瀬の後を追った。
●須藤邸 庭
よく手入れされた典型的な日本庭園に面したサッシはすべてカギがかかっている。
「やっぱり、外出してるんじゃない?」
「ルシフェ、郵便受け、見た?」
「ううん?」
「新聞がたまっていた」
「それが?」
「外出しているなら、何故たまっているの?連日店を閉めるなら、主の性格からして、張り紙くらいはしているはずだよ?」
「……」
「おかしい。でしょ?」
「でもね?」
「何?」
「店を閉めて、家の戸締まりもしている。つまり、誰もこの家にはいないと判断するのが普通でしょう?新聞だって、取り忘れているだけかもしれないし」
「うん」
水瀬は、気のない返事をしつつ、裏に向かって歩き出した。
ポケットからは何故かゴム手袋を取りだしつつ。
●須藤邸 勝手口
勝手口も典型的な和風。
植木鉢に植えられた朝顔が蔓を伸ばしていた。
「あった」
水瀬は伏せられた植木鉢の中からカギを取りだした。
「やっぱり、こういうのって、どこも同じなのかなぁ」
「水瀬君。それ、いけないことだよ?」
「ウチだってそうでしょ?」
「カギをここに置くことじゃなくって」
「?」
「カギで何するつもり?」
「ドアをあける」
他に何するの?という顔の水瀬がルシフェルを見た。
「……もう、何も言わない」
「じゃ、土足であがるのも失礼だから、これつけて」
手渡してきたのは靴を覆うビニールカバー。
「……覆面は?」
●須藤邸 屋内
室内は静まりかえっていた。
気になるのは、廊下の照明がつきっぱなしなこと。
そして―――
「ダメ。眠らされている」
廊下に倒れていた若い男の脈をとっていた水瀬が言った。
「すごく強い魔法だね。解呪には時間がかかる」
「この人だけじゃないよ」
他の部屋を回ってきたルシフェルが言った。
「4人位、同じように倒れている。それと、尚武のご主人と美桜さんもいた」
「智代ちゃんは?」
「ダメ。どこにもいない。ただ」
「ただ?」
「美桜さんの部屋、つまり、智代ちゃんの部屋に、これがあった」
ルシフェルが取りだしたもの。
それはパジャマ。
「?」
「美奈子ちゃんのよ」
●大火災慰霊碑 都筑邸跡地
「恨みは晴れていない―――か」
死体発見の報道を知ったものが置いていったらしい花束は、何者かによって踏み散らされている。
『金の亡者!』
『地獄に堕ちろ!』
慰霊塔にはスプレーで呪いの言葉が書かれている。
理沙も、昨晩、警察の目を盗んで地下室に潜り込んだ者がいたらしいと報告を受けている。
皆、都筑に恨みがあるか、都筑の財産が狙いだろう。
死者になった都筑と、死者にここまでする生者と、どちらが業が深いのか、理沙は少し考えた後、立ち入り禁止のテープをくぐった。
――どっちもどっちだ。
それが、理沙の出した答えだった。
●地下室
昨日とは、何かが違う。
理沙の警察官としてのカンは、理沙に警告を発していた。
「……」
地下室の真ん中に経っていた理沙は、無意識に拳銃を抜き、そっと後ずさる。
床
床がヘンだ。
そっと足に力を入れる。
床に走った亀裂が大きくなった。
床が崩れかけている。
――何だ?
ミシ
ミシミシミシ
氷が割れるような音がして、床が崩れ始めた。
自分の体重が重いせいじゃない。
そんなことはあろうはずかない。
少し、ほんの、たかが、わずか5キロほど太っただけだ。
5キロで床が抜けてたまるか。
理沙は出口まで駆け戻り、崩れゆく床を見た。
床は音を立てて崩れ落ちていった。
ドシャン
その音を聞くには10秒以上を必要とした。
つまり、かなり深い。
穴をよく観察すると、白いモノが無数に張り付いていた。
最初、理沙は石だと思った。
しかし、それが違うことは、すぐにわかった。
理沙は、それに戦慄しつつ、巡査長の言葉を思い出していた。
―――葉月は市外、この一帯では唯一の刑場ですよ。
―――人食い穴っていう、大きな、多分鍾乳洞だと思いますけどね?そんな穴があって、死体はそこに捨てられた。
―――大正の頃には埋まっていたそうですけど。
これが、そうなんだろう。
―――しかもね?警部補、あいつの家は、その真上に建っていたんです。知った時はふさわしいところに住んでやがるって笑いもしましたよ。
私だって笑ってやる!
ここを無事に逃げ出せたら、私だって笑ってやる!
理沙は穴に張り付くモノに吐き気すら感じながら、そう思った。
穴に張り付き、はい上がろうとしているモノ
それは、ヒト、だった。
いや、ヒト、だった、モノ、だ。
「―――えっ?」
それが今、理沙の足首を掴んだ。




