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第五話 「美奈子」

 ●翌日 明光学園 屋上

 「といはっても、どうやって鏡を探し出すんだ?」

 弁当を食べ終わった後、博雅から出されたもっともな質問に、ルシフェルはなんでもないという顔でいった。

 「出方を待つの」

 「向こうが騒ぎを起こすのを待つというのか?」

 「そう。簡単でしょう?」

 「しかし、それでは犠牲者が出る」

 「最小限度に押さえるから」

 「いいのか?そんなんで」

 「他に方法がないもの。ところで博雅君」

 「ん?」

 「今晩、ヒマ?」

 「あ?ああ。まぁ、特に予定はないが……」

 「一晩、付き合ってもらえる?」

 「え゛っ!?」

 ルシフェルには食事まで世話してもらっているが、さすがにそれ以上の関係はまだだった。

 その彼女に「一晩」相手を頼まれたのだ。

 博雅は、その突然の申し出に、慌てて答えた。

 「い、いや!ルシフェルさん、そ、それはちょっと早いんじゃ」

 「?」

 「ほ、ほら、まだお互い学生だし、段々と付き合っていくうちに……」

 「な、何……考えてるの?」

 さすがに意味がわかったらしく、申し出たルシフェルの方まで赤面してしまう。

 「そ、そういう意味じゃなくて」

 「へ?」

 「今晩位に、動き出すかもしれないの。だから」

 「鏡が?」

 「そう……」

 ルシフェルの口が、小さく”エッチ”と呟いたようにみえたのは、博雅の思い過ごしではないだろう。

 「わ、わかった。だけど、俺に何が出来る?」

 「博雅君にしか、出来ないこともあるんだよ?」

 「?」

 


 ●明光学園 教室


 教室に水瀬の悲鳴が響き渡った。

 クラスメート達は、ちらと見るや、”またか”という顔で無視を決め込んだ。

 なんのことはない。

 綾乃が水瀬の頬をつねり上げていた。

 「美桜さんの所に行っていたそうですね」

 「お、お見舞いに」

 「私に無断で?」

 「あ、綾乃ちゃん仕事でしょ?治療の必要もあったから」

 「そんなのはお医者様の仕事です!」

 「僕、療法魔導師の能力もあるし、魔素被害の可能性が――」

 「私のと同じじゃないですか!私だって昨日、仕事キャンセルする位、具合が悪くなったっていうのに!私の体調不良の治療が今朝まで延びたのは、そのせいなんでしょう!?」

 

 綾乃には持病がある。

 

 巫女の血を色濃く受け継ぐが故の持病。

 魔素に汚染されやすい体質。

 放っておけば精神的に破綻することもありうる。

 

 それは水瀬も十分承知していた。

 水瀬にとって、それはちゃっちゃと直せる代物と油断していたのも、携帯電話の電源が切れているのを忘れていたのも、事実は事実だ。

 とにかく、結果として綾乃は朝まで放っておかれた。

 水瀬が多忙なら綾乃もまだ納得のしようもあったろう。

 しかし、優先順位を他の女に超されたとあっては、これほど面白くないことはそうない。

 だから、綾乃は怒っていた。 


 「わ、忘れていたわけじゃなくて、いろいろと訳が」


 水瀬にも言い分はある。

 だが、水瀬自身、その言い分が、単なる言い訳としかとられないことは理解していた。

 「どんな訳です?」聞く耳持たないという顔の綾乃。

 「泥棒って話もあったでしょう?尚武は僕ん家も相当取引ある所だし、何かあると家の方でも迷惑するんだ。特に今、お母さんが何品か修理に出しているし、外に漏れるとまずいものがいくつもあるから……」

 「御義母様の?」

 義理の母が出てきた綾乃は、態度を幾分か軟化させた。

 自分のために義母に被害が出たとなると、義理の娘としての立場が危うい。

 そういう打算の末の判断だ。  

 「……仕方なく、なんですか?そうですね?」

 綾乃かそう思いこむのはかなり無理があったが、あえてそう思いこむことにしたのは、そういう訳だ。

 「そ、そうです」

 「……浮気じゃなくて?」

 「美桜さん、病人だよ?ルシフェルや博雅君だっていたし」

 「……」

 水瀬をにらみつけた綾乃は、しばらくの沈黙の後、言った。


 「いいです。今回は大目に見ますが、せめて尚武さんで何が起きているのか、それくらいは教えて下さい」

 「うん。あのね?」

 水瀬はかいつまんで尚武の現状を話した。


 「つまり―――」

 綾乃は言った。

 「美桜さんは、魔素の被害を受けて寝込んでいて、悠理君達は、その現況である鏡を探している、というわけですか?」

 「そういうことです」

 「成る程」


 美桜が既婚者であり、しかも子持ちであることを知った綾乃は、頭の中で美桜の立場を、危険人物から要注意人物へと格下げした。


 「それで、水瀬君はどうするんです?」


 「瀬戸さんと一緒にいる」


 「えっ?」

 心臓が高鳴ったのを、綾乃は確かに聞いた。

 「わ、私と?」

 「うん。危険すぎるから―――えっと」

 そういう水瀬は、カバンの中身をあさって、出てきた物を綾乃に手渡した。

 「はいこれ」

 「何です?」

 手渡されたのはお守り。

 なぜか「安産」と書かれていた。

 「あ、あの……」

 「?」

 「わ、私別に妊娠しているわけじゃ」

 「え?」

 「な、何で安産祈願のお守りなんですか!?水瀬君、私の気づかないうちに、何をしたんですか?責任とって下さい!」

 「え?ち、違う違う!多分、絶対、違うソレ!」

 「じ、じゃあ、なぜ、安産祈願のお守りを!?」

 「え?あ、中身は違うよ?袋が他になかっただけ。中身は対霊防御の護符の詰め合わせ」

 年頃の娘が手にするだけで恥ずかしいお守りを見つめ直し、綾乃は抗議した。


 全く、なんで悠理君は、こういうのはこんなに鈍いんだろう。


 「も、もう少し、考えて欲しいんですけど」


 「?よくわかんないけど、今回の敵に綾乃ちゃんが狙われる可能性が高いから」

 「え?」

 「鏡を使って霊達が強力な力を持ち始めている。霊達が具体的な依代を求めた時のことを考えてのことだよ。この辺で綾乃ちゃん以上の霊媒体質なんて存在しないし、その存在に乗っ取られでもしたら」

 「……」

 綾乃もその意味はわかるし、なりかけた経験もある。

 そんな時は、常に母によって護られてきたとはいえ、その恐怖までを忘れることはできない。

 その恐怖が、綾乃の心を締め付けてきた。

 「私、危ないんですか?」

 「可能性は否定できないし、綾乃ちゃんは護らなければならないもん。大体、今回の事件、メインはルシフェルってことになっているからね」

 「じ、じゃあ」

 「先生と事務所には話はつけてあるよ。今晩の撮影から、僕も護衛任務に就くことになるから。よろしくね」

 「は、はいっ!」

 

 (なんとかなるかな―――ん?)

 不意に、誰かの殺気に近い視線を感じ、水瀬は教室の中に視線を巡らせた。

 (あれ?)

 水瀬と視線があった途端、不機嫌そうに目をそらせた女子生徒がいた。


 美奈子だった。


 

 ●葉月駅付近 某歩道


 むしゃくしゃする。


 予備校の小テストの結果は惨憺たるものだった。

 学校の授業も面白くない。

 部活は出たくない。

 本は読みたくない。

 テレビなんて見たくない。

 何もしたくない。

 ただ、もう、何もかもがイヤだ。

 

 むしゃくしゃする。

 

 予備校の帰り道、美奈子はやり場のない不機嫌さに支配されて歩いていた。

 

 何でこんなに面白くないのか。


 理由は簡単だ。


 だが、その理由を、美奈子は考えたくもなかった。


 普通に考えれば―――。


 よく使われるフレーズだが、それすら、今の美奈子にとって拒絶の対象でしかない。 

  

 思考が停止した状態は、迷路の中をさまよい歩いているようなものだ。

 歩くだけでストレスが溜まる。

 そして、溜まりに溜まったストレスが、さらに思考を停止させてしまう。


 完全な悪循環だ。

 

 彼女は、それを突かれたのだ。


  

 

 ●同じ頃 某スタジオ 楽屋

 「つまり、その鏡は、呪具なんですね?」

 「そう。春に新井君達を襲ったのと似たような物。ただし、こっちのほうが年季が入っているし、性格が悪い」

 「というと?」

 「呪具は道具でしかないはずなのに、道具が主になるんだよ。うんとね?春のは、持ち主と契約関係を結んで、その代償として、主は破滅したとしても、それは主の意志の結果なんだよ。主が望んだことの代償としての破滅だからね。でも、今回のはそうじゃない」



 ●葉月駅付近 某歩道

 外灯の下に何か落ちている。

 美奈子はそれに気づいたものの、興味はない。


 はずだった。


 だが、それは、美奈子を誘うように外灯の光を反射し続けた。


 「?」

 

 それは、古びた鏡だった。

 



 ●同じ頃 某スタジオ 楽屋

 水瀬は綾乃の手作りのクッキーを食べながら続けた。

 「モグモグ―――道具の目的は、道具の使い手を乗っ取って、自分が主になること。自分が主になることで、呪いを現実に起こそうとするんだ。そこに、主の意志は関係ない」

 「道具が道具じゃなくなるってことですか?」

 「そう。道具が主人に、主人が道具―――ううん。道具以下になる」



 

 ●葉月駅付近 某歩道

 (鏡や櫛は拾うもんじゃないよ。縁起が悪いからね)

 死んだおばあちゃんがそういっていた。

 そういうものだと思ってたし、そう思う。

 普段はそんな美奈子だったが、しかし……。


 立ち止まった美奈子は鏡に手を伸ばし―――




 ●同じ頃 某スタジオ 楽屋

 「もし、鏡を手にしたら、どうなるんですか?」

 「その時点で鏡の道具になる。道具になったが最後、死ぬまで道具。というか、鏡は死霊の集合体。そんなものに乗っ取られたら精神が破滅するよ」

 いいつつ、ポケットから水瀬が取りだしたのは一枚の呪符。

 「それは?」

 「前にみんなにあげた御符。憑依に対抗できるし、今回の鏡にも対抗できるほとんど唯一の手段。こんなのでもなければ絶対助からない」

 

 不意に鳴り響く携帯電話の呼び出し音。

 

 ルシフェルからだった。


 「はい水瀬―――え?動いた?……で?……反応が出て、すぐ消えた……うん。うん。わかった。こっちも警戒する」

  

 「動いたって、鏡ですか?」

 「うん。大丈夫。綾乃ちゃんは僕が護るから」

 「はいっ!」

 


 


 その綾乃の安堵は、翌日には消えた。


 家族から届け出が出され、学校も動いた。


 教室では、HRの時間、クラスメートに告げられ、心当たりは残さず申告するよう通達が出された。


 捜索願 


 対象 

 

 桜井美奈子


 

  

 


 「ね、ねぇ!水瀬君、だっ、大丈夫だよね?ね?ねぇっ!」

 HRが終わった途端、水瀬にすがりついてきたのは、未亜だった。

 「未亜ちゃん……」

 「ねぇ!大丈夫でしょ?すぐ、何もないって顔で、学校来るよね!?」

 未亜の瞳からは涙がこぼれ落ちる。

 「うん……大丈夫だよ。きっと」

 「そうだよね?そうだよね」

 

 きっと。


 水瀬はこの言葉が嫌いだ。


 希望的観測がいい結果をもたらせてくれたことなぞ、経験したことがない。


 ルシフェルもそうだ。


 きっと生き残っていてくれている。

 そう言われて、生き残っていた者などいなかった。

 

 彼女も水瀬も、一年戦争でいやという位、味わったことだ。  


 生き死にの世界で、根拠のない希望なんか持つな。

 それは、確かに辛いが、真実の教訓だ。


 だが、それを普通の女の子に諭して、それで何が得られる?

 女の子を絶望に追い込んで、何が得られる?


 何もない。

 

 水瀬もルシフェルも、そこまで冷酷ではない。


 泣き崩れた未亜をクラスメートの女の子達に委ね、二人は教室を出た。

 クラスメートで、二人に声をかける者はいない。

 クラスメートがかけているのは、二人への期待、ただそれだけだ。


 


  

 模範生である美奈子の失踪が騒ぎにならないはずがない。

 しかも予備校帰り、今日は報道部の大切な会議の日。

 失踪する理由はどこにもない。

  

 「まさか、こうなるとは思わなかったね」

 「うん」

 図書館の閉架図書室。

 使われていない閉架図書室は、水瀬達魔法騎士用にあてがわれた部屋。

 いつも二人が密談に使う場所だ。

 緑茶を煎れながら、ルシフェルは言った。

 「呪具が肉体を乗っ取ったのはいい。だけど、反応がないなんてありえないわ」

 「コンシールにしているにしても反応が出ないのはおかしい」

 「四月にあった呪具の事件以降、葉月市内に警戒網張っているって聞いていたけど」

 「たいしたことがないのか、呪具がすごすぎるのか―――」

 水瀬は葉月市の地図を広げてため息をついた。

 「軍事施設に工場に、居住区まで、隠れるところには事欠かないし、葉月市、広いんだよねぇ」

 じっと地図を眺めていた水瀬が言った。

 「ねぇ、ルシフェ」

 「ん?」

 「ルシフェが、呪具だったとして、葉月のどこに隠れる?」

 「そうねぇ……」

 ルシフェルは、お茶を片手に地図をしばらく眺めた後、言った。

 「理由によるわね」

 「理由?」

 「そう。ただ逃げるだけか、目的があるか」

 「ただ逃げるだけなら?」

 「自分が目立たない所。よく言うじゃない。本は本棚にって」

 「ゴミは指定の日に―――なるほどね。具体的には?」

 「市販の地図より、こっちの地図の方が役立つんじゃない?」

 ルシフェルが本棚から取りだしたのは、カギのついた筒。

 「うーん。やっぱりねぇ」

 筒の中には地図が入っていた。

 ただし、地図には「極秘」という朱印が押され、葉月市が細かく色分けされていた。

 近衛が作った葉月市の魔素分布図だ。


 「昨日、探したのはどの辺?」

 「ここから、ここ。軍港前広場から月ヶ丘公園だから、南側半分ね」

 「ふうん。―――で、僕がNTVのある中央から綾乃ちゃんの家のある神代田までだから北半分だよね?」

 「となると、東か西か」

 「手分けして探す?」

 「てっとり早いけど、メドはつけておこう」

 「メド?」

 「危険地帯」

 水瀬が指を指した地図上の箇所は、赤く塗りつぶされている。

 「魔素危険地帯」

 「そ。ルシフェ、こことここは潰してくれた?」

 「うん。感知呪符貼り付けておいたから、反応が出るようにした」

 「さすが。もともと魔素が強い所じゃ、隠れても感知出来るはずがないもんね」

 「でも水瀬君」

 「ん?」

 「反応が出たのが、小谷――中央の隣でしょ?すぐに反応が消えたということは、小谷周辺じゃない?移動の反応がほとんどなかったし」

 「なるほど」

 「でも、危険地帯はないよね」

 「魔素の感知がエラーを起こす原因は?」

 「えっと、強い電磁波とか」

 「そう。ここ」

 

 水瀬が指さした先。

 

 そこは、ラジオ局だった。


 「……」

 なぜか、指さす水瀬は凍り付いた。

 「水瀬君?」

 「すっごくヤバい」

 席を立つ水瀬の顔は青ざめている。

 「?」

 「相手は呪いのプロだよ?僕達、勘違いしている。敵は、ただ隠れているんじゃない。チャンスを狙っているんだ」

 「……まさか」

 察しが付いたルシフェルも青くなった。

 「呪いを広めるのに、電波を利用するつもり?」

 「そういうこと!」

 「どうする?」

 「音源兵器連れてきて!」

 水瀬は携帯電話を手にしながら言った。

 「連絡はしておくから」

 「わかった」

 

 明光学園からラジオ局まではバスで10分ほどだ。

 バスに乗り込んだのは、水瀬にルシフェル、そしてなぜか博雅だった。

 「ち、ちょっと待て!水瀬、どういうことだ!?」

 「手を貸して」

 「授業中だぞ!?」

 「サボるのもいいもんだよ?」

 「いい訳ないだろう!?」

 「公共交通機関で大声出さない」

 「う゛っ……」

 ガラガラとはいえ、さすがに博雅は小声になった。

 「せめて訳位教えてくれ」

 「博雅君の笛が必要なんだ」

 「?昨日の晩みたいに?」

 「演奏中、ルシフェルがべったりっていうのはないけどね」

 ガンッ!!

 鈍い音がして、水瀬は黙った。というか、沈黙させられた。

 頭には大きなタンコブが出来ている。

 痛む拳をさすりながら、ルシフェルが続けた。

 「コホン。美奈子ちゃんを助けるのに、どしても力が必要なのよ」

 「昨日の話では、敵は笛の音に弱いってことだったよね?」

 「うん」

 「だったら、家に寄ってくれ。笛は」

 「ここにあるから」

 どこから取りだしたのか、ルシフェルは豪華な錦織の包みを手渡した。

 「開けていいのか?」

 「うん」

 不思議なときめきを感じながら、博雅は包みを開ける。

 包みの中身は、古ぼけてはいるが、かなり手の込んだ箱があった。

 蓋を開ける。

 「笛――か?」

 「そう。葉双はふたつ

 「え゛!?」

 「楽聖と呼ばれた源三位博雅の所有していたというアレ」

 「あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 いつの間にか博雅は箱の中身を拝みだしていた。

 「あ゛あ゛の、ルシフェル?こ、これ、どこで、どうやって?」

 「近衛府の雅楽寮から借りてきたのよ」

 「だっ、だだだだだって、ここここここれ、これは、帝国博物館に」

 去年、博物館秘蔵展に展示された葉双を見るため、博雅は受験勉強を放り出して何度も通っていた。

 いわば神にも等しい品。

 博雅の顔は青ざめ、滝のような脂汗がしたたり落ちる。

 「あれ?レプリカよ。こういう値打ちモノを、持ち主がそう簡単に手放したりしないもの」

 「持ち主はともかく、おい―――本当に、これを吹くのか?俺が?」

 「音が出たらね」

 「?」

 「玄象じゃないけど、その笛もかなり吹き手を選ぶんだよ。だからお蔵入りしていたの。たしか、晴菜親王くらいじゃないかな?今、それ吹けるの」

 晴菜親王――。

 現代の楽聖とされるほど、雅楽の分野では天賦の才に恵まれているとされるまさに天才。博雅より年下だが、雅楽の世界では、その若さと身分に関係なく、世界的に高い評価を受けた存在。

 そして、奏者を選ぶことに関しては類を見ないとされる玄象を難なく演奏してのける唯一の雅楽奏者だ。

 「お、俺に吹けるのか?」

 「やってみて、ダメならまた考えるよ」

 

 FM葉月

 地方ラジオ局だが、東京近県に幅広いリスナーを擁し、ことアナウンサーやDJは中央のメジャーなラジオ局すら質的に凌駕する、全国的に知られたラジオ局だ。

 局の隣にはコンサートなどで利用される多目的ホールがあり、綾乃のコンサートなども頻繁に行われている。


 「やっぱり、ここにいたね」

 ラジオ局に入るなり、水瀬とルシフェルは顔を見合わせた。

 ラジオ局の発する電磁波で増幅させているらしい魔素の濃さに、息が詰まりそうになる。

 「お、おい……こりゃ、何だ?」

 博雅が口を押さえながら聞いてきた。

 「別に臭うわけじゃないが、なんだか気分が悪くなる。ラジオ局って、こんなものなのか?」

 「普通は違うと思うけど、感じ方は正しいよ」

 「水瀬君、地下だね。これ」

 「うん。えっと」

 壁に張り出された施設の見取り図には、地下は書かれていない。

 「ラジオ局には圧力かけてある。地下には誰もいないはず。非常口から入れるよ。行こう」

 


 ボイラー室や発電室が設置されている地下は迷路のようになっていた。  そして、居合わせたのは人ではなく、妖魔だった。

 「歓迎はされていないわね」

 「うん―――博雅君」

 水瀬は刀を博雅に手渡しながら言った。

 「御免。自分の身は自分で守って」

 「わかった」

 博雅は刀を抜く。

 (真剣―――か)

 生まれて初めて何かを倒すために抜く。

 それの善悪は、わからない。

 鈍い光を放つ刀身をしばらく見つめた後、博雅は無言で刀を腰に差した。

 「ルシフェ、博雅君の護衛最優先、敵の潜伏地点を割り出す。それでいい?」

 「了解。取りあえず、博雅君。刀の前に」

 ルシフェルが言った。

 「笛、吹けるか試してみたら?」

 「あ、ああ」

 

 博雅―――。

 かつて、平安の世にそう呼ばれた男がいた。

 楽の天才と呼ばれ、数々の伝説に彩られた男がいた。

 そして、そんな男に憧れ、近づきたいと願い、その名を自らの孫に、その想いと共に名を託した男がいた。

 託されたのは自分。

 

 博雅にとって、その名は重荷であり、また誇りでもある。

 楽は好きだし、むいていると思う。

 だが、その名にふさわしい程の才能が、自分にあるか?

 そう、自問すると、辛い。


 誰も比較しようがない。

 比較出来ないのは当然だ。

 だが、比較してみたいと思うのも、ある意味で当然だ。

 

 じっと葉双を見つめた博雅は、心を落ち着かせながら口を付けた。

 

 ひんやりとした感覚が、全身を引き締める。


 

 笛


 それは単なる楽器


 人


 それは単なる奏者


 葉双


 それは楽器にして楽器にあらず


 博雅

 

 それは人にして楽器



 地下室に、楽の音がゆるやかに、包み込むように流れ出した。



 

 三人に襲いかかろうと身構えていた魔物達が、動きを止めた。

 

 魔物達を労るかのように、慰めるように、楽の音は全てを包み込む。

 

 博雅は、葉双を手放そうとはしなかった。

 ただ、水瀬達に誘われるままに、地下室の奥へと歩き出す。

 三人が、戦うことなく、魔物達の包囲網すら突破し、目的地にたどり着けたのは、まさに博雅と葉双のなせる技だ。

 

 予備通信室

 

 魔物達の包囲の向こうには、そう書かれた部屋があった。


 水瀬は扉を開けた。

 




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