第四話 「闇から生まれし者」
「全く、ルシフェルさんがあんないたずら好きだったとは思わなかった」
「マトモはマトモなんだけど、ハメ外すとああだからねぇ」
あきれが隠せない博雅と、しみじみとした口調の水瀬が、しょんぼりしながら後ろをついてくるルシフェルをちらりと振り返りながら話している。
「……反省してます」
「してもらわなくては困ります」にべもない博雅の言葉に、さらに凹むルシフェル。
「じゃ、今回の仕事はルシフェの仕事ね?」
「……う、うん」
「仕事?」
「行けばわかるよ」
●尚武
見舞いに来たという建前で訪れた三人は、客間に通された。
主の話によると、美桜は熱が引かず、悪寒に襲われているという。
「それが、奇妙な話でしてな」
すっかりはげ上がった頭をさすりさすり、主は話した。
美桜は、黒い靄のようなものに襲われたというが、それ以上のことがわからない。という。
「靄?」
「ええ。煙というか、靄というか。そんな感じだったと」
「ふぅん?それで、近頃、変わった物を手に入れたとか、そういうことは?」
「いえ。せいぜいが近衛府から細工修理で預かったものを除けば、せいぜいが水瀬様の」
「そう……誰かが個人的にとかも?」
「それはわかりませんが……」
主は、不意に思い出す所があったらしい。
「そういえば、孫が近頃、奇妙な物を集めていましたな」
「孫?」
「ええ。美桜の娘です」
「美桜さん、子持ちなんですか!?」
驚いたのは、意外にも博雅だった。
「え?ええ。来年小学生です」
「ちなみに、美桜さん、今年おいくつで?」
「28でしたかな?それが何か?」
「い、いや、そうは……イデッ!?」
博雅は、尻に感じた激痛に言葉を止めた。
ルシフェルが力任せにつねり上げた痛みだった。
「で、その奇妙な物とは?」
博雅に代わって言葉を続けたのは、水瀬だった。
「白い石です」
「石?」
「はい。この店の敷地のあちこちで出るらしいのですがね?孫が綺麗だからといって、拾ってくるんです」
「それ、ありますか?」
「孫に聞いてみましょう」
主は、そういって席を立った。
幼稚園から戻ってきたばかりの孫をなだめすかして石の入ったお菓子の空箱を借りた主が戻ってきた時、客間は何やら騒ぎになっていた。
「この浮気者ぉっ!」
「ち。違う!ルシフェルさん!誤解だってば!」
「ル、ルシフェ、止め!」
どうやら痴話ゲンカのようだ。
ドカバキグシャッ!
すごい音がしている。
「コホン」
主が咳払いをすると、騒ぎが収まった。
大柄な男の顔は、主が見る限り、平手打ちにひっかき傷が走り、加害者だろう女の子も、泣きはらした顔でうつむいている。
「よろしいですか?」
「は、はい……」
「どうぞ」
「ご迷惑を」
三人三様に、恐縮の体で主が座るのを待つ。
「こちらです」
「このサンマドロップの空き缶が?」
「ええ。集めた石を、孫がこの中に」
「開いてもいいですか?」
「どうぞ」
軽く振ると、それなりの石が入っているらしい。カチャカチャという音がした。
「……」
中から出てきたのは、「白い」というにしては、やや黄ばんだ感じのする
石だった。
「なんだ?水瀬、どこにでもありそうな石じゃないか?」
「そう思う?」
一つまみを博雅の手に、もう一つをルシフェルの手に乗せる。
「ルシフェは?」
「よくわかんないけど、でも、どこかで見た気がする」
「……そう。ま、そういうことだね」
「あの、それが何か?」
「いえ。お孫さんには、この石のかわりに、ビー玉でもあげてください。その方が喜ぶでしょう」
「は?はぁ……」
「美桜さんにお会いすることは出来ますか?」
「少しくらいなら出来るでしょう」
美桜の様子を見てきます。と、主は再度、席を立った。
「ルシフェ、最近、瀬戸さんが乗り移ってるんじゃない?」
「水瀬君が博雅君に乗り移っているんだよ!」
「恐いこと言うなよ……で?この石がなんだっていうんだ?」
「未亜ちゃん、前に話していたよね?昔、この辺で何があったか」
「あ?ああ、確か、火事とか殺人とか」
「そ。たくさん死んでる所。いわば曰く付きの土地。でね?そういう所で、大規模災害とかあるとね?時々、出てくるんだよ。こういうの」
水瀬は、ちらりとルシフェルの顔を見る。
「ルシフェ、もうわかった?」
無言で頷くルシフェル。
「わかりたくないけど、そういうこと?」
「そういうこと」
「どういうことだ?こんな石が」石の一つを手にとり、玩ぶように眺める博雅。
「石じゃないの」
ルシフェルは、博雅の手から石をとると、だまって缶の中に入れた。
「石じゃない?」
「そう」答えるルシフェルは、真剣な顔で頷いた。
水瀬の顔を見る。彼もまた、同じような顔をしていた。
「じゃ、なんだっていうんだ?」
しばしの沈黙の後、水瀬が呟くように言った。
「人骨」
「じ、人骨?」
「そう」
「こ、これ、人の骨なのか!?」
「人の骨"だった"ものというべきかな」
水瀬はなんでもないという顔で博雅に言った。
「陰陽五行の説って聞いたことない?」
「あ?ああ、式典の関係で何度も耳にしたことはある。詳しいことは知らないが」
「やっぱり博雅君、知識が広いね。あのね?この説によると、一般に魂と呼ばれるものは、あらゆる精神の根元である「魂」と、肉欲や愛情といった欲望、そしてその欲を具現化する肉体「魄」との2つから構成される。だから、魂のことを魂魄ともいうわけ。古典文学で時々目にする言葉だよね?」
「魂魄くらいは知っている。身はたとえ南山の苔に埋るとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思う。のアレだろう?」
「そ、そして、やがて肉体が滅ぶ、つまり、死ぬ時、魂魄はその肉体から解き放たれ、魂はふたたび天に還り、魄は地に還る」
「あの、つまり?」
「説明の途中」ルシフェルに窘められ、博雅は黙った。
「欲を司るのが魄だとしたら?死ぬ間際に強く願ったことを覚えているのもまた魄なわけでしょ?」
博雅は無言で頷いた。
「生きたい、死にたくないっていう想いもまた魂と魄のどっちが強く刻んでいるかといえば、魄となる。そして、魄は肉体とも強いつながりをもっているから、肉体に残る」
「よくわからんが、人の念が、魄として、肉体―――この場合、死体か?そこに宿るというか、残るわけだな?」
「まぁ、そういうこと」
「博雅君、屍鬼って知ってる?」
不意にルシフェルが博雅に問いかけた。
「あ?ああ」
「屍鬼になる原因は、まだよくわかっていなけど、魔法に関わる者の間では、魄と屍鬼化する要素の関係が古くから言われているわ。死ぬ間際、本能的に願った生存への欲望を願う魄に影響を与え、肉体を屍鬼にしてしまう。って」
「この石も屍鬼も一緒ということか」
博雅は、水瀬が持つサンマドロップの缶を気味悪そうに見つめながら言った。
「その石、いや、骨は、死んだ人間の念がこもっている。それは魄のなせる技―――か」
「簡単に言えばそうなるね。念が骨を石のようにしている」
「しかし」
博雅は、水瀬に訊ねた。
「それと美桜さんが倒れたのとどう関係が?」
「靄だよ」
「靄?」
「そう。あれが何だったかで答えがわかる。まずは、美桜さんを何とかしなければね」
主に案内されて入った部屋には布団が敷かれ、美桜が横になっていた。
熱が引かないという主の事前の説明は正しいらしい。
見るだけで、水瀬にもルシフェルにも、美桜が倒れた理由がわかった。
部屋の空気がなんとなく重く湿った不快さに満ちている。
病人の部屋とはいえ、これは異常だった。
しかし、目下最大の問題は、床に伏す美桜のなまめかしさが倍増されていることだった。
上気した美桜の顔といい、汗で額に張り付いた艶めかしい髪といい、寝間着から伺えるうなじといい、何とも言えない色気が、博雅の心を支配し、ルシフェルの逆鱗に触れていた。
(きれいだ)と思う博雅。
(きけんだ)と感じるルシフェル。
(いい加減にしろ)と苛立つ水瀬。
(大丈夫か?こいつら)心配になる主。
「はしたない所をお見せして申し訳……」
なんとか起きあがろうとする美桜を心配そうに見つめるのは、幼稚園のスモックを着たままの女の子。
慣れない手つきで、何とか母の額にタオルを当てようと頑張っているけなげな姿が、ルシフェルの母性本能を刺激したのは事実だろう。
顔立ちが、なんとなく美桜に似ている気がする女の子の横に座り直したルシフェルが、女の子にかわってタオルを絞って手渡す。
「はい」
「あ、ありがとう」見慣れない女からの手伝いに戸惑いながらもお礼だけはきちんといえるあたり、しつけはしっかりしているな。と、博雅はルシフェルに惚れ直しつつ、思った。
「本当に、お騒がせして」
母親の美桜は恐縮の体だ。
「いえ。そのまま横になっていてください」
「昨日までは何ともなかったのに……”あれ”に出会ってから」
「魔素にあたったんですよ」
水瀬は、美桜の布団を直しながら、そう言った。
「魔素?」
「障気ともいいますか。よくない気のことです」
ポウッ
水瀬の掌が金色に輝き出す。
「浄化します。そのまま目をつむって楽にしていて下さい」
「は、はい」
水瀬の掌が美桜に近づいた途端、部屋の中が真っ白になった。
「!!」
「きゃっ!」
「何と!?」
視界が戻ると、今まで通りの部屋に戻っていた。
「あ、あの……」
心配そうに目を開ける美桜。
「終わりました。あと一日、安静にしていてください。明日の朝には元気になっているでしょう」
「ママ……大丈夫?」
心配そうに近づいてきた美桜の娘の頭を撫でつつ、水瀬は訊ねた。
「美桜さん?本当の所を聞きたいんですけど」
「は、はい?」
「昨晩、あなたは何をしていたんですか?」
「……わ、私は、別に、何も」
「別に怒りはしませんけど、この子が”あの鏡”の封を開けたんじゃないかなって」
「!!」
美桜の顔が真っ青になる。
それは、あきらかな肯定を意味していた。
意味を察した主は、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「智代!お前、お客様から御預かりした品を!」
「ち、違います!」
美桜が娘を庇いながら負けじと叫んだ。
「あ、あれは私が――」
「大丈夫ですよ」
水瀬が手を挙げて主を制しながら言った。
「誰が破っても変わりません。問題は、あの封印が破れたこと、そのものなんですから。―――美桜さん。話して下さい」
美桜は、意を決して口を開いた。
智代を育てる上で、夜、あまり寝ないのが美桜にとって唯一に近い悩みの種だ。
しかも、智代は布団でじっとしているのが苦手らしく、あちこち歩き回るため、下手をすると夜中中、娘を捜して家捜しすることになる。
(困ったな)
夫から子育てについてとがめられこそしないが、それでも、仕事で疲れている夫にはゆっくり休んで欲しいと思うのも、やはり妻として当然の気持ちだ。
「智代?出てらっしゃい!」
いい加減、語気が荒くなるのが自分でもわかるが、押さえられない。
夜中2時。
(お尻ぺんぺんしなくちゃ)
そう思いつつ、奥の倉庫へ続く廊下を歩く美桜の耳に、軽い足音が聞こえてくる。
(見つけた)
角を曲がった先。
そこは、お客から預かった貴重な品をしまう倉庫―――というか、牢になっていた。
格子の隙間はそこそこあり、小さな子――智代のような子なら通り抜けることすら出来る。
今度、壁で塗りつぶすことになってはいるが、こう見るとやはり不用心ではある。
そして、娘は、いた。
格子戸に苦労しながら、倉庫から出てきた娘は、何かを大事そうに手にしている。
「智代!」
血相を変えて怒鳴りつける美桜。
その声に驚いた智代の手から、”それ”は落ちた。
カランッ
乾いた音を立て、床に落ちた”それ”を驚いた顔で見る智代と、慌てて近づく美桜。
「こらっ!ここに来ちゃ行けませんって、何度ママに言われたの!?」
「……」
困った。という顔で母と”それ”を交互に見る智代。
「いい!?」
美桜は、智代の前にしゃがむと、真っ直ぐ智代の目を見ながら諭した。
「ここは大切な物がたくさんあって、一つでもなくなれば大変なことになるの。ごめんなさいじゃ、許してもらえないのよ!?」
「ご、ごめんなさい」
そう言った娘の目は、何故か何かに驚いたように見開いた。
「どうしたの?」
「マ、ママ……後ろ」
「え?」
振り向いた先にあった物。
それは―――
闇
いや。照明で辺りは照らし出されているはず。
なのに、そこだけが、闇になっていた。
そして、その闇は蠢いている。
(靄?)
目をこらしてそれを見極めようとした美桜目がけて、闇という靄が襲いかかり、そして、美桜は意識を失った。
「智代の鳴き声で、私らが気づいたんです」
主が言葉を続けた。
「駆けつけた時、すでに美桜は意識がなく」
「”あの鏡”に、この辺の死霊の魄が反応したという所ですね」
「で、その鏡は?」博雅の質問に、主は首を横に振った。
「なくなっていました」
「でも、確か、聞いた話では、何も盗まれていなかったと」
「公には、です。手前共も信用商売です。例え一つでも盗難にあったとなると――」
「別にいいんですけどね」
耐えられない。という顔の主に、水瀬は涼しい顔で言った。
「いいわけが!」
「あれ、結構なくせ物で、ここでの修理が終わり次第、国立博物館に押しつけるはずだった代物だし」
「水瀬君、あの、6課のクミンちゃんが言っていた、いわくつきの鏡って、まさか」
「ルシフェ、その通り。あの鏡のことだよ」
「?」首をかしげる周囲に、フォローするようにルシフェルが言った。
「あのね?その鏡、トラブルになるようなら、破壊するように指示が出ていたの。だから、なくなろうがなにしようが、このお店の信頼には何も影響は出ないわ。むしろ、なくなったといえば、こっちから迷惑かけたってお詫びしなければならないほどで」
「ほ、本当ですか!?」
主は血相を変え、ルシフェルにすがりつくように訊ねた。
「ほ、本当に、手前共の責任には!?」
「う、うん。大丈夫のはず。でも、鏡って、何なのか、私も知らないんですよね」
「”死鏡”っていってね?呪術に使われていた鏡だよ」
何でもないという顔の水瀬。
「呪具としては一級品だから、この辺の死霊が依代にしたかったんだろうね」
「あ、あのさ……」
博雅は、あまりに淡々と事を処理していく水瀬達に不安そうに訊ねた。
「それが、逃げ出したってことは、なんか騒ぎになるんじゃないか?」
「……」
「……」
「……」
「……なぜ、互いの顔を見合って、ここで黙る?」
「ルシフェ、お願い」
「い・や」
「今回、やるって約束でしょ?」
「死霊1000人でしょう?」
「多分、周囲のもつれてくるから、その倍くらいかな?」
「やっぱり、いや」
「ルシフェルさんでも、やっぱり、手に余るのか?水瀬、お前もかなりの使い手だと聞いているが、それでも、なのか?」
「ううん」
「違う」
二人は何でもない。という顔で否定する。
「じゃ、何だ?なぜ、嫌がる?」
「面倒くさい」(×2)
二人を相手にした博雅の説教が続いたのはいうまでもない。




