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第二話 「尚武」

 ●明光学園校庭

 「はぁい。今日はここまでぇ!」

 詩乃ののんびりした声で体育の授業は終わった。

 いい汗を流した生徒達は三々五々、教室へ―――戻れなかった。


 むしろ、彼らの体育はこれから始まっていた。


 「く、工藤、しっかりしろ」

 「お、俺はもうダメだ……」

 「だ、誰か、俺を保健室まで連れて行ってくれぇ……」


 校庭にへたばった男子生徒達が、うめき声をあげつつ、保健室まで匍匐前進の訓練―――ではなく、這い始めたのだ。


 理由は簡単。

 詩乃のシゴきのせいだ。

 騎士とはいえ、校庭100周猛ダッシュが体にかける負担は半端ではない。

 カリキュラムも、騎士をロボットか何かと勘違いしているとしかいいようのない、過酷さだ。

 いくら若さしか取り柄がない騎士養成コースの男子生徒達とはいえ、たまっものではない。

 

 気の毒がった女子達や、見るに見かねた他クラスの騎士養成コースの生徒達が保健室まで運ぶ友情あふれる光景は、この学校では見られない。

 同じクラスの同じコースの女子ですら、だ。


 「いくらだす?」

 助けを求めた男子への、女子代表坂巻の言葉がこれだから、もうどうしようもない。


 「女子の手を借りるな。ケツの毛までむしられる」

 が一部男子生徒の合い言葉たる騎士養成コースだ。

 男子の沽券云々ではなく、自己の財布の中身こそ、彼らの心配なのだ。

 だからこそ、一時の恥とはいえ、集団で廊下をはいつくばって保健室まで向かうなどという、とんでもない事すら、彼らにとってやむを得ないことだ。

 

 「本当は、困っているんだけどねぇ……」

 「何とかなりませんか?」

 保健室に収まりきらず、廊下に寝かされた生徒達の検診を終えた保険医の三千院先生が、お茶をすすりながら水瀬相手にぼやいた。

 「湿布や筋肉痛の薬だってもう在庫がないのよ?また、買ってこなくちゃいけないし、大変なんだから」

 「大変ですねぇ」

 テーブルの上の漬け物に手を伸ばしながら、水瀬は適当に相づちをうった。

 「それにしても、水瀬君は、平気そうね」

 そういって、同じくお茶をすするのは、校長だった。

 うめく生徒達には、型どおりの心配だけですませていた。

 「鍛えてますから。あ、この漬け物美味しい」

 「でしょう?よく漬かっているでしょ」

 「隠し味は、芥子ですか?」

 「いいえ。これはね―――」

 昼飯も食べられず、筋肉痛にうめく生徒達を尻目に、水瀬達は茶飲み話に花を咲かせていた。


 ●放課後

 「ねぇ。きちんと歩けないの?」

 「あ、歩けるならやってるって」

 「ほ、放っておいてくれ」

 ほとんどがに股であるく羽山達に、あきれ顔で声をかけるのは美奈子達だ。

 「騎士でも筋肉痛になるんだぁ」

 「いっ、一応、人間だぜ?」反論する羽山。

 「それに、あんなシゴき受けたら、普通はこうなる」理解を求める秋篠。

 「それにしても湿布くさぁい!」鼻をつまみながら後ずさる未亜だが、二人のカバンを持つ水瀬に気づき、声をかけた。

 「そういえば、水瀬君は平気そうだね」

 「うん」

 「羽山君達は、ほら。こんななのに」

 つんっ。

 「!!!」

足を未亜につつかれた羽山が、声にならない悲鳴を上げてへたり込む。

 「し、信楽……て、てめぇ……!!!!」

 「わーっ。動けないから恐くなぁい!」

 「あ、後で覚えとけよ?」

 「忘れる」

 

 「み、水瀬、お前、本当に平気なのか?」

 「うん」

 「何でだ?」

 「小さい頃から、似たような修行受けていたから。みんなももう少しすれば、体が慣れるよ」

 「この地獄をまだ味わえというのか?」

 「そのうち、どうってことなくなるよ」

 「おれは御免被る」

 「同じく」

 羽山と秋篠は、力一杯うなずき会う。

 

 「―――ま、いいけどね」

 水瀬は、二人のカバンを持ち直すと訊ねた。

 「で?この後、家に帰るの?」

 「いや。尚武に寄る」

 「え?」

 水瀬が不意に足を止めた。その顔は、心底困ったという顔だ。

 「どうした?」

 「ぼ、僕、急な用事思い出したから、ここで」

 「待った」

 ぐいっ。

 二人のカバンを置いて走り出そうとした水瀬を止めたのは、美奈子だった。

 襟首を掴まれた水瀬が、宙に浮かんでジタバタしている。

 「うわ。美奈子ちゃん、片手で持ち上げてるよ」

 「馬鹿力……」

 「おい」

 

 「――で?」

 「へ?」

 「なぁんで、尚武の名前が出た途端、そんなにイヤそうな顔したのかなぁ?」

 飼い猫を叱るように、水瀬の目線を自分の目線まで持ち上げてたずねる美奈子。

 「べ、別に僕は」

 「―――ま、いいわ」

 ほっ。とした安堵もつかの間、水瀬は次の一言に青くなった。

 「行けばわかることだし」

 「へっ?」


 子猫をそうするように、片手に水瀬をぶら下げた美奈子が、みんなを引き連れて尚武に入ったのは、それから本当にすぐのことだった。


 


●尚武

 店の前まで来た美奈子には、ふと、気になったことがあった。

 この辺は、葉月市の中でも一等地だ。

 戦前から広大な敷地を持つ学校はともかく、地価はべらぼうに高い。

 にもかかわらず、よく見ると、尚武の敷地は、かなり広い。

 店は狭いが、倉庫と工房はかなりのスペースがさかれているようだ。

 「ねぇ。ここって、工場かなんかあったっけ?」

 未亜に話すと、未亜は笑って否定した。

 「違うよぉ」

 「そうだっけ?」

 「美奈子ちゃん。葉月っ子なのに、知らないのぉ?」

 「?」

 「私達が小学1年か2年の頃の話だけどね」

 未亜は、店の隣にある石碑の前に美奈子達を案内した。

 そこは、古ぼけた慰霊碑らしい石碑だった。


 「諦めて眠って下さい。過ちは繰り返すものです」 


 言われて眠れる物好きがいるか?と聞きたくなるような言葉が刻まれた石碑の前で、美奈子は未亜に聞いた。


 「この辺も昔は普通の住宅街。その内の一軒のご主人がね?グレた娘をナタでメッタ斬りにした後、奥さんと無理心中を図ろうとしたんだよ」

 「娘さんが犠牲者ってわけ?にしては大げさな慰霊碑ね」

 「で、それを止めようとしたおじいさんと、交番のお巡りさん3人くらいを散弾銃で撃ち殺して、奥さんをバラバラに切り刻んだ挙げ句、自分はガソリンかぶって焼身自殺したんだ。風が強い日でね。隣近所まで延焼してさ」

 「……」

 「そうそう。隣が老人ホーム。施設が防火設備ケチっててね。あっという間に火が回ってさ。何人逃げ遅れて死んだんだっけ」

 「……なんで、そんな所に住むわけ?」

 「ま、物好きはたくさんいるってことだね。バブルの頃だったし。でも、バブルの後は、このお店出来るまで、ここいら更地だよ?」

 「へ?」

 「何か出来る度にさ。不幸が続いて。スーパーになったら大量に死人が出るような食中毒が起きて、店長が一家心中。パチンコ屋は開店当日に建物が崩落して死者100人。周辺、オバケが出るって噂でもちきりになったんだよ?で、分譲住宅にしたけど、死人やら不幸やらが出るわ出るわ」

 「あ、あのね……?」

 「で、斡旋した不動産屋や建築業者にも不幸が続きまくってね。だから、多分、死人だけでも1000人位軽くいってるよ?はははっ」

 「はははっじゃない!」

 未亜は未亜に怒鳴りつけた。

 「そんな恐い―――じゃない!そんな曰く付きの土地に何で家なんて建てるのよ!?」

 「安い、からじゃない?ここまで因縁ついて、しかも、それが白日の下に曝されてるわけだから、買い手なんてつくわけないじゃん。二束三文もいいとこだよ。ここんところ、地価も暴落気味だし」

 「この店の人たちが非常識ってことだけはわかった気がするわ」

 ぐいっ。

 勇気を振り絞るように、美奈子は水瀬を引きずって店の中に入った。

 「美奈子ちゃん、今夜、トイレ行ける?」

 「さっさと済ませておく―――何を言わせるのよ!?」

 「にゃあ?じゃあ、水瀬君にぃ今夜、眠れないくらい激しく愛してもらえばぁ?」

 「ばっ!み、未亜!」

 

 すでに店内にいた多数の生徒達の視線に気づき、美奈子はいたたまれずに下を向いたままになった。

 「あら。いらっしゃい。―――えっと、未亜ちゃんに美奈子ちゃんだったわね?」

 声をかけてきたのは、着物姿の美桜だった。

 数本の刀を大切そうに抱えている。

 近くに来ると、物静かな、「古風な美人」という言葉がしっくりくるような、つややかな美人であることがわかる。

 自分達では絶対に出せない「大人の女」の魅力が、少なくとも美奈子にはうらやましかった。

 「こんにちわ。お邪魔します」

 「いえいえ。あら。秋篠君に羽山君。いつもごひいきに……どうしたの?」

 美桜も、羽山達のがに股が気になったらしい。

 「昨日から、何人もそういう生徒さん達が来るの。最近、そういう歩き方がはやっているのかしら」

 「んなわけないでしょう」

 「?」


 羽山は、かいつまんで事情を説明したが、美桜は、心当たりがあるようだ。


 「ははぁん」

 ぽんっ。と、手を叩いて納得を示す美桜。

 「あの先生ね?」

 「心当たりが?」

 「ああ。これこれ。この本買っていった人」

 美桜が書籍コーナーから取りだしたのは、一冊の本。


 『これぞシゴきだ!軍隊にみる騎士のシゴきのすべて』


 羽山と秋篠は、思わず無言で顔を見合わせてしまった。

 

 「なんです?これ」

 「詳しくは読んだことないけど、軍隊でね?特殊部隊っていうのかしら?その人たちを鍛えるのにどんなことしたかっていう本らしいわ」

 「詩乃ちゃん、まさか」

 「ああ。騎士っていうから、これが当然だと思ってるな。きっと」

 

 「こら待て!」

 策を考えようとしていた二人の耳に、美奈子の声が聞こえてきた。

 みんなの影に隠れ、こっそり逃げようとしていた水瀬の首根っこを美奈子が捕まえたのだ。

 「あら?水瀬様ん所の坊ちゃん?」

 美桜の一言に、いまだジタバタしていた水瀬の動きが止まった。

 「あ゛う゛」

 バツが悪いという顔で、赤面したままの水瀬。

 「知り合いですか?」

 「水瀬家はお得意様ですからね。坊ちゃん?まだ――」

 「わーっ!わーっ!わーっ!」

 水瀬は慌てて美桜の言葉を遮った。

 「ダメダメダメぇ!」

 その慌てぶりに、一瞬驚いた表情を見せた美桜だったが、とっさに事情を察したという表情になると、笑いながら頷いた。

 「わかりました。内証、ですね?」

 コクコクコク。

 青くなりながら頷く水瀬の頭を撫でながら、美桜は一緒に頷いて見せた。


 「……」


 納得いかないのが周囲だ。

 こと、二人が妙に親密な感じがするのが、少なくとも美奈子には気になった(羽山達に言わせると、「母子のほほえましい会話」となるが)。


 なにより、会話が進むにつれて出てきた、美桜の発言が、美奈子という魚に大きな針となってひっかかった。

 「結構スゴイんですよ?私」

 「そうなの?」

 「ええ。自分で見つめても、スタイルに惚れ惚れしますもの」

 「うーん。すごいんだぁ」

 「ええ。自身があります。どうです?」

 美桜は、水瀬に何事かをこっそり耳打ちした後、頷いた水瀬と共に、従業員専用のプレートが貼られた部屋に消えていった。

  

 「水瀬、何か頼んでいるな?」

 「お得意様っていっていたから、きっとオヤジさんの関係じゃないか?」

 「にしては、あの慌てぶりはおかしいわ」

 「それに、美桜さんのスタイルとどんな関係が?」

 刀を見るふりをして、それを見送った羽山達は、そのことばかりを話題にしていた。

    

 時間は30分位。


 再びドアが明けられた時、水瀬も美桜も顔が上気していた上、何故か二人とも着衣が乱れていた。


 それが、美奈子の警戒心に火をつけた。


 「何を見てきたんだ」

 「美桜さんの―」ポツリポツリとしたしゃべり方のため、誰も最後まで聞き取ることが出来なかったのもまずかった。


 「美桜さんの?」


 「スゴかったぁ」

 感極まったという感じの水瀬が興奮気味に言う。


 「すごいんだ。美桜さんって。最高だよぉ」

 「お褒めにあずかりまして……ただ、最後にごめんなさいね?とんだ粗相を」

 「全然。かわいいもんです」

 「やだ。坊ちゃんったら」

 赤面して照れる美桜だが、美奈子の顔は、青く凍り付いていた。

 理由は二つ。

 一つは、水瀬から香る香水の匂い。

 もう一つは、水瀬の襟首についた口紅。

 間違いなく、それらは美桜のものだった。

 



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