第十一話 「終幕」
●ルシフェルの日記より
長い夜だった。
近衛から応援を呼び、洞穴を虱潰しにして、桜井さんを保護してもらい、
外に出たらお昼だった。
太陽が黄色く見えるって表現、こういう時に使っていいのかなぁ…。
病院に収容された桜井さんは2日後に意識を回復した。
ほとんどの記憶と共に―――。
そう。例外は、病院で出会う前の水瀬君の記憶だけ。
よっぽどイヤな思いをしたんじゃないか、心配になる。
今度こそ、問題はなく、当日には退院できたけど……。
「あの強姦魔!色魔!変態!」
桜井さんは水瀬君のことを、こう呼ぶようになっていた。
そりゃ、裸にむかれたらそう思うよね?
それでも、何かにつけて水瀬君の話をしたがる傾向は、前より強くなっているような気がする。
瀬戸さんが知ったらどうするだろう。
知らないっと。
あの夜のことは、警察内部でも極秘扱い。
鍾乳洞は近衛主導で封印されたという。
「白いご飯が食べられる!」
お礼にお米を持って行ったら、理沙さんは、米袋に涙ながらに頬ずりして
いたし、まぁ、いいか……なぁ。
で、私にとって、最後の難関が、智代ちゃんのことだ。
水瀬君との約束の日までの間、私は、智代ちゃんのことを尚武の人達に、どう説明するか、それを悩んでいた。
それは、お米のお礼にと理沙さんから聞いた話のせいもある。
「都筑はね」
理沙さんは言った。
「子供のために、鬼になったのよ」
「?」
「智代ちゃんは、重い心臓病でね。心臓の移植手術を受けるしかなかった。当時のことを知っている医者から聞いたけどね?都筑、ヤクザだからって、医者からまともに相手にされなかったんだそうよ?」
「でも、患者は子供」
「ヤクザが金を払うモノか。下手に関わるとロクな目に会わないって」
「そんな……」
「だから、金のためにあいつは鬼になった。あいつが企業犯罪に手を染め始めたのと、智代ちゃんの心臓病の記録がほとんど一致しているのよ」
「……理沙さん」
私は聞いてみた。
「鬼って、人って、何ですか?」
「……」
「私、あの戦争で、魔族も見ました。人類のためって戦いました。でも、絶対的な悪と聞かされてきた魔族の方が人間らしくて、人間の方が悪魔みたいだって何度も感じました。理沙さんは―――」
「そんなこと、神様だってわかんないわよ」
理沙さんは言った。
「世の中、善人ばっかりでないのは、神様自身が人間を理解していないせいだって思うことがあるわ」
私だって、人間について語れるほど、年くっちゃいないわよ!とも言われた。
善であるはずの人が鬼になる。
それは恐く、また、悲しいことだ。
きっと、それは、あの死鏡もわかっていたんじゃないか。
ふと、そんな気がした。
死鏡が智代ちゃんの心臓になった理由。
それは、智代ちゃんを生かすため。
死鏡は、智代ちゃんに、生きて欲しいと思ったんじゃないだろうか?
だから、自らを心臓とまでした。
それは、単なる依代として必要だから。
ただ、それだけなんだろうか?
それだけで、10年も、智代ちゃんを眠らせておくだろうか?
何一つ、確かめる術はない。
だけど、私はそれが真実だろうと信じている。
死鏡には、智代ちゃんを殺す意志はなかった。と。
あいつ、意外とイイヤツだったのかなぁ……。
そして、一週間後―――。
最悪なことに、尚武の人達は、智代ちゃんのことを覚えていた。
記憶がどう操作されたのかはわからない。
ただ、智代ちゃんは、この家の養女として美桜さんと亡くなった旦那さんが引き取ることになっていた。と、少しだけ記憶がズレていたのが気になった。
尚武の人達には、智代ちゃんは魔素による影響がひどく、近衛が一時的ではあるが面会謝絶で保護していると説明されている。
だが、それは水瀬君が智代ちゃんを生かしていたらの話だ。
あの時、水瀬君は間違いなく、智代ちゃんの命の灯を消した。
殺したんだ。
須藤邸の玄関で、私は手にした刀袋に力を込めた。
例え、友達でも、果たすべき責任は果たしてもらうために。
「あっれぇ!?ルシフェルちゃん!?」
庭からひょっこり顔を出したのは、未亜ちゃんだった。
「あ、あの……」
「美奈子ちゃん!ルシフェルちゃんが来たよ!?」
庭が何だかにぎやかだ。
しばらくして、玄関が開いた。
美桜さんだった。
催眠魔法の後遺症はないらしい。
よかった。
「いらっしゃい!悠理君から、後で来るって言われてたんです。どうぞ?」
「は、はぁ……」
何と、庭ではバーベキューが始まっていた。
何でも、ちょっと前に試し斬りが行われた関係で、お客も多いという。
主宰はなんと水瀬君。
羽山君や秋篠君はともかく、岩田警部までが牛を真っ二つにしたという。
牛も気の毒に。
美奈子ちゃんに未亜ちゃん、羽山君に博雅君のいつもの面々がいた。
さらに、南雲大尉に桜井先生どころか、理沙さんや岩田警部までいたのには驚いた。
大人はみんな、尚武の人達に混じってビール片手にお肉を食べまくっている。
本当に宴会だ。
そして
「お姉ちゃん!そっちのお肉がいい!」
「だから僕はお兄ちゃんだって」
元気な声で水瀬君にお肉を焼いてもらっているのは、智代ちゃんだった。
「智代ったら、ずっと悠理君の側から離れないんですよ?」
生きていた。
元気だ。
ため息が出た。
よかった。
本当によかった。
「はい。ルシフェ」
水瀬君が私にお肉が山盛りのお皿を渡してくれた。
「牛一頭分あるからね?たっぷり食べて」
「やっぱり、人が悪いよ。水瀬君って」
「上には上がいるもん。僕くらいなら、可愛いものでしょ?」
「あーっ!お姉ちゃんズルい!」
文句の一つも言おうとしたら、智代ちゃんに遮られた。
「え?な、何が?」
私、何かしたかな?
「それ、私が食べたかったお肉なのにぃ!」
「だぁめ。お野菜も食べましょう」
水瀬君は、そういってサンチュに巻いたお肉を智代ちゃんに手渡す。
「うー」
「おいしいよ?」
黙ってぱくつく智代ちゃん。
おいしいって顔してくれている。
その無心の姿に、私は心の底から安堵した。
あの亡者の中から、この世に戻った智代ちゃんの笑顔が、私にとって何よりの報酬だ。
「お肉!牛肉!1年ぶりのステーキぃぃぃぃっ!しかも北海道和牛!!」
「村田、食い過ぎだ。というか、泣くか食べるかどっちかにしろ」
「あーっ!あの刀欲しい!」
「試しで牛1頭真っ二つとはな。羽山、腕を上げたなぁ」
「記念に飲むぞ!」
みんなは相変わらずのどんちゃん騒ぎ。
ああ。やっと日常に戻った。
くだらないどんちゃん騒ぎがとても楽しい。
私もお腹空いたな。
ダイエットという言葉が重くのしかかるまで食べたこの夜、私達はそもそもの原因と対面することになった。
スイカを食べていた時だ。
「あら?」
桜井さんがポケットから携帯を取りだした。
「メール?―――綾乃ちゃんから?」
「綾乃ちゃん、今、どこに?」
「北海道でロケだって―――えっと、何々?……」
目が点になるほど呆れた。桜井さんはそう言って、私にメールを見せてくれた。
「桜井さん
その後の経過はいかがですか?入院当時のことについて詳しく聞きたいので、近々、時間をとっていただけませんか?人気のない所で、じっくりと聞きたいことがあります。二人っきりで。
追伸
護衛に来ていた水瀬君が逃亡しました。
そちらにいるようでしたら、捕まえておいて下さい。
綾乃」
「なんだか、綾乃ちゃん、私に誤解があるみたい……」
「身に覚えは?」
「水瀬君に身ぐるみはがされたことなんて、恐くて言えないわ。それに、あれのおかげで、私、助かったんでしょう?」
「まあ、それはそうだけど……」
情報源は多分、この子だろう。と、未亜ちゃんをちらりと見る。
未亜ちゃんもメール中みたい。
私が、未亜ちゃんに声をかけようとしたら、奥から主が出てきた。
「坊ちゃん。完成しましたよ?」
主がそう言って桐の箱を、水瀬君の前に差し出した。
「え゛っ!?」
真っ青になる水瀬君。
「あ、ああ、どっ、どうもありがとうございます!か、帰ってからじっくりと」
「それは困ります。この場で直に検分して頂かないと」
主はあくまで仕事の顔だ。
「ん?刀か?」羽山君が気づいたらしい。
「え?あははははっ!ぼ、僕のじゃなくて!」
「坊ちゃんの御愛刀でしょうが」
主は憮然として言った。
「ウソはいけませんな」
「はぅぅぅぅ……」
「おい水瀬、開けろよ」
「あら?悠理君だって褒めてくれたじゃない」
美桜さんが不思議そうに言った。
「あの時、私が転んで、襟に口紅つけちゃったの、そんなに怒ってるの?」
「そうじゃなくて……」
「みんなに知られたくなかったのか?」と博雅君。
「う、うん……だって、みんなスタンブレードとか、お金の面で苦労してるのに……」
「アホかお前」
そういって水瀬君の後頭部を突いたのは羽山君だった。
「俺達だって好きでやってるんだ。お前だってちっとくらい金かけたっていいんじゃねぇのか?」
「う、うん……」
じゃ、開けるね?
そういって水瀬君は箱の蓋を開けた。
息をのんだ。
黒漆地に純金の覆輪や責金が光っている。
何より、鳥をイメージしたらしい鍔はまさに芸術品だ。
私も見とれていた。
「イメージは、坊ちゃんの図面通りです。いや。さすがにお目が高いというべきか」
「これ、真剣か?」
「うん……初音」
「水瀬君にとって一年戦争の時の相棒だよ」
私がフォローするように言った。
「石突のこれ、アクアマリン……ちがう。魔晶石ね?……これ、普段用の刀飾?」
「う、うん……」
「こんな派手なの、許可降りるの?」
私は水瀬君の耳元でささやくように訊ねた。
近衛は自由奔放に見えて、伝統的な、意味での規律、不文律の規則には結構厳しい。
「問題ないよ。一応、司令部の許可も、この程度なら不要だよ?で、この後、防御魔法かけて痛まないようにするんだ。それで仕上がり」
「私もやっていいの?」
「黒漆だったら、何とかなるよ?」
「じゃ、早速、この後」
「お揃いにしてくれる?」
「い・や」
「で?いくら突っ込んだんだ?」
羽山君が水瀬君に聞いてきた。
「え゛っ!?」
「全部で八―――」
主がおぼつかないように言うのを、
「わーっ!わーっ!」
水瀬君が大あわてで遮る。
「成る程」
羽山君が納得したという顔で言った。
「あんまりに突っ込んだから、いいづらかったというわけか」
「う、うん……ゴメンね?」
「まぁ、いい。ただ」
「?」
「ちっと、振らせてくれ」
「ところで」
初音を囲んで、羽山君と博雅君が主相手に刀談義に入るのを尻目に、私は水瀬君に訊ねた。
「智代ちゃん、どうやって助けたの?」
「心臓を作り直した」
「へ?」
「作れる呪符、試作していたんだ。まさか使うなんておもわなかったけど」
「ふぅん……でもね?」
私は、一番言いたいことを言った。
「そういうことは、ちゃんと説明して。ちゃんと説明してくれれば、大丈夫だから」
「ルシフェ……」
「友達でしょ?」
「うん」
水瀬君が何か言おうとした時、
「お姉ちゃん達お休みなさい!」
元気にそう言ってきたのは、智代ちゃんだった。
「はい。お休みなさい」
「お休み」
「さ、智代?パパにもご挨拶しないとね?」
「うん!智代、今日もいい子だったから、きっと褒めてくれるよね?」
そんな会話を聞きながら、私は心の中で二人の男の冥福を祈った。
この子の実の父と、義理の父に……。
大丈夫。
あなた達が護ってくれるなら、護ってくれているから、智代ちゃんは幸せなんですよ。
「あっ?水瀬くん?」
未亜ちゃんが玄関から声をかけてきた。
「あ、そろそろおいとましないと」
「そうね」
みんなが腰をあげた。
「綾乃ちゃんが待ちかまえてるよ?美奈子ちゃんに病院でナニしたのか説明して欲しいみたい」
「え゛っ!?」
「だっ、だって綾乃ちゃんは北海道にロケで」
「チャーター便でも飛ばしてきたんじゃない?」
「なんて非常識な……」
「ああなると、綾乃ちゃんに一切の常識は通じないと思う」
「気楽に言うな!」
美奈子ちゃんが未亜ちゃんに突っ込む。
「あ、あんた、綾乃ちゃんにナニ言ったの!?」
美奈子ちゃんも慌てているらしい。
そりゃそうだろう。
「えっとぉ、入院中、水瀬君が何度かお見舞いに行っていたとか、記憶のないはずの美奈子ちゃんが、いっつも水瀬君を待っていた。とか教えてあげたら、詳しく説明してくれっていうからね?水瀬君が美奈子ちゃんを手込めにしたとか、美奈子ちゃんの病院での診察先は、内科じゃなくて産婦人科だとか、病院のベットが二人の愛の巣になってたとか。……あっ。冗談だってメールにつけるの忘れてたぁ」と笑う未亜ちゃん。
「なっななななななっ!」
真っ青になるのは水瀬君。
真っ赤になるのは桜井さん。
いっそのこと、「赤鬼と青鬼のタンゴ」を踊って欲しいな。
きっと、智代ちゃんも喜ぶよ。
「だってぇ!診察受けていたのは確かでしょぉ?美奈子ちゃん、あの日が来ないからってぇ」
「待ちなさい未亜!今度こそ息の根止めてやる!」
「ルシフェ!僕、逃げる!」
こうして、この騒ぎも一段落し、次の騒ぎへと続いていくわけだ。
私は、自分でも妙な納得をしてしまったものだと思った。