第五話 幼馴染の特権
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三村蒼太には、確信がある。
氷室凛は、いつか俺のものになる。
……いや、「なる」というか、もうほとんどそうなっている。
告白とかそういう形式的なことをしていないだけで、実質的にはそういう関係だ。
だって考えてみろよ。
小学一年からの付き合いだぞ。
家は歩いて三分。親同士は家族ぐるみの仲。
夏祭り、初詣、花火大会——子供の頃から全部一緒に行った。
凛が泣いてるところを見たことがあるのは、たぶん俺だけだ。
そんな関係、他の誰にも作れない。
十年の積み重ねは、一朝一夕じゃ追いつけない。
だから——焦る必要なんてない。
はずだった。
◇ ◇ ◇
水曜日の昼休み。
教室で坂本たちと弁当を食っていたら、話題が藤宮糸になった。
「藤宮ってさ、最近ボランティア行ってんだろ? なんか三回の罰則終わっても続けるとか言ってるらしいぜ」
箸が止まった。
「……マジ?」
「マジマジ。二組の女子が言ってた。しかも理由が『やってみたら気持ちよかった』とかなんとか」
「嘘くせえ」
思わず口から出た。
「あいつが善意でボランティア続けるわけないだろ。下心見え見えじゃん」
「まあ、氷室さん目当てだろうなとは思うけど」
「だろ? ほんと懲りないよなあいつ」
坂本が「まあまあ」と苦笑する。
俺は弁当の卵焼きを噛みながら、苛立ちを噛み殺していた。
藤宮糸。
あいつのことを考えると、腹の底がざわつく。
学校一の遊び人。女の噂が絶えない男。
なのに不思議と評判は悪くない。「二股しない」「元カノとも仲がいい」——そんな話がまことしやかに広まっている。
……何がだよ。
遊んでること自体がおかしいだろ。
それを「誠実」とか言って持ち上げる周りもどうかしてる。
「蒼太ってさ、藤宮のこと嫌いだよな」
坂本に言われて、少しムッとした。
「嫌いっていうか、ああいうタイプが無理なだけ。チャラくて調子いいやつ」
「でも藤宮って、お前にも普通に挨拶してくるぜ? この前廊下で会った時も——」
「だからそういうところがウザいんだって。誰にでもいい顔するやつは信用できない」
坂本が「はいはい」と流す。
こいつはいつもこうだ。俺の話を半分くらいしか真面目に聞いていない。
でも——坂本はまだマシだ。
俺の言うことに「まあそうかもね」と言ってくれるから。
最近、他のやつらの反応が微妙に変わってきている気がする。
藤宮の悪口を言っても、前ほど同調してこない。
「まあ藤宮は悪い奴じゃないけどな」みたいなことを言う奴が増えた。
……なんなんだよ。
あいつの味方が多いのが、とにかく気に入らない。
◇ ◇ ◇
五時間目が終わった休み時間。
教室の前の廊下を歩いていたら、凛の姿が見えた。
教室から出てきたところだ。隣には小川結衣。
声をかけようとして——足が止まった。
凛が、笑っていた。
笑っていた、というのは大げさかもしれない。
でも、口元がわずかに緩んでいて、目が少し柔らかくなっていた。
結衣が何か言って、凛が呆れたように首を振って——でもその表情は、明らかに機嫌がいい。
俺の知っている凛は、ほとんど笑わない。
クラスでも「氷の女王」なんて呼ばれるくらいだ。
でも今——笑ってる。
俺の前でも、あのくらい笑ってくれることはある。
たまにだけど。
幼馴染だから。
……でも、なんだろう。
最近の凛は、俺の前より——それ以外の場所で、表情が柔らかい気がする。
気のせいだ。
気のせいに決まってる。
「凛」
声をかけた。
凛がこちらを見る。
「何?」
いつもの、素っ気ない返事。
笑顔は——もう消えていた。
「いや……次の授業、移動教室だろ。一緒に行こうぜ」
「結衣と行くから」
「あ、そう……」
凛と結衣が歩いていく。
俺は廊下に取り残された。
……別に。
別になんてことない。
凛はいつも結衣と一緒にいるんだから、当然だ。
当然だ。
なのに——胸の奥が、じくりと痛んだ。
◇ ◇ ◇
放課後。
教室に残って時間を潰していたら、坂本と田中が近くの席で喋っているのが聞こえた。
「藤宮ってさ、この前一年の女子に告白されたらしいけど断ったんだって」
「マジ? あいつが断るの珍しくね?」
「なんか『今は好きな人がいるから』って言ったらしい」
「おー。じゃあ氷室さんか」
「だろうな。で、その断り方がまた丁寧だったらしくて。告白してきた子も『嫌な気持ちにはならなかった』って言ってたとか」
「藤宮らしいな。敵作んないよなあいつ」
……聞きたくない話だった。
好きな人がいるから断った? 丁寧に? 嫌な気持ちにならない断り方?
はいはい。立派ですね。さすが藤宮様。
でもそれって——要するに、凛に対して本気だってことだろ。
遊びじゃなくて、ガチで凛を狙ってるってことだろ。
……ふざけんなよ。
あいつは遊び人だ。
どうせそのうち飽きる。
凛みたいな面倒くさい——
いや。
凛は面倒くさくない。面倒くさいのは——
……何を考えてるんだ、俺は。
頭を振って、スマホを取り出した。
グループLINEを開く。
『てか藤宮が一年の子断ったって話、どうせ氷室のこと狙ってるからだろ。ほんとキモいわ。あいつ何人と付き合ったんだよ。そんな奴に好きとか言われても凛も迷惑だろうに』
送信。
すぐに坂本から返信が来た。
『いや蒼太お前ちょっと藤宮のこと気にしすぎじゃね?w』
かちん、と来た。
『気にしてねえよ。事実言ってるだけだろ。つか坂本は藤宮の味方すんの?』
『味方とかじゃなくて、まあ普通に良いやつだし……』
『はあ? お前も結局そっち側かよ。あいつがチャラいの知ってて言ってんの?』
既読がついて——返信が来ない。
数分待っても、来ない。
……なんだよ。
俺が何か間違ったこと言ったか?
事実を言っただけだろ。藤宮が遊び人なのは周知の事実だし、凛に近づく理由だって明白だ。
俺は凛のために言ってるんだ。
幼馴染として当然のことを言ってるだけだ。
なのに——なんで、誰も同調してくれないんだ。
◇ ◇ ◇
帰り道。
凛を誘おうと思ったが、今日は結衣と用事があるらしく先に帰っていた。
仕方なく一人で歩く。
道すがら、あることを考えていた。
俺と凛の間に、告白は必要ない。
そう思ってきた。
幼馴染という関係は、言葉なんかなくても通じ合えるものだと。
でも——最近、凛の態度が少し違う。
先週のボランティアの帰り、「私が誰と話すかは私が決める」と言われた。
LINEの返信が来なくなった。
今日は一緒に移動教室に行くのも断られた。
全部——小さなことだ。
今までだって、凛は素っ気なかった。
元からそういう人間だ。
でも、「元からそう」と「最近そう」は——違う、のかもしれない。
いや。
違わない。
凛は凛だ。俺の知っている凛だ。
変わったのは——藤宮が余計なことをしてるからだ。
あいつが凛に近づかなければ、こんなことにはなっていない。
全部、あいつのせいだ。
家に着いて、自分の部屋でベッドに転がった。
スマホを開くと、グループLINEに新しいメッセージがあった。
田中からだ。
『蒼太、最近ちょっとキツくね? 藤宮の悪口ばっか言ってると、なんつーか……引くやつもいると思うぞ』
……は?
引く?
俺の何が引くんだよ。
事実を言ってるだけだ。
藤宮が遊び人なのも、凛に下心があるのも、全部事実だ。
俺はそれを指摘してるだけだろ。
返信を打つ。
消す。
また打つ。
また消す。
結局——何も返さなかった。
スマホを枕元に投げて、天井を見上げる。
苛立ちが収まらない。
藤宮にも、坂本にも、田中にも。
凛にも——いや、凛には怒ってない。
怒ってないけど——不安だ。
凛が俺から離れていく気がする。
根拠はない。具体的な証拠もない。
でも——空気が変わった。何かが、少しずつ、ズレている。
俺はそれを、藤宮のせいだと思っている。
……本当は。
本当は、原因が自分にあるかもしれないと、頭のどこかではわかっている。
でも、それを認めたら。
十年間積み上げてきた「俺と凛は大丈夫」という確信が、崩れてしまう。
だから——認めない。
認めるわけにはいかない。
翌日のグループLINEに、俺はまた藤宮の悪口を書き込んだ。
誰も返信しなかった。




