59、ドーローにまみれてよー
地面にへたり込み、わたしの突きつけた長巻の刃先を前にして、帝国軍の将校はわなわなと唇を震わせていた。
彼の軍服はすっかり泥と埃に塗れ、誇らしげに輝いていた胸の勲章も、今やすっかりくすんでしまっている。絶対の自信を持って乗り込んできた未開の地で、旧式と見下していた戦車と、女子高生の姿をした謎の存在に部隊を半壊させられたのだから、その屈辱は計り知れないだろう。
だが、この男はただの臆病者ではなかったらしい。彼は震える手で地面を掴み、わたしを見上げて悪態をついた。
「……思い上がるなよ、旧式の搭乗員、それに浮浪児め。貴様らが退けたのは、ほんの先遣隊に過ぎない」
彼は血走った目で背後の森を睨みつけた。
「すぐに本隊が到着する。我らが帝国が誇る、最新鋭の自律機動戦車中隊がな! 人間が手動で機械を動かす時代は、とうの昔に終わっているのだ。完全な論理で駆動する無人兵器の前に、貴様らの旧態依然とした反射神経など塵芥に等しいと思い知るがいい!」
彼は顔を真っ赤にして、勝ち誇ったように宣言した。
その言葉の余韻をかき消すように、森の奥から再び重苦しい振動が伝わってきた。先ほどの先遣隊とは比べ物にならない、大地の底から湧き上がるような金属とエンジンの共鳴音。木々が次々とへし折られ、鳥たちが恐怖に急かされて空へ飛び立っていく。
わたしは長巻を肩に担ぎ直し、呆れたように溜息を吐いた。
「最新鋭の自律機動って……要するにロボット掃除機のお化けみたいなのが来るってこと?」
『当機のデータベースと照合します』
背後で、チハたんが静かに演算を始める気配がした。
『彼らの言う自律機動とは、あらかじめ設定されたプログラムに沿って行動を分岐させるだけの、極めて初歩的な自動人形レベルの代物と推測されます。状況判断や学習能力を伴う人工知能と呼ぶには、控えめに言っておこがましいですね』
相変わらず後輩に対する評価が辛辣である。
帝国軍の連中は、チハたんのことを「人間が乗って操縦している旧式」と思い込んでいる。そして、自分たちの持ち込んできたプログラム制御の兵器こそが「人間を超えた最新鋭」だと信じて疑わないらしい。
本物の高度な自律型AIであるチハたんからすれば、お遊戯会を見せられているような気分なのかもしれない。
やがて、森の境界線を突き破って、帝国軍の本隊が姿を現した。
先ほどの装甲車よりも一回り小さく、車高が低い。無人であることを前提としているためか、搭乗員を守るための装甲の厚みよりも、機動力を重視したような歪な設計だった。
砲塔が不自然に二つ並んでおり、光学センサーと思われるガラスの球体が、昆虫の複眼のように車体のあちこちに取り付けられている。
それが、横一列に等間隔に並び、機械的な正確さでこちらへ向かって前進してきた。
不意に、周囲の空間にノイズ混じりの音声が響き渡った。敵の後方に位置する指揮車両から、通信用の魔法か拡声器を使って音声を飛ばしているらしい。
「旧式の車長! よくぞ我が先遣隊を退けた。その操縦技術は賞賛に値する」
どこか芝居がかった、野太い男の声だった。
「だが、貴様の武運もここまでだ。人間の脆弱な肉体と、曖昧な感情に依存した操縦では、我らが最新鋭の無人戦車中隊には決して勝てない。機械の完全なる論理の前に、ひれ伏すがいい!」
わたしはチハたんの装甲をポンポンと叩いた。
「ねえ、チハたん。向こうの指揮官さん、まだあなたのこと人間が運転してるって信じてるみたいだよ」
『認知の歪みです。彼らの歴史観では、機械が自ら思考し、言葉を発するという概念そのものが消失しているのでしょう。自らの想像力の限界を、世界の限界と勘違いしている典型的な例です』
「じゃあ、どうする? 教育的指導、継続する?」
『もちろんです。自動化の何たるかを、彼らのポンコツな基板に物理的かつ論理的に刻み込んでやりましょう』
チハたんのエンジンが、低く唸りを上げた。それは戦いを前にした猛獣の喉鳴りのようであり、同時に、出来の悪い後輩を叱りつける前の準備体操のようにも聞こえた。
戦闘は、敵の無人戦車群の一斉射撃で幕を開けた。
彼らの攻撃は、魔法を使った爆発などではなく、純粋な火薬の力で鉄の塊を飛ばしてくるだけの物理攻撃だ。
飛来する鉄球の軌道は、幾何学的なまでに正確だった。こちらの現在位置と、走行速度、そして風向きまでを計算し尽くした、教科書通りの完璧な射撃。
「いかにも機械って感じの動きだね」
『彼らのアルゴリズムは、過去の戦術データをそのままなぞっているだけです。確率的に最も命中率の高い弾道を導き出しているのでしょうが、柔軟性が皆無です』
チハたんは余裕の音声と共に、車体をわずかに傾け、飛んでくる鉄球を分厚い正面装甲の絶妙な角度で受け流した。火花が散るが、ダメージは皆無だ。
「じゃあ、一番非合理的な動きで行こう。チハたん、右前方のあの泥のぬかるみにフルスピードで突っ込んで!」
『泥濘地への突入は車体の機動力を著しく低下させ、履帯の破損リスクを高めるため、軍事教本では禁忌とされています』
「いいから、やって!」
『ですが、了解しました。物理法則の限界に挑戦します』
チハたんは圧倒的な馬力を解放し、わたしが指示した湿地帯へと真っ直ぐに突進した。
敵の無人戦車のセンサーが、チハたんの挙動を捉え、赤い光を明滅させる。彼らのプログラムは、おそらくこう判断したはずだ。「目標は泥濘地に侵入した。速度は急激に低下し、停止する。絶好の標的である」と。
敵の砲塔が一斉に、泥の中へ突っ込んだチハたんの未来位置へと向き、次弾を放つ。
だが、彼らの計算は根本から間違っていた。
「そのまま、ドリフト!」
『駆動系リミッター、解除』
チハたんは泥の中で停止するどころか、履帯を猛烈な勢いで空転させ、大量の泥水を空高く跳ね上げながら、車体を真横に滑らせた。
数トンの鉄の塊が、泥の上をスケートリンクのように滑っていく。
敵が予測して撃ち込んだ鉄球は、チハたんが数秒前までいた空間を虚しく通過し、背後の森の木々を粉砕するにとどまった。
「中の奴、頭がおかしいのか!? なぜ泥の中で機動力を維持できる!?」
敵の通信から、指揮官のパニックに陥った声が漏れ聞こえてくる。
「AIの自動制御が追いつきません! 目標の軌道予測、不可能です!」
当然だ。今のチハたんの動きは、軍事的な合理性ではなく、アクションゲームをプレイする女子高生の無茶苦茶な思いつきと、それを強引に実現してしまう圧倒的なオーバースペックの融合なのだから。過去のデータしか持たない自動人形に、この狂気が読めるはずがない。
「よし、今度は目隠しだ! えんやこらさんズ、出番だよ!」
わたしが空に向かって叫ぶと、上空で待機していた光の粒たちが、待ってましたとばかりに急降下してきた。
彼らは、敵の撃ち出すただの鉄球には一切の興味を示さなかったが、無人戦車に取り付けられているガラス球のような光学センサーには、異常なほどの好奇心を示した。
[ピカピカしてるー!][おもしろーい!][これ、なにー?]
えんやこらさんズは、それぞれの無人戦車のセンサーに群がり、その表面にへばりついて極彩色の光を明滅させ始めた。
カメラのレンズの真ん前で、ペンライトを激しく振り回しているような状態だ。
「な、なんだあの光は!? センサーが完全に機能不全に陥っているぞ!」
「光学視界ゼロ! プログラムがエラーを吐き続けています!」
敵の通信は、もはや絶叫の域に達していた。
情報処理に依存しきった無人兵器にとって、視覚を奪われ、意味のない光のデータ信号を大量に送り込まれることは、死を意味する。
無人戦車群は完全に統制を失い、あちこちで同士討ちを始めたり、木に激突して停止したりと、無様な姿を晒し始めた。
「チハたん、仕上げだよ!」
わたしはチハたんの砲塔の上に立ち、バランスを取りながら長巻を前方に突き出した。
『了解。局地的な地形変動魔法、射出します』
チハたんの主砲から放たれたのは、破壊的な魔弾ではなかった。
それは、足元の泥濘の水分と土砂を魔力で強制的に隆起させる、大規模な土木工事のような魔法だった。
着弾点から、泥の津波が発生した。
茶色い波がうねりを上げ、視界を奪われて右往左往していた無人戦車群を一気に飲み込む。
分厚い装甲も、最新鋭のプログラムも、大自然の泥の重みの前には無力だった。車輪や履帯に泥が詰まり、吸気口が塞がれ、敵の主力部隊は次々と沈黙していく。
金属が軋み、エンジンが悲鳴を上げて停止する音が、森に響き渡った。
ほんの数分間の出来事だった。
泥だらけの惨状の中で、無傷で動いているのは、虹色の防壁を纏ったチハたんと、その上に立つわたしだけになっていた。
「ば、馬鹿な……」
敵の指揮車両から、震える声が響く。
「旧式の手動操作で、なぜ……なぜ、我が帝国の最新の自律システムが敗れるのだ……! あり得ない、こんなことは論理的にあり得ない!」
その嘆きは、聖女セシールが敗北した時に漏らした言葉と、酷似していた。
完璧なシステムを信奉する者たちは、不測の事態に直面すると、例外なく同じような台詞を吐くらしい。
わたしが口を開く前に、チハたんが外部スピーカーの出力を上げた。
『泥を舐めた経験と、乗っている人間の狂気の差です』
チハたんの言葉は、相変わらず冷徹で、そして容赦がなかった。
『貴官らの構築したシステムは、あまりにも綺麗事に過ぎます。机上の計算だけで戦場を支配できると過信している。泥に足を取られ、視界を奪われた時のフェイルセーフが全く構築されていません。これを最新鋭と呼ぶのであれば、やはり貴官らの技術は救いようがないほど退化していますね』
「だ、黙れ! 貴様、ハッタリを言うな!」
指揮官の男は、パニックに陥りながらも喚き散らした。
「機械が自ら思考し、相手を嘲笑するなど、そんなオーバーテクノロジーが存在するはずがない! 中の車長、貴様、腹話術でも使っているのか!」
どこまでも現実を受け入れられない男だ。
わたしは溜息をつき、チハたんの装甲を蹴って、指揮車両のボンネットの上へと跳躍した。
重たい着地音と共に、わたしは指揮官の男を見下ろす形になる。
「腹話術じゃないよ。チハたんは自分の意志で喋ってるの」
わたしは、泥だらけになった長巻の刃先を、男の鼻先に突きつけた。
「存在してんだよ、現にここにね。あんたたちの信じてる『最新鋭』なんて、うちのポンコツ……じゃなかった、可愛い相棒の足元にも及ばないってこと」
男は目を剥き、恐怖に顔を引き攣らせて固まった。
軍国主義の無機質な理屈が、泥んこプロレスの勢いと女子高生の適当さに完全に屈服した瞬間だった。
わたしは、周囲を見渡した。
帝国軍の本隊は、文字通り泥まみれになって完全沈黙している。
村人たちが、遠くからおそるおそる様子を窺い、やがて勝利を確信して歓声を上げ始めた。
タゴサックさんが拳を突き上げ、エルドが安堵の表情でへたり込んでいる。ザキだけは、倒れた無人戦車を興味深そうに観察していた。農機具に改造できないか、とでも考えているのかもしれない。
空を見上げると、えんやこらさんズが満足げに光の粒子を振り撒きながら、元の森の奥へと帰っていくところだった。
「終わったね、チハたん」
『はい、千波。敵部隊の完全制圧を確認しました。当機の装甲に損傷は皆無です』
「お疲れ様。後輩の指導、楽しかった?」
『楽しいという感情は定義されていませんが、不良品を物理的にスクラップにする作業は、システムの最適化に寄与する感覚があります』
「それ、要するにスッキリしたってことでしょ」
わたしは声を出して笑った。
宗教の次は軍隊。神様の次は機械。
次から次へと厄介な連中が押し寄せてくるけれど、この泥臭い村の日常は、そう簡単には壊されない。
それにしても、あの帝国軍の将校が言っていた「天空の神の遺跡」という言葉が、どうにも気にかかる。
チハたんの受信した「EVE」という信号。
そして、この世界の技術が、過去から退化しているという事実。
ただのファンタジーだと思っていたこの世界には、わたしたちの想像を絶するような、巨大なSF的バックボーンが隠されているのかもしれない。
だが、今はそんな難しいことを考えている暇はない。
まずは、この泥だらけの鉄クズどもを片付けて、ガメッチに高値で売り飛ばす交渉をしなければ。
資本主義のたくましさと、軍国主義の脆さ。
それを証明した今日の戦いは、泥の匂いと、少しの油の匂いがした。
わたしは大きく伸びをして、騒がしい日常の続きへと歩き出した。




