54、うっせー! うっせー! 聖女にはわからないかもね
音楽って、基本的には人の心を豊かにするエモいものだとわたしは思う。
でも、使い方をちょっとでもミスると、一瞬で凶器に化ける事もある。
例えば、真夜中の住宅街を走り抜ける改造車の排気音とドゥンドゥン響く重低音。あれもう音楽っていうか、承認欲求を物理的な振動に変換しただけのただの近所迷惑でしかない。
わたしは異世界の辺境で、それに限りなく近い、いや、もっとタチの悪いノリと勢いだけの「音響テロ」を堂々と主導していた。
「最高に無駄な大騒音フェスティバル」と銘打ったこの狂気の宴は、開始から数分で村の空気を一変させた。
さっきまで、セシールの放った陰湿な精神攻撃によって、村人たちはそれぞれのトラウマの泥沼に首まで浸かっていたはずだ。過去の罪悪感に苛まれ、絶望の淵でうずくまっていた獣人や人族の難民たち。
彼らは今、手近にあったありとあらゆる「叩けば音が出るもの」を手に取り、狂ったように打ち鳴らしている。
タゴサックさんが空の木樽を薪で打ち据え、エルドがガメッチから買い取ったばかりの銅鍋を柄杓で叩き、ウールくんが二つの平たい石をこすり合わせている。そこにリズムや調和といった音楽的な概念は一切存在しない。
ただただ、無秩序に、そして感情の赴くままに音を生み出しているだけ。
そこに追い討ちをかけるのが、チハたんが放つ本命のノイズ兵器。
わたしの脳内に蓄積されていた音楽データの中から、チハたんが「最も敵の演算処理に負荷をかける」と判断してチョイスしたのは、ある種の伝説的な電波ソングと、北欧産の極悪なデスメタルを強引に繋ぎ合わせた、悪夢のようなマッシュアップだった。
戦車の巨大な装甲全体がスピーカーの振動板と化し、人間の可聴域の限界を攻めるような甲高い電子音と、地獄の底から這い上がってきたようなデスボイスが交互に、あるいは同時に村中に放射されている。
空気が直接肌を殴りつけてくるような感覚だ。足元の土が微かに跳ね上がり、近くの木々の葉が不自然に震えている。
「これ、わたし自身も結構つらいんだけど!」
わたしは両手で耳を塞ぎながら、チハたんの装甲に身を寄せて叫んだ。大声を出さないと自分の声すら聞こえない。
『耐えてください、千波。現在、敵の精神干渉波形を完全に相殺し、さらに逆位相のノイズを敵陣へ向けて照射中です』
チハたんの電子音声は、脳内に直接語りかけてくる設定になっているため、この喧騒の中でもクリアに聞こえた。
『セシールのシステムは、この無意味なデータの羅列を処理しようとして、論理回路をフル回転させています。結果、彼女本来の目的である「過去の罪と向き合わせる」という精密な精神操作が、完全に機能不全に陥りました』
上空では、えんやこらさんズが異常なテンションで飛び回っていた。
普段の彼らは、淡い光を放ちながら空中を漂っているだけなのだが、今は違う。チハたんの放つ暴力的なビートに感化されたのか、赤、青、緑、黄色と、まるで場末のディスコの照明のように激しく色を変えながら、高速で宙を乱舞している。
彼らの思考波もまた、意味を成さない情報の洪水となって空間を満たしていた。
明日には忘れてしまうような駄洒落、昨日の夕飯のメニュー、誰のお尻が一番魅力的かという無益な議論。それらの思考が、言語の形すら持たずに、光の明滅としてばら撒かれている。
「なんだ、これは。いったい何の真似だ」
背後から、ひどく冷めた声が降ってきた。
振り返ると、そこには農民としての新たな人生を歩み始めていたザキが立っていた。
彼は片手に愛用の鍬を握りしめたまま、村人たちの狂乱ぶりと、チハたんから放たれる未知の音楽に、心底理解できないという顔をしている。
「儀式じゃないよ。ただのバカ騒ぎ」
わたしは耳を塞いだまま答えた。
「聖女様がお高くとまって小難しい精神攻撃を仕掛けてきたから、こっちは考えることを放棄したの。理屈で勝てないなら、理屈の通じない土俵に引きずり込めばいいだけでしょ」
ザキは呆れたように息を吐いた。
「無教養にも程がある。だが……」
彼は鍬の柄を握る手に力を込め、村の外――セシールの純白のテントの方向へと鋭い視線を向けた。
「あの完璧な結界が、確かに揺らいでいる」
彼の言う通りだった。
村の周囲を取り囲んでいた聖騎士たちは、目に見えない音と光の圧力に耐えかねて、隊列を乱し始めていた。耳を覆ってうずくまる者、見えない敵に向かって剣を振り回す者など、規律という言葉から最も遠い状態に陥っている。
そして何より、セシールが鎮座しているはずの純白のテントそのものに、異変が起きていた。
テントの周囲を覆っていた、空間を歪めるほどの高密度な防壁。
それが今、まるで電波の悪いテレビ画面のように、断続的に乱れを見せている。風景が四角く切り取られてズレたり、一瞬だけ色が反転したりと、明らかな処理落ちの症状を見せていた。
『千波、敵の防御システムに深刻なエラーが発生しています』
チハたんの報告に、わたしは口角を上げた。
『彼女の演算領域は、この「意味のない無駄」を排除、あるいは理解しようとして、限界を超えました。完璧な白を維持するプログラムに、無数の泥の飛沫をぶつけている状態です。システムが矛盾を起こしています』
「いいぞ、もっとやれ! チハたん、ボリュームもう一段階上げられる?」
『推奨しません。これ以上出力を上げれば、味方である獣人たちの聴覚器官に不可逆的な損傷を与える確率が跳ね上がります』
「じゃあ現状維持で! みんな、もう少しだから頑張って叩いて!」
村人たちも、これがセシールの攻撃を防ぐ唯一の手段だと本能で理解しているのだと思う。
タゴサックさんの木樽を叩く手は血が滲んでいるし、エルドは銅鍋を叩きすぎて柄杓をへし折ってしまった。それでも、彼らは止まらない。
トラウマの泥沼に引きずり込まれるよりは、意味不明な騒音の中で正気を失う方がずっとマシなのだ。人間、究極の選択を迫られれば、より生命力に溢れた狂気を選ぶものらしい。
わたし自身も、魔素でできた身体の限界まで声を張り上げ、腕を振り回して村人たちを煽り続けた。
恐怖や不安を、音の暴力で強引に塗りつぶす。
これはもう戦いというより、生き残るための祭典だった。泥まみれで、汗臭くて、最高に下品な生存競争。
セシールが忌み嫌い、修正の対象とした「バグ」そのものの姿だ。
その時、空間を切り裂くような甲高い破裂音が響いた。
物理的な音ではない。ガラスの天井が砕け散ったような、あるいは真空の瓶が割れたような、世界そのものの構造が破損した音。
チハたんの放つ重低音すらも一瞬だけかき消すほどの、圧倒的な破綻の音。
村人たちの動きが止まった。
えんやこらさんズの光の乱舞も、空中で静止した。
皆の視線が、村の外へと向かう。
純白のテントを覆っていた不可視の防壁に、巨大な亀裂が走っていた。
蜘蛛の巣のように広がった亀裂は、次の瞬間、光の粉となって四散した。
絶対の安全圏だったはずのセシールの領域が、この泥臭いノイズの前に完全に崩壊したのだ。
聖騎士たちが恐慌状態に陥り、意味をなさない指示を怒鳴り合っている。
その混乱の中心で、テントの入り口を覆っていた純白の布が、内側から乱暴に払い除けられた。
現れたのは、もちろんセシールだ。
だが、その姿は、わたしがお茶会で対面した時の「美術館に展示されたビスクドール」のような完璧なものではなかった。
プラチナブロンドの長い髪は、重力に逆らうような完璧なストレートを保てず、いく筋かが顔に張り付いている。
純白の法衣の裾は、防壁が割れた衝撃で舞い上がった土埃を吸い、微かに汚れていた。
そして何より決定的に違っていたのは、その顔だ。
ガラス玉のように無機質で、一切の感情を排していたはずの蒼い瞳。
そこに、ありありと「色」が浮かんでいた。
眉間には深い皺が刻まれ、薄紅色の唇は不快感に歪んでいる。
彼女は、自分の周囲を満たす無意味な音の洪水と、意味不明な光の明滅を、信じられないものを見るような目で見渡した。
その瞳の奥で高速回転していた光の輪――システムの演算表示――は、完全にショートしたように不規則な点滅を繰り返している。
「……ありえません」
彼女の口から零れ落ちた声は、これまでのような録音された音声の再生ではなく、喉を震わせて絞り出した、生身の肉体の音だった。
「このような……無意味で、非合理的で、何の法則性もない事象が……わたくしの演算を上回るなど……」
彼女は両手で自分の頭を抱え込むようにした。
情報過多で脳がパンクしかけている人間の、極めて自然な防衛反応だ。
「エラーです……これは深刻なエラーです……排除しなければ……この汚らわしいノイズを、今すぐに……」
彼女の周囲の空間が再び歪み、新たな光の矢を形成しようとする。
だが、その光は形を成す前に、チハたんの放つ重低音の波に洗われて霧散してしまった。
強固な論理の土台を失った魔法は、単なる光の明滅にしかならない。
わたしは、防壁の消え去った村の境界線を越え、彼女に向かって歩み出た。
警戒してザキが止めようとする気配を感じたが、手で制する。
今の彼女は、歩く戦略核兵器ではない。ただの、想定外の事態にパニックを起こしている少女だ。
「言ったでしょ」
わたしは、彼女の数メートル手前で立ち止まり、あえて平坦な声で言った。
「あんたの世界には、決定的なものが欠けてるって。無駄がないから、無駄なものに対処できないのよ」
セシールが顔を上げ、わたしを睨みつけた。
睨みつけた、という事実そのものが、彼女の敗北を意味している。
感情というバグを否定していたシステムが、今や「怒り」あるいは「不快」という感情によって駆動しているのだから。
「貴女たちは……」
セシールの声が震えている。
それは恐怖なのか、怒りなのか、あるいは自分自身の中に生じた未知の感覚に対する戸惑いなのか。
「貴女たちは……うるさい……!」
その一言は、世界で一番完璧なシステムが発した、世界で一番人間くさい悲鳴だった。
「うるさい。汚い。意味がわからない。なぜ、このような非効率な行為で、生き延びようとするのですか。なぜ、素直に救済を受け入れないのですか」
彼女の目から、一滴の液体がこぼれ落ちた。
それは涙ではなく、システムの過負荷による生理的な排出物かもしれない。だが、わたしの目には、どう見ても悔し涙にしか見えなかった。
「生き延びるために、意味なんて必要ないんだよ」
わたしは、彼女の蒼い瞳を真っ直ぐに見据えて言った。
「うるさくて、汚くて、意味がわからない。それが、わたしたちの『生きている』ってことの証明だから。あんたの用意した無菌室の救済なんて、誰も頼んでない」
セシールは唇を噛み締め、何かを言い返そうとした。
だが、言葉は続かなかった。
彼女の内部システムが、これ以上の論理的破綻を防ぐために、強制的なシャットダウンを要求しているのだろう。
彼女の身体が大きくよろめき、膝から崩れ落ちそうになる。
背後に控えていた聖騎士たちが慌てて駆け寄り、彼女を支えた。
「撤退……」
セシールが、消え入るような声で命じた。
「……一時、撤退します。現在のわたくしの状態では……このノイズを、正しく処理できません……」
聖騎士たちは顔を見合わせ、すぐさま彼女を馬車へと運び込んだ。
彼らにとっても、絶対的な存在であった聖女がこれほど取り乱す姿は、想定外の事態だったはずだ。軍勢の動きには、明らかな焦りと恐怖が混ざっていた。
土煙を上げながら、きらびやかな馬車と鎧の集団が、南の街道へと逃げるように後退していく。
昨日までの威圧的な包囲網が、嘘のように解けていった。
チハたんの放っていた音楽が、途切れる。
村人たちの叩く音も、一つ、また一つと止んでいき、やがて村は元の静寂を取り戻した。
えんやこらさんズだけが、まだ名残惜しそうに空中を漂っている。
わたしは、大きく息を吐き出し、その場に座り込んだ。
魔素の身体とはいえ、精神的な疲労は限界を超えていた。
『千波。敵軍の完全な撤退を確認しました。現時点での脅威は去りました』
チハたんの冷静な報告が、耳に心地いい。
「……勝った、のかな」
『局地的な戦術目標は達成しました。彼女の精神干渉システムを物理的損傷なしに破壊したことは、評価に値します』
「評価に値するって……チハたんが音楽流しただけじゃん」
『いいえ。あの状況で、あのような非論理的な対抗策を立案し、実行に移したあなたの狂気……もとい、柔軟な思考力の結果です』
「今、狂気って言いかけたよね」
わたしが背後を睨むと、チハたんは砲塔を少しだけそらした。
村の入り口では、タゴサックさんやエルド、ウールくんたちが、へたり込みながらも互いの無事を確かめ合い、かすかに笑い声を上げ始めていた。
彼らの顔には、トラウマの陰りはない。
ただ、バカ騒ぎをした後の、心地よい疲労感だけが残っている。
「……まあ、いいか」
わたしは地面に寝転がり、二つの太陽が昇り始めた空を見上げた。
完璧なシステムをバグらせることに成功した。
聖女セシールは、感情というノイズを知ってしまった。
彼女が次にどう動くかはわからない。もしかしたら、さらに強力な「修正プログラム」を持って戻ってくるかもしれない。
それでも。
「ねえ、チハたん」
『はい』
「うるさいって、最高の褒め言葉だと思わない?」
『一般辞書的な解釈とは異なりますが、今回のケースにおいては同意します』
わたしは声に出して笑った。
泥だらけで、傷だらけで、欠点だらけのわたしたちの村。
でも、このやかましいノイズこそが、わたしたちの最強の武器なのだ。
さあ、次はどんな手を打ってくるのか。
受けて立ってやろうじゃないか。
わたしたちの「無駄な日常」を、そう簡単には奪わせない。
この異世界で一番うるさい村の領主として、わたしはそう心に誓った。




