49、ねぇ農民(仮)こっち向いて
ニートという言葉がある。
わたしの元の世界では、それは「教育を受けず、労働もせず、職業訓練も受けていない者」って意味だったはずなんだけど、いつの間にかネットの海を漂ううちに「働いたら負けだと思っている高等遊民」という、なんだか哲学的なニュアンスを帯びるようになっている。
まぁそれで暮らしていけるのなら、取り立てて否定はしない。
でも、ここは異世界。
コンビニもなければ親の年金もない。ここでは「働かざる者食うべからず」という言葉が、そのまま機能している。働かないと死ぬ。実にシンプルで、かつ残酷なシステムだ。
そんな過酷なサバイバル環境である千波領において、たった一人、堂々とニート生活を謳歌している男がいた。
元異端審問官、ザキ・アスティロンだ。
彼は捕虜。
本来なら地下牢に繋がれて、一日一杯の水とカビの生えたパンで命を繋ぐのが相場なんだと思う。でも、あいにくこの村には地下牢なんて洒落た設備はないし、彼を拘束しておけるだけの頑丈な鎖もない。
そもそも、あのバカげた身体能力を持つ男を物理的に縛り付けることなんて、チハたんのキャタピラで踏みつけ続ける以外に方法がないのだ。
結果として、彼は「逃げない」という口約束ひとつで、村の端にある小屋で軟禁生活を送っていた。
軟禁といっても、監視役のタゴサックさんが遠巻きに睨んでいるだけで、実質的にはフリーダムだ。
彼は毎日、小屋の前の切り株に座り、一日中、虚空を見つめている。
微動だにしない。
まるで哲学者の彫像か、あるいは電池の切れた玩具のように、ただそこにいる。
その顔は整っているし、纏っている雰囲気も無駄に荘厳だから、遠目に見る分には絵になるのが腹立たしい。村の風景に「没落した貴族の憂鬱」みたいなフィルターを勝手にかけている。
「……ねえ、チハたん」
わたしは、畑仕事の休憩中に呟いた。
「あいつ、いつまであのままなのかな」
『予測不能です。彼の精神状態は「信仰システムの崩壊」による虚脱状態にあります。再起動には時間がかかるでしょう』
チハたんが冷静に分析する。
「でもさ、ご飯はきっちり食べるじゃない。一日三食。好き嫌いなく」
『基礎代謝が高いのでしょう。カロリー摂取は生命維持に必須です』
「それはそうなんだけど……なんか、納得いかないんだよね」
みんなが汗水垂らして働いている横で、イケメンが物憂げに空を見上げているだけでご飯がもらえるシステム。これはいかがなものか。顔面偏差値が高ければ許されるというのは、前世のアイドル業界だけにしてほしい。
その時だった。
村の共有畑の方から、情けない声が上がった。
「ああっ! また枯れてる!」
「どうしてだ……水はやったのに!」
声の主は、人族の難民たちだ。
先日、ガメッチから買った種や苗を植えて、彼らなりに農業に挑戦しているのだが、これがまあ、絶望的に下手だった。
彼らの多くは元都市生活者だ。記録係だったり、下級商人だったり、職人だったり。土いじりなんて、植木鉢の観葉植物を枯らすくらいしか経験がない人たちばかりなのだ。
鍬を持たせれば腰を引き、雑草と間違えて苗を抜き、水をやりすぎて根腐れさせる。見ていてハラハラするを通り越して、もはや前衛的なコントを見ている気分になる。
わたしは立ち上がろうとした。
一応、わたしもド素人だけど、チハたんのデータベースから「農業マニュアル」を検索してアドバイスくらいはできる。
だが、わたしより先に動いた影があった。
ザキだ。
今まで彫像のように固まっていた彼が、ゆらりと立ち上がった。
その動きには一切の予備動作がなく、まるで幽霊のように滑らかだった。
彼は無言のまま、畑の方へと歩いていく。
タゴサックさんが慌てて弓を構えるが、ザキに敵意がないのを見て取り、警戒しつつ見守る体勢に入った。
ザキは、へたり込んでいる難民たちの前で立ち止まった。
その金色の瞳が、無残な状態になった畝を見下ろす。
そして、低く、冷たい声で言った。
「……冒涜だ」
難民たちが震え上がる。
かつて彼らを裁こうとした異端審問官だ。トラウマスイッチが連打されても仕方がない。
「ひぃっ、す、すみません……!」
「許してください……!」
男たちが平伏する中、ザキはゆっくりと視線を動かした。
「土を……舐めているのか」
意外な言葉だった。
てっきり「神への祈りが足りない」とか言い出すかと思ったのに。
ザキは、一人の男から鍬をひったくった。
その手つきは乱暴だったが、不思議と鍬に対する敬意のようなものを感じさせた。
「見ろ」
ザキが鍬を構える。
その姿勢の良さといったらなかった。背筋がピンと伸び、腰が落ち、体幹が微動だにしない。まるで剣の達人が真剣を構えるような、研ぎ澄まされた気配。
たかが農作業に、なんでそんな殺気を込める必要があるの。
「土を起こすというのは、ただ掘り返せばいいというものではない。大地の呼吸を聞き、その硬直を解きほぐす……言わば、世界との対話だ」
なんか壮大なこと言い出した。
ザキが鍬を振り下ろす。
風を切る音すらしなかった。
鍬の刃が、吸い込まれるように土に入る。
そして、手首のスナップだけで、土がふわりと宙に舞い、美しく裏返った。
まるで一流シェフがオムレツをひっくり返すような優雅さだ。
「えっ……」
周囲で見ていた誰もが息を呑んだ。
ザキは止まらない。
一定のリズムで、正確無比に、機械のように鍬を振るう。
そのたびに、硬く締まっていた土が、ふかふかのベッドのように生まれ変わっていく。
『動作解析。無駄な挙動ゼロ。エネルギー効率、最大。彼の身体強化魔法が、農作業に最適化されています』
チハたんが感心したように呟く。
「……身体強化って、戦闘用の?」
『はい。筋力、反射神経、持久力。すべてを「土を耕す」という一点に集中させています。恐るべき集中力です』
無駄遣いにも程がある。
フェラーリで近所のコンビニに牛乳を買いに行くようなものだ。
あっという間に一列の畝を作り終えたザキは、涼しい顔で鍬を置いた。
息一つ切らしていない。額に汗一滴浮かんでいない。
「……畝の高さが不均一だ。これでは水はけに偏りが出る。根が腐るのは当然の帰結だ」
彼は淡々と言い放った。
「雑草の抜き方も甘い。根を残せば、それは慈悲ではなく怠慢だ。悪は根絶やしにせねばならん。雑草もまた然り」
思想が漏れてる。異端審問官時代の思想が、農業にスライドしてる。
「お前たち。鍬を持て」
ザキが命令した。
難民たちが、慌てて鍬を握り直す。
「腰が高い。それでは土に力が伝わらん。大地に敬意を払え。もっと低く」
「は、はいっ!」
「違う。肘を使うな。背中で引け。信仰と同じだ。小手先でどうにかしようとするな。全身全霊を込めろ」
「は、はいっ! 全身全霊ッ!」
いつの間にか、畑がブートキャンプと化していた。
鬼教官ザキと、怯えながらも必死に食らいつく新兵たち。
奇妙な光景だった。
つい先日まで殺し合いを演じていた者同士が、今は「いかに効率よく土を耕すか」という一点において、師弟関係を結んでいるのだから。
わたしは、そっと近づいて声をかけた。
「……ねえ、ザキ」
ザキの手が止まる。
振り返った彼の顔は、いつもの無表情だったが、その瞳の奥には奇妙な熱が灯っていた。
「……なんだ。精霊千波」
「農業、詳しいの?」
「詳しくはない」
彼は即答した。
「だが、理屈はわかる。植物も、土も、法則に従って生きている。ならば、その法則に沿って最適解を導き出せばいいだけのことだ」
「……へえ」
「それに」
彼は視線を外し、自分の手のひらを見つめた。
土で汚れた手だ。かつては血で汚れていた手が、今は泥にまみれている。
「……こいつらの手際は、見ていて不愉快だ。非効率的すぎる。神が与えた時間を浪費している。それは罪だ」
素直じゃないな、と思う。
要するに、見かねて手を出しただけだ。
困っている人を見て、放っておけなかった。
それは、わたしが彼を助けた理由と、根っこは同じなんじゃないだろうか。
「ザキ」
「なんだ」
「似合うよ。鍬」
わたしが笑うと、彼はふんと鼻を鳴らした。
「侮辱と受け取っておく」
そう言って、彼は再び鍬を振るい始めた。
その背中は、かつて教会で見せた威圧感とは違う、もっと地に足の着いた強さを漂わせていた。
それから数日、ザキは「畑の守護神」と化した。
朝は誰よりも早く起きて畑の状態を確認し、水やりのタイミングを指示し、害虫を見つければ指先でピンポイントに弾き飛ばす(弾丸のような速度で虫が吹き飛ぶので、見ていて怖い)。
彼の指導は厳しかったが、的確だった。
難民たちの畑は、見違えるように整然としたものになり、枯れかけていた苗も息を吹き返した。
そして今日。
初めての収穫の日がやってきた。
育ったのは、成長の早いラディッシュのような根菜だ。赤くて丸い実が、土の中から顔を出している。
「抜け」
ザキが短く命じた。
難民の男が、震える手で葉の根元を掴む。
力を込めると、スポッという小気味いい音と共に、鮮やかな赤色の実が姿を現した。
「おぉ……!」
歓声が上がる。
小さいけれど、立派な野菜だ。自分たちの手で育て、守り抜いた命だ。
男は、泥を払うのも忘れて、それをザキに差し出した。
「あ、あの……! これ、一番最初に……!」
ザキは眉をひそめた。
「俺にか?」
「はい! あなたが教えてくれなかったら、きっと全部枯らしてました。だから……」
ザキは、しばらくそのラディッシュを見つめていた。
金色の瞳に、赤い実が映る。
彼はゆっくりと手を伸ばし、それを受け取った。
そして、無造作に服で泥を拭うと、ガリリと齧り付いた。
シャク、という瑞々しい音が響く。
全員が固唾を飲んで見守る中、ザキは口を動かし、飲み込んだ。
「……どう、なの?」
わたしが恐る恐る尋ねる。
ザキは、口元を手の甲で拭った。
「……土の味がする」
「え、不味いの?」
「いや」
彼は、僅かに、本当に僅かに、口角を上げた。
「……悪くない」
その一言で、畑に爆発的な歓声が沸き起こった。
難民たちが抱き合い、涙を流して喜んでいる。
獣人たちも、遠巻きにそれを見て、尻尾を振っている。
ザキは、もう一口齧ると、背を向けて歩き出した。
その背中には、もう「ニート」の哀愁はなかった。
そこにあるのは、仕事をした男の、静かな充実感だった。
『千波。データ更新』
チハたんが囁く。
『対象:ザキ・アスティロン。職業分類を「捕虜」から「農業指導員」へ変更しますか?』
「……うーん」
わたしは、齧りかけのラディッシュを持って歩く彼の後ろ姿を見送った。
「『農民(仮)』でいいんじゃない?」
『了解。農民(仮)として登録しました』
ザキが農民。
世界がひっくり返るようなジョブチェンジだ。
でも、剣を持って人を裁いていた頃よりも、鍬を持って土と格闘している今の彼の方が、ずっと人間らしく見えた。
わたしも、彼が残していった収穫の山から一つ手に取った。
泥を払い、齧ってみる。
辛味と、微かな甘み。そして、ザキの言った通り、土の匂いが鼻に抜ける。
それは、生きる味がした。
「……うん、美味しい」
空を見上げると、二つの太陽が眩しく輝いていた。
今日もいい天気だ。
絶好の、農業日和だ。
だが、平和な時間は長くは続かない。
それはお約束だ。
『千波。警戒レベル上昇』
チハたんの声が、日常の空気を切り裂く。
わたしはラディッシュを飲み込んで、表情を引き締めた。
「今度はなに?」
『南方の街道より、接近する反応あり。多数の馬車と、護衛兵。旗印を確認しました』
「教会?」
『いいえ』
チハたんは否定した。
『王家の紋章です。そして……先頭の馬車には、高出力の魔導反応』
「魔導反応?」
『はい。パターン照合……これは、「聖女」と呼ばれる個体群の波長に酷似しています』
聖女。
その単語を聞いた瞬間、胃のあたりがズンと重くなった。
農業の次は、政治か宗教か。
わたしのスローライフ計画は、いつになったら着工できるんだろう。
わたしはため息をついて、泥だらけの手をパンパンと払った。
「……さて、行きますか」
畑仕事の次は、外交のお仕事だ。
領主様も楽じゃない。
でもまあ、美味しい野菜が育ったんだ。
それだけで、今日はよしとしよう。
わたしは、不穏な気配のする南の空を睨みつけ、一歩を踏み出した。




