48、ロバのおじさんチンカラリン
貧乏ってのは、まるで質の悪い風邪みたいだ。
最初は「あれ、なんかちょっと調子狂うな」くらいの、ほんの些細な違和感から始まる。でも、それを「まあ寝てりゃ治るでしょ」なんて放置してると、いつの間にか熱は上がるわ、節々は痛むわ、思考回路はショートするわで、気づいた時には布団の中で「神様仏様、あと渋沢栄一様、なにとぞお助けを」って祈る羽目になるんだから。
で、一番タチが悪いのが、これ、伝染るんだよね。
一人が「金ないわー」って言い出すと、周りもなんとなく貧乏くさくなる。空気が澱むっていうか、村全体が「節約」とかいう世知辛い二文字に支配されちゃう感じ。
千波領――って勝手に名付けられちゃったこの集落は、いま、まさにその「貧乏ウイルス」に感染して、盛大に咳き込んでいる最中だった。
まあ、平和にはなったよ?
例の「罪と罰とパンケーキ作戦」で、みんなの血糖値を爆上げして、無理やり多幸感で脳内麻薬をドバドバ出させたおかげで、村の雰囲気は悪くない。リグはぶつくさ文句を垂れ流しながらも人族の世話をしてるし、人族たちも「ここにいていいのかな」みたいな顔をしつつ、薪割りなんかを手伝ってる。
衣食住の「住」は、チハたんという超高性能重機のおかげでなんとかなった。「食」も、森の恵みと畑仕事で、まあ餓死はしないレベル。
問題は「衣」と、それから文明的な生活を送るための諸々の雑貨がないこと。
具体的に言うと、塩がない。針がない。鍋が足りない。靴が破れる。パンツのゴムが伸びる。
ファンタジー小説なら、魔法使いが杖を一振りすれば「アラ不思議!」って解決するのかもしれないけど、あいにくわたしの魔法は「魔素でボディを作る」とか「戦車砲をぶっ放す」とか、極端な方向にパラメータが振られちゃってるからね。塩化ナトリウムの結晶構造を理解して生成するなんて芸当は、化学のテストで赤点スレスレを低空飛行してたわたしには、エベレスト登頂並みにハードルが高い。
そんなわけで、わたしたちは今、猛烈に「物」に飢えていた。
Amazonもなければ楽天もない、ウーバーイーツなんて夢のまた夢なこの森の奥で、わたしたちは文明の渇きに喘いでいたわけだ。
そんなタイミングだよ。
タゴサックさんが、血相を変えて飛び込んできたのは。
「千波様! 大変です! 村の入り口に、怪しい男が!」
怪しい男。
その響きだけで、もうロクなことにならない予感しかしない。
教会の密偵か、あるいは迷い込んだ野盗の生き残りか。どっちにしろ、また面倒ごとの種が風に乗って運ばれてきたってことだよね。わたしは深いため息をついて、魔素でできた重たい腰を上げた。
村の入り口に行くと、そこには一頭のロバと、一人の男がいた。
男は、なんというか、煮染めた雑巾みたいな服を着てた。年齢は四十代くらいかな。日焼けした肌に、無精髭。そして何より特徴的なのは、その目。
右を見て、左を見て、また右を見る。常に眼球がキョロキョロせわしなく動き回ってる。
こういう目をする人間は、だいたい二種類しかいない。
指名手配犯か、あるいは詐欺師だ。
男は、獣人たちに槍を突きつけられて、両手を挙げていた。その顔には恐怖よりも、「やれやれ、商売になりそうにねえな」っていう、諦めみたいな色が浮かんでる。
「……誰?」
わたしが声をかけると、男の視線がこっちに向いた。
そして、わたしの背後に鎮座するチハたんを見て、眼球の回転運動をピタッと停止させた。口が半開きになって、喉の奥からヒキガエルが潰れたような音が漏れる。
「て、鉄の……化け物……?」
『訂正を要求します。化け物ではありません。九七式中戦車改です』
チハたんがスピーカー越しに冷淡に答える。
男は腰を抜かした。ロバがいななき、後ずさる。
まあ、無理もないよね。中世レベルの文明観を持つ人間に、いきなり二十世紀の殺戮兵器を見せつけたら、それはもう神話的恐怖でしょ。クトゥルフ神話の邪神と大差ないよ。
「あー、大丈夫。噛まないから。たぶん」
わたしは努めて明るく言った。噛む機能はないけど、踏み潰す機能はあるしね。
「で、あなたは? 教会の人?」
男は震えながら首を振った。
「ち、違いやす……あっしは、ただの商人……行商人でさぁ。ガメッチといいやす」
ガメッチ。
名前の響きからして、がめつそうだ。親のネーミングセンスを疑うレベルだけど、まあいいや。
「商人? こんな森の奥まで?」
「へえ……。最近、教会がこの辺りを『立ち入り禁止区域』に指定したもんで。逆に言えば、誰も入らねえってことは、商売敵もいねえってことで……」
なるほど。
リスクを冒してでもブルーオーシャンを狙う、ベンチャー精神あふれる個人事業主ってわけか。あるいは、ただの命知らずの馬鹿か。どっちにしても、嫌いじゃないよ、その根性。
「で、何を持ってるの?」
ガメッチという男は、わたしたちがすぐに殺す気がないとわかると、急に商人の顔に戻った。腰を抜かしてたのが嘘みたいに立ち上がって、揉み手をしながらロバの荷台を指差す。
「へへ……塩、油、布、針、鍋、それに少々の香辛料……なんでもありやすぜ。ただし、値段はちいとばかし張りますがね」
塩。
その単語を聞いた瞬間、タゴサックさんの耳がピクリと動いた。
わたしも、思わず唾を飲み込んだ。
塩ゆで卵。塩おにぎり。焼き魚の塩。
ああ、塩化ナトリウム。君はどうしてそんなに魅力的なの。今のわたしにとって、君はダイヤモンドより輝いて見えるよ。
「欲しい」
わたしは正直に言った。駆け引きとか苦手だし。
「全部欲しい。置いてって」
「へへ、毎度あり。で、支払いは?」
ガメッチが右手のひらを上に向け、指をこすり合わせる。世界共通の「金よこせ」のサインだ。
そこで、わたしはハタと気づいた。
金がない。
いや、比喩じゃなくて、本当に一銭もないのだ。スッカラカン。
この村では物々交換と相互扶助で経済が回ってる。貨幣経済なんていう高度なシステムは導入されてない。わたしのお財布は異世界転移の際にどこかへ消えたし、そもそも日本円が通用するとも思えない。渋沢栄一さんが束でいても、ここではただの紙切れ、鼻かんで終わりだよ。
「……ツケで」
「勘弁しておくんなせえ。あっしらも命がけなんでさぁ」
ガメッチは冷たく言い放った。
そりゃそうだ。いつ滅ぼされるかわかんない異端の村に、ツケで物を売る商人がいたら、それは商人じゃなくて慈善事業家だ。そして目の前の男は、どう見てもマザー・テレサの親戚じゃない。顔に「金が好き」って書いてあるもん。
「物々交換ならどう?」
「物によりますな。獣の毛皮か、魔石か、あるいは……」
ガメッチの視線が、ふとチハたんの方へ向いた。
いや、正確にはチハたんの足元。そこに転がってる、金属片だ。
先日の戦いで壊れたセラフィリアンの残骸や、チハたんが修理の際に出した装甲の切れ端。それらが無造作に積み上げられてる場所。いわゆるゴミ捨て場。
ガメッチの目が、再びせわしなく動き始めた。
右、左、右。
頭の中でそろばん弾いてる音が聞こえてきそう。
「……あれは?」
「ああ、ゴミだけど」
「ゴミ……?」
ガメッチが小走りに近づいて、金属片を拾い上げる。
その手が震えてた。
懐から小さなヤスリを取り出して、金属片の端をこすり、舌で舐め、最後には頬ずりまでし始めた。完全に変態の挙動だ。
「こ、これは……ミスリル……いや、オリハルコンか? いや、もっと純度が高い……」
ブツブツと呟いてる。
どうやら、チハたんの装甲材――あるいは古代兵器の残骸――は、この世界ではとんでもないレアメタルらしい。まあ、こっちの技術じゃ作れない合金だろうしね。
「お嬢ちゃん、いや、精霊様」
ガメッチが振り返った。その顔には、隠しきれない欲望が張り付いてる。絵に描いたような「悪代官と結託する越後屋」の顔だ。
「このガラクタ……いや、金属クズ。あっしが引き取りましょうか? 処分に困ってるんでしょう?」
「え、いいの?」
「ええ、ええ。特別サービスです。この金属クズ全部と、あっしの荷台の塩一袋。これで手を打ちましょう」
塩一袋。
それは魅力的だ。喉から手が出るほど欲しい。
でも、金属クズの山と引き換えっていうのは、どうなんだろう。相場がわかんない。
わかんないときは、詳しい人に聞くのが一番だ。
「チハたん、どう思う?」
わたしは背後の巨大な頭脳に問いかけた。
チハたんは、ウィン、と低い駆動音をさせてガメッチを見下ろした。
『提案の受諾を推奨しません』
「なんで?」
『詐欺だからです』
直球だった。
オブラートに包むって機能が、このAIには欠落してるらしい。清々しいほどに。
『スキャン完了。当該金属片は、特殊強化合金および高純度魔導伝導体です。この世界における市場価値を推計……帝国市場レート換算で、金貨約三千枚に相当します』
「三千枚!?」
わたしは素っ頓狂な声を上げた。
金貨の価値がどれほどかは知らないけど、三千って数字の暴力性は理解できる。うまい棒なら何本買えるの? 一生分? いや、孫の代まで食える?
『対して、提示された塩一袋の市場価格は、金貨二枚程度。輸送コストとリスク係数を加味しても、五枚が妥当です』
「……」
わたしはジト目でガメッチを見た。
ガメッチは冷や汗をダラダラ流しながら、目を泳がせてる。クロールできそうなくらい泳いでる。
「い、いやいや、旦那……いや、鉄の旦那。それは買い被りすぎってもんですよ。こんな辺境じゃあ、換金するのも一苦労で……」
『反論。あなたは先程、この金属を見て瞳孔を開き、心拍数を一分間あたり百二十まで上昇させました。それは極度の興奮、すなわち莫大な利益を確信した生体反応です』
「なっ……」
『さらに、荷台の中身をスキャンしました。塩、油、布……それらの品質は「下」です。塩には砂が混入しており、油は酸化が始まっています』
チハたんの口撃は止まらない。
それはもう、マシンガンの掃射みたいに正確で、慈悲がなかった。相手の急所を的確に撃ち抜いていく。
『結論。あなたは不良在庫を法外な安値で押し付け、希少資源を搾取しようとしています。これは商取引ではなく、詐欺、あるいは略奪行為に該当します。帝国法に基づき、即時射殺も検討可能です』
砲塔が、ガコンと動く。
砲身が、ガメッチの鼻先数センチでピタリと止まる。
黒い穴の奥から、死の匂いが漂ってくるようだ。
「ひぃぃぃっ! わ、わかった! わかりやした! 適正価格! 適正価格でやりましょう!」
ガメッチが地面に平伏した。
見事な土下座だ。日本のサラリーマンでもここまで綺麗なフォームはなかなか取れないよ。オリンピック種目にあったら金メダル狙える。
「……チハたん、射殺はやめてあげて。塩が血まみれになる」
『了解。威嚇モードを解除します』
わたしはしゃがみ込み、ガメッチの顔を覗き込んだ。
「ねえ、ガメッチさん」
「へ、へい……」
「わたしたちは、世間知らずかもしれないけど、馬鹿じゃないの。特にこの子は、計算だけは得意なんだから」
わたしは親指でチハたんを指す。
チハたんは『計算だけではありません』と不服そうに呟いたけど無視した。今はわたしのターンだ。
「商売をしましょう。対等に」
「……へい」
「この金属片、全部あげるわ」
ガメッチが顔を上げた。
信じられない、って顔だ。そりゃそうだ、詐欺られかけたのに。
「そ、そんな……いいんですかい? 金貨三千枚……」
「その代わり」
わたしはニッコリと笑った。
たぶん、女子高生として最高に可愛い笑顔を作ったつもりだけど、今のガメッチには悪魔の微笑みに見えたかもしれない。
「荷台の荷物、全部置いてって。ロバごと」
「えっ」
「それと、これからも定期的に来て。必要なものをリストアップしておくから、それを持ってきて。代金はこの金属の残りで払うわ。つまり、ツケ払いみたいなもんね。前払いか」
「で、でも、全部って……ロバまで……」
「ロバの方が価値あるかもね。嫌ならいいよ。チハたん、射撃訓練の時間だっけ?」
『はい。動く標的が必要です』
「やりやす! やらせていただきやす! 喜んで!」
ガメッチは涙目で叫んだ。
こうして、商談は成立した。
村人たちが歓声を上げて荷台に群がる。
塩だ、鍋だ、布だと大騒ぎだ。まるでバーゲンセールの会場みたい。
タゴサックさんが塩の袋を抱きしめて、頬ずりしてる。さっきのガメッチと同じ行動だ。人間(獣人だけど)、欲しいものを前にすると皆変態になるらしい。DNAに刻まれてるのかな。
ガメッチは、金属片を自分の背負い袋に詰め込めるだけ詰め込んでた。ロバを失ったので、自分で背負って帰るしかない。重そうだけど、その顔は意外にも晴れやかだ。
金貨三千枚には届かないかもしれないけど、それでも一生遊んで暮らせるだけの価値はあるはずだもんね。
「……また来ますよ」
帰り際、ガメッチはわたしに言った。
「へえ、懲りないね」
「商人は、利益の匂いがするところには必ず現れるもんです。それに……」
ガメッチは、村の方を見た。
獣人と人族が、一緒になって荷物を運んでる。
塩を舐めて笑ってる子どもたち。
「ここは、面白い。教会の連中が言うような『地獄』じゃあない。商売の種が転がってまさぁ」
「地獄じゃないけど、天国でもないよ。ただの貧乏な村」
「貧乏人は、これから金持ちになる可能性がある。一番の上客ですぜ」
ガメッチはニヤリと笑い、重たい荷物を背負って森の中へと消えていった。
その後ろ姿は、来た時よりも少しだけ大きく見えた。
「……食えないオヤジだね」
『はい。計算高い生物です』
「でも、ああいう人が、案外世界を変えるのかもね」
わたしは呟いた。
権力に喧嘩を売るでもなく、従うでもなく、ただその隙間を縫って利益を掠め取る。
そういう「しぶとさ」が、今のわたしたちには必要なのかもしれない。正義とか大義とか、そういう重たい言葉じゃなくて、もっと泥臭い「欲」みたいなものが。
ふと、足元を見る。
ガメッチが落としていったのか、一枚の硬貨が落ちてた。
銅貨だ。
表面には、女神の横顔が刻まれてる。
わたしはそれを拾い上げ、太陽にかざしてみた。
ただの銅の塊。
でも、これが世界を回してる。
人を生かし、人を殺し、人を狂わせる金属の円盤。
「……さて」
わたしは銅貨をポケットに入れた。
これが、千波領の国庫に入った、最初の財産だ。記念すべき硬貨。
「チハたん、これから忙しくなるよ」
『予測済みです。経済活動の管理、流通ルートの確保、および防衛力の強化』
「うわ、聞くだけで頭痛が」
『頭痛薬はありませんが、甘いものなら作れますよ』
「……気が利くね」
『学習しましたから』
わたしは笑った。
塩の入ったスープの匂いが、風に乗って漂ってくる。
それは、どんな高級な香水よりも、生きている匂いがした。
招かれざる客は去った。
でも、彼が残していったのは、塩と鍋だけじゃない。
「外の世界と繋がった」っていう、微かな、でも確かな実感だった。
わたしたちは孤立してない。世界の一部だ。良くも悪くも。
さあ、次はどんな客が来るだろうか。
願わくば、次はもう少し、手土産のセンスがいい客だといいんだけど。
わたしは伸びをして、騒がしい村の中へと歩き出した。
今日の夕食は、久しぶりに塩味がついたスープだ。
それだけで、今日は最高にいい日だと言える気がした。
――その時だった。
『千波』
チハたんの声が、スープの匂いを切り裂くように鋭く響いた。
「ん? どうしたの? おかわり?」
『違います。警戒レベル上昇』
「え……?」
『広域センサーに反応あり。さきほどの商人の移動ルートとは別方向……北東の空域より、微弱ですが規則的な信号を傍受しました』
「信号? 鳥の声とかじゃなくて?」
『いいえ。これは自然発生する音波ではありません。暗号化された通信波です』
通信波。
その言葉に、背筋が冷えた。
この世界に、無線通信なんて技術はないはずだ。あるとすれば魔法による通信だけど、チハたんはそれを「魔素の波」として認識するはず。
「通信波」と呼ぶということは――
『この波長……既知のデータベースと部分的に一致します』
「一致? 何と?」
『……帝国軍、暗号通信コード』
チハたんの砲塔が、ゆっくりと北東の空へ向く。
そこには、ただ青い空が広がっているだけだ。
でも、その向こう側で。
わたしが知らない、でもチハたんが知っている「何か」が、こちらを見ているのかもしれない。
スープの温かさが、急に遠く感じられた。
塩の味がする平和な日常の裏側で、招かれざる客は、もう一人いたのかもしれない。
そしてそいつは、ガメッチみたいに「塩」で手を打ってはくれそうになかった。




