47、パンケーキ食べたい パンケーキ食べたい
すみません。一カ月以上投稿が空いちゃいました。
決して途中で放り出そうとか、エタった訳ではない(はず)です……。
人生というやつは、どうしてこうも「まさか」の連続なんだろう。
自転車で坂道を下っていたら異世界にいた、という時点で大概なのだけれど、気がつけば戦車と一心同体になり、さらには獣耳の生えた人たちの村で裁判官の真似事をさせられている。
どこの世界に、女子高生が他人の罪を裁くなんていう重たいタスクを背負い込むカリキュラムがあるというのか。現代社会の必修科目に「異世界での村落統治と司法判断」なんて項目はなかったはずだ。もしあったなら、わたしは間違いなくその授業をサボって購買へパンを買いに走っていたに違いない。
朝から村の空気は重かった。
湿度が高いわけでもないのに、肺に入ってくる空気が鉛のように重い。
村の中央広場には、すでに大勢の獣人たちが集まっていた。彼らの視線は一点に集中している。
その先には、後ろ手で縛られたリグという若者が跪いていた。
リグは、倉庫から食料を盗んだ。
動機は恐怖。教会の人族がまた襲ってくるかもしれないという、骨の髄まで染み込んだ恐怖が、彼に備蓄という名の罪を犯させた。
気持ちはわかる。痛いほどわかる。
けれど、やったことは窃盗だ。
この閉鎖的なコミュニティにおいて、食料泥棒というのは殺人未遂に等しい重罪らしい。タマモばあちゃんの顔が、いつもの穏やかな皺をすべて消し去って、能面のように張り詰めているのを見れば、事の重大さは嫌でも伝わってくる。
わたしは、広場の一段高くなった場所に置かれた切り株に腰を下ろしていた。
座り心地は最悪だ。お尻が痛いとかそういう物理的な話ではなく、ここに座っていること自体が、針のむしろなのだ。
『心拍数上昇。発汗量増加。千波、緊張していますね』
脳内でチハたんが冷静な実況を入れてくる。
この相棒は、わたしが胃をキリキリさせている時ほど、妙に落ち着いた声色になる癖がある気がする。
「……緊張じゃないよ。これは、絶望」
わたしは小声で返す。
『絶望? 生存確率は一〇〇パーセントですが』
「社会的な死の話をしてるの。これからわたしが下す判断ひとつで、この村の空気が決まるんでしょ? そんな責任、担任の先生だって背負わないよ」
『教師の職務範囲外ですからね。ですが、あなたは領主です』
「自称ね。いや、他称か。どっちにしろ非公認」
わたしはため息をついた。
目の前には、うなだれるリグ。その周りを取り囲む村人たちの目には、怒りと、それと同じくらいの哀れみが混ざっている。
彼らはリグを知っている。昨日まで隣で笑っていた仲間だ。だからこそ、怒りはやり場を失って、ねっとりとした不快な沈黙になって広場を支配していた。
タマモばーちゃんが、杖を地面に突いた。
硬い音が響き、場の空気が震える。
「千波様。皆、待っております」
ばーちゃんの声は静かだったが、そこには「逃がさんぞ」という無言の圧力が込められている。
わたしは、覚悟を決めて立ち上がった。
魔素でできた身体は軽いはずなのに、鉛の靴を履いている気分だ。
「えー、それでは」
第一声が裏返らなかったことだけは、自分を褒めてやりたい。
わたしはリグを見下ろした。
犬のような耳が、ぺたりと頭に張り付いている。震えているのがここからでもわかった。
「リグさん。あなたがやったことは、事実ですね?」
リグは顔を上げないまま、小さく頷いた。
「理由は、昨日聞いた通り。怖かったから」
また、頷く。
村人たちがざわついた。
「怖いのはみんな同じだ」
「抜け駆けだ」
「でも気持ちはわかる」
そんな囁きが波のように広がる。
わたしは手を上げて、それを制した。
「チハたん、この世界の法律では、窃盗の罪ってどうなってるの?」
『帝国の軍法会議基準ですと、戦時下の物資横領は銃殺刑です』
「却下。重すぎる」
『一般的な人族の村落法ですと、鞭打ち、あるいは片手の切断、最悪の場合は追放刑ですね』
「……野蛮すぎるでしょ、この世界」
どれもこれも、血なまぐさい。
手を切り落とすなんて、スプラッター映画の見過ぎだ。追放なんて、この魔物がうろつく森の中では緩やかな死刑宣告に等しい。
「リグさん」
わたしは呼びかけた。
彼はビクリと肩を震わせて、恐る恐る顔を上げた。その目は充血していて、涙の跡が乾いて白くなっている。
「あなたがやったことは、悪いことです。それはわかるよね」
「……はい」
蚊の鳴くような声。
「みんなを不安にさせたし、信頼を裏切った。盗んだ食料は返したけれど、壊れた信頼は、物を返しただけじゃ戻らない」
我ながら、偉そうなことを言っていると思う。
女子高生風情が、人生の何を知っているというのか。でも、言わなきゃいけない。ここは学校のホームルームじゃないのだ。
「でも、わたしはあなたを追放しないし、傷つけもしない」
広場の空気が一瞬止まった。
若い獣人が、不満げに口を開きかけたが、カヘージ村長が目で制した。
「甘いと言われるかもしれない。でも、恐怖で動いた人を、恐怖で罰したら、それは恐怖の増産にしかならない」
わたしは、息を吸い込んだ。
「だから、罰則を変えます」
わたしは指を一本立てた。
「リグさん。あなたには、これから一ヶ月間、あの人族の難民たちの『お世話係』を命じます」
リグの目が、限界まで見開かれた。
周りの村人たちも、一斉に息を呑む。
それは、予想外すぎる判決だったようだ。
「……え?」
リグが間の抜けた声を出した。
「な、なんで……俺が、あいつらの……」
「あなたが盗みをしたのは、あに人たちが怖かったからだよね。また教会が来るかもしれない、あいつらはその手先かもしれない、って」
「そ、そうです! あいつらは敵だ! 俺たちを殺そうとした連中の仲間だ!」
リグが叫ぶ。
その叫びには、理屈ではない拒絶反応が含まれていた。
「だからだよ」
わたしは静かに言った。
「知らないから、怖いんだよ」
幽霊が怖いのは、それが何かわからないからだ。正体がわかれば、対処のしようもある。人間だって同じだ。相手が何を考え、何を食べ、どんなふうに笑うのかを知れば、少なくとも「得体の知れない怪物」ではなくなる。
「毎日、彼らの食事を運んで。話を聞いて。水汲みを手伝って。それを一ヶ月続けて。それが罰です」
「そ、そんな……」
リグは絶望的な顔をした。
鞭打ちの方がマシだ、と言わんばかりの表情だ。
精神的な苦痛という意味では、確かに重い罰かもしれない。嫌いな相手の世話をするなんて、想像しただけで胃に穴が開きそうだ。
「拒否権はないよ。もしできないなら、その時は……」
わたしは言葉を濁して、チハたんの方をチラリと見た。
チハたんは、無言で砲塔を少しだけ動かした。
油圧の作動音が、静寂の中で不気味に響く。
脅しとしては十分すぎる効果があった。
「や、やります……やらせてください……」
リグが崩れ落ちるように頭を下げた。
これで、一件落着。
……とはいかないのが、世の中の難しいところだ。
広場の空気は、依然として重い。
誰も納得していないわけではないが、かといって「よかったね」と笑い合える雰囲気でもない。喉に小骨が刺さったような、居心地の悪さが残っている。
このまま解散したら、村の空気はどんよりしたまま固まってしまうだろう。
この「どんより」は、ボディブローのように効いてくる。明日の活力を削ぎ、疑心暗鬼を育てる土壌になる。
空気を変えなきゃいけない。
強引にでも、ねじ伏せるようにでも、この空気をひっくり返す必要がある。
「さて!」
わたしはパンと手を叩いた。
乾いた音が広場に響く。
「裁判はこれにて閉廷。ここからは、第二部の始まりです」
村人たちが、怪訝な顔でわたしを見る。
リグも、涙目のまま顔を上げた。
「第二部?」
タマモばーちゃんが首を傾げた。
「そう。みんな、朝ごはんまだだよね? お腹空いてると、ロクなこと考えないから」
わたしは、ニヤリと笑った。
「チハたん、準備はいい?」
『準備とは? 戦闘態勢ですか?』
「違うわよ。クッキング態勢よ」
『……クッキング? 当機に調理機能は搭載されておりませんが』
「ないなら、作るの。あなたのその、無駄に高出力な排熱とか、精密なマニピュレーターとか、そういうのをフル活用して」
『……理解不能です。ですが、命令であれば実行します』
わたしは魔素の身体をフル稼働させて、イメージを固めた。
この世界には、小麦粉も卵も牛乳もある。質はともかく、素材はある。
だが、今ここでわたしが作ろうとしているのは、そんな物理的な材料に頼ったものではない。
魔素合成だ。
わたしの身体を作ったのと同じ原理で、分子構造を組み替えて「それっぽいもの」を作り出す。
栄養価? カロリー? そんなものは二の次だ。
必要なのは、「甘くて」「ふわふわで」「幸せな匂いがする」何かだ。
「えんやこらさんズ、出番だよー!」
わたしが呼ぶと、森の陰から光の粒たちがわらわらと集まってきた。
[なになにー?][ごはーん?][あまーい?][あまいのがいいー!]
「そう、甘いやつ。みんなの力を貸して。最高に甘くて、ふわっふわのやつを作るから」
わたしはチハたんの装甲板の上――エンジンの排熱で程よく温まっている平らな部分――を指差した。
「そこが鉄板代わり。生地はわたしが魔素で練るから、チハたんは温度管理をお願い。一八〇度、焼きムラ厳禁」
『……対戦車榴弾の信管調整より繊細な温度管理を要求されるとは』
チハたんがボヤいた気がしたが、無視した。
わたしは空中に手をかざした。
魔素が集まり、光の粒子となって渦を巻く。
イメージするのは、原宿のカフェで行列ができるような、厚さ三センチの極厚パンケーキ。
バターの香り、メープルシロップの輝き、そして何より、口に入れた瞬間に溶けるような食感。
村人たちが、ぽかんと口を開けて見ている。
精霊様が何か凄い儀式を始めたと思っているに違いない。
まあ、ある意味儀式だ。食欲という原始的な神への奉納の舞だ。
「いっくよー! パンケーキ・クリエイション!」
叫ぶ必要は全くないが、気合を入れるために叫んだ。
光の渦が実体化し、白くてトロトロした液体となって、チハたんの装甲板の上に次々と落ちていく。
ジュウウウウ……とは言わない。魔素だから音はしない。
けれど、視覚的には完全に「焼けている」。
そして、嗅覚的にも。
甘い香りが、爆発的に広がった。
焦がしバターとバニラエッセンス、そして焼けた小麦の香ばしさ。
それは、暴力的なまでの「平和の匂い」だった。
さっきまで深刻な顔をしていた獣人たちの鼻が、一斉にヒクヒクと動く。
リグでさえ、涙を拭うのを忘れて匂いを嗅いでいる。
「な、なんじゃこの匂いは……」
カヘージ村長が、ごくりと喉を鳴らした。
「甘い……花の蜜より、もっと濃厚な……」
タゴサックが、夢遊病者のようにふらふらと近づいてくる。
「はい、焼き上がり!」
わたしは魔素で作ったフライ返し(のようなもの)で、分厚いパンケーキをひっくり返す。
完璧なキツネ色。
表面はサクッと、中はフワッと。
その上に、これまた魔素で生成したバターと、琥珀色のシロップをたっぷりと回しかける。
完成。
『罪と罰をうやむやにするための、強制平和パンケーキ』だ。
「さあ、みんな食べて! 早い者勝ちだよ! リグも、立ってないで食べる!」
わたしが声を上げると、最初は躊躇していた村人たちも、子どもたちの「たべたい!」という素直な欲望に釣られて、一人、また一人と手を伸ばし始めた。
最初に口に入れたのは、タゴサックだった。
恐る恐る、黄色い塊を口に運ぶ。
そして――
彼の強面の顔が、くしゃりと崩れた。
「……う、うまい……!」
その一言が、合図だった。
我先にと手が伸びる。
熱い、甘い、うまい。
口の中に広がる至福の味が、脳みそを直接殴りつけてくる。
複雑な事情とか、将来の不安とか、そういう小難しいことを、糖分という暴力が「まあいいじゃないか」とねじ伏せていく。
リグも、渡されたパンケーキを一口食べた。
そして、ボロボロと泣き出した。
今度の涙は、恐怖の涙ではなく、安堵の涙に見えた。
「……甘い……」
そう呟いて、彼はパンケーキを貪り食った。
村の片隅で見ていた人族の難民たちにも、わたしは皿を持っていった。
彼らは驚いた顔をしていたが、受け取ったパンケーキを口にして、やはり顔をほころばせた。
甘味は正義だ。
種族も、立場も、過去も関係ない。
美味しいものを食べている時、人は誰かを憎むことが難しくなる。
単純すぎる理屈かもしれないけれど、単純だからこそ、強い。
チハたんが、呆れたような声を出した。
『……糖分摂取によるドーパミン分泌を誘発し、集団の敵対心を強制的に緩和させる。実に非論理的で、しかし効果的な戦術です』
「でしょ? これが女子高生の知恵よ」
わたしは胸を張った。
『ですが千波。装甲板にシロップが垂れています。洗浄には溶剤が必要です』
「あ、ごめん。あとで拭くから」
『蟻が寄ってきます。早急に対処を』
広場には、咀嚼音と、「うまい」「おかわり」という声だけが響いている。
さっきまでの重苦しい空気は、シロップの中に溶けて消えてしまったようだ。
もちろん、これで全てが解決したわけじゃない。
リグの罪が消えたわけでも、人族への不信感がなくなったわけでもない。
明日になれば、また現実はやってくる。リグは嫌々ながらも人族の世話をしなきゃいけないし、村人たちは彼らを監視し続けるだろう。
でも、少なくとも今は。
口の周りをベタベタにして笑い合っている、この瞬間だけは。
世界は平和だと言ってもいいんじゃないだろうか。
わたしは、自分の分のパンケーキを一口齧った。
魔素で作った偽物の味のはずなのに、なぜか懐かしい、日曜日の朝の味がした。
「……うん、悪くない」
二つの太陽が、頭上で呑気に輝いている。
今日もまた、騒がしい一日が始まりそうだ。




