46、盗みは盗み〜遊びや ゲームや ましてや 仕事にはなれない
朝は、唐突に来る。
昨日あれだけ疲れて、あれだけ考えて、あれだけ胃が痛くなる未来を想像したのに、朝は普通にやってきた。
二つの太陽は今日も順番を間違えずに昇り、村の空気は「さあ今日も生きよう」みたいな顔をしている。
ずるい。
世界は、人が悩んでいようが関係なく回る。
わたしは、朝から嫌な予感がしていた。
根拠はない。
ただ、朝の空気が妙に整っていた。こういう時はだいたい、何かが崩れる。
『千波』
チハたんの声が、静かすぎるトーンで響いた。
この静かさは、良くない静かさだ。
『倉庫に異常があります』
「……異常?」
嫌な予感が、背筋を走る。
『食糧の在庫数が、記録値と一致しません』
「……つまり?」
『減っています』
ああ、来た。
嫌な予感、的中。
予感って当たらなくていいのに、当たる時だけ精度高いの何なの。
倉庫は村の端にある。
倉庫といっても急造だし、木と土でできた素朴な建物だ。
昨日まで、ちゃんとあった。見た。数えた。覚えてる。
倉庫の前には、すでに人が集まっていた。
「本当に無いぞ」
「昨日の夕方は、確かにあった」
「麦袋が三つ、干し肉が二束……」
数字が飛び交う。
数字が出始めると、人は一気に現実に引き戻される。
感情より先に、「足りない」が来る。
カヘージ村長が、低い声で言った。
「……誰か、鍵を壊した形跡は?」
倉庫の扉は無事だった。
鍵も壊れていない。
つまり──
「内側の人間だな」
誰かが、言った。
その一言で、空気が変わった。
ぴん、と張りつめる。
昨日までの「一緒に生きよう」が、「誰だ」に変わる。
わたしは、心の中で呻いた。
(あー……来た……)
こういうの、本当に早い。
人は昨日まで隣で笑っていた相手を、今日には疑える。
それは残酷だけど、自然でもある。
食べ物が絡むと、なおさらだ。
そして──
視線が、集まり始めた。
どこへ?
……人族の仮宿の方向だ。
わたしは、無意識にそっちを見てしまって、すぐ後悔した。
見たら、そこに「理由」が生まれる。
見ない努力って、必要なんだ。
若い獣人が、言った。
「昨日来た連中は?」
ああ、来た。
分かってた。
分かってたけど、やっぱり来ると胸が痛い。
「夜の見張りは?」
「いた。だが……全部は見ていない」
“全部は見ていない”。
この言葉、最悪だ。
可能性を無限に広げる。
人族の仮宿の方から、女が出てきた。
昨日の子どもの母親だ。
顔色は悪い。寝てない顔。
「……何か、あったんですか」
その声が、場違いなくらい静かだった。
その静かさが、逆に刺さる。
「食糧が無くなった」
誰かが言った。
言い方が、もう裁いてる。
女は、きょとんとした。
「……無くなった?」
「盗まれた」
その瞬間、女の顔が凍った。
「ち、違います……私たちは……」
ああ、これだ。
この流れ。
「違う」と言わせてしまう空気。
言った瞬間に、「怪しい」に変わるやつ。
わたしは、一歩前に出た。
「ちょっと待って」
声が、少し大きかったかもしれない。
でも、黙ってたら進む。
「まだ、誰がやったか分からない」
「でも他に誰がいる!」
若い獣人が叫ぶ。
叫ぶ理由も分かる。
この村は、ずっと「裏切られる側」だった。
わたしは、手を上げた。
「……聞いて」
不思議と、声は通った。
大声じゃないのに、通る時がある。
たぶん、みんなも怖いからだ。
「昨日来た人たちは、夜ずっと仮宿にいた。見張りもついてた」
「見張りが見落とした可能性は!」
「ある」
即答した。
「見落としは、ある。人間だし」
ざわっとする。
“人間だし”って言い方、まずかったかもしれない。
でも今は、全員人間的だ。
「でもね」
わたしは続けた。
「だからって、即“あの人たちだ”って決めるのは違う」
視線が痛い。
分かってる。
わたしが「甘い」って思われてるのも。
でも、甘いかどうかじゃない。
ここで「決め打ち」したら、戻れなくなる。
『千波』
チハたんの声が、耳の奥で低く響いた。
『感情レベル上昇。集団暴発リスク、上昇』
(知ってる……)
エルドが、前に出た。
「……倉庫の管理、誰がしていましたか」
その声で、少し空気が変わった。
質問が、感情じゃなく“構造”を向いた。
「昨日は、三人だ」
「交代制だったはずだ」
「……名前を」
エルドの問いに、獣人の男が一瞬ためらってから答えた。
「……リグだ」
その名前で、空気が揺れた。
リグ。
若い獣人。
かつて、教会に家族を奪われている。
……嫌な予感、第二弾。
村の奥から、リグが呼ばれてきた。
顔色が悪い。
眠れていない顔。
昨日から、ずっとそうだった。
「……俺が、管理してた」
声が低い。
「一人で?」
「……途中から」
「なぜ?」
沈黙。
この沈黙は、重い。
嘘かもしれない。
でも、真実でも、重い。
「……眠れなくて」
リグは、拳を握った。
「夜、ずっと……考えてた」
誰も、急かさなかった。
たぶん、みんな察してる。
「……もし、また来たらって」
声が震える。
「教会が……また、来たら……」
胸が、締め付けられた。
「だから……少しだけ……」
少しだけ。
この言葉ほど、悲しい言葉はない。
「……家族の分だけ……」
完全に、静まり返った。
干し肉二束。
麦袋三つ。
家族の分だ。
誰も、すぐには怒れなかった。
怒る理由はある。
でも、怒ったら、同じことになる。
若い獣人が、歯を食いしばって言った。
「……それでも、盗みは盗みだ」
「うん」
わたしは、頷いた。
「盗みは盗み」
それは、言わなきゃいけない。
言わないと、「次」が生まれる。
「でも」
わたしは、リグを見た。
「理由も、分かった」
リグの目から、涙が落ちた。
「……ごめん……」
ごめん、で済む話じゃない。
でも、ごめんって言えるだけ、まだ壊れてない。
村人たちが、ざわざわする。
「罰を」「例外を作るな」「でも……」
わたしは、深呼吸した。
「……昨日、言ったよね」
みんなを見る。
「“話す”って」
掲示板の方を指さす。
「ここに書こう」
ざわっ。
「盗みが起きたこと」
「理由」
「どうするか」
リグが顔を上げた。
「……書くのか」
「うん」
「皆の前で?」
「うん」
残酷かもしれない。
でも、隠したらもっと残酷になる。
「罰は、話して決める」
「追い出されるのか……?」
リグの声が、震える。
わたしは、首を振った。
「今は、決めない」
これ、昨日と同じだ。
でも同じやり方が、信頼になる。
「まず、返そう。できる?」
リグは、頷いた。
「……ある。隠してある」
それを聞いて、誰かが息を吐いた。
少しだけ、空気が緩む。
結局、食糧は戻った。
量は減っていたけど、致命的じゃない。
問題は、食糧じゃない。
問題は、これからだ。
その日の午後、掲示板の前で、リグが話した。
震えながら、正直に。
誰も、すぐに許さなかった。
でも、誰も殴らなかった。
それだけで、奇跡みたいだと思った。
夜。
わたしは、掲示板の前に立っていた。
《盗みがありました》
《理由:恐怖》
《話し合いました》
短い文字。
でも、重い。
チハたんが言った。
『この共同体は、まだ壊れていません』
「……ギリギリだよ」
『はい。最も危険で、最も重要な段階です』
わたしは、空を見上げた。
二つの太陽はもう沈んで、星が出ている。
明日は、もっと難しい話をしなきゃいけない。
罰の話。
ルールの話。
例外をどうするかの話。
人は、正しさで殴るのが好きだ。
でも、正しさだけで村を作ると、誰かが必ず潰れる。
わたしは、呟いた。
「……友達でいるの、難しすぎない?」
『難易度は高いです』
「だよね……」
『ですが、あなたはまだ諦めていません』
それが、救いだった。




