45、わたしは今、わたしは今、夢中で〜
「だから条件つける」
わたしは指を立てた。
「ひとつ。武器は預かる」
「持ってません……」
「持ってなくても預かる。持ってないってことを確認する」
男が頷く。
この頷きが嘘かもしれない。
でも、それは今決められない。嘘かもしれないから拒否、も違う。真実かもしれないから受け入れ、も違う。
だから観察する。
「ふたつ。村の中には入らない」
男が頷いた。
「みっつ。明日、掲示板の前で、あなたたちの話をする。村の人も聞く。質問もする。嘘があったら、その場で終わり」
わたしは、そこで一回止まった。
止まってしまったのは、最後の条件が、喉に引っかかったから。
──嘘があったら、その場で終わり。
終わり、って。
どう終わるんだ。
追い出す?
縛る?
それとも──
(殺す……?)
頭の中で、その言葉が響いた。
殺すのは嫌だ。
嫌なのに。
必要になる場面が、あるかもしれない。
この世界、そういう場面が普通に来る。
普通に来るのが、おかしい。
でも、おかしいことが、現実だ。
チハたんの声が、さらに低く響く。
『結論を先送りにしても、判断の責任は消えません』
「分かってるよ……!」
わたしは、もう一度言葉を選び直した。
「嘘があったら、その場で“受け入れない”」
受け入れない、なら言える。
殺さない、の方向へ行きやすい。
それでも追い返した結果、森で死ぬ可能性はある。
それもまた「殺し」じゃないのか。
思考が泥にはまる。こういう時、ほんとに胃がほしい。胃が痛むって感覚、魔素体でも再現してほしい。いややっぱり嫌だ。
タマモばーちゃんが、杖を鳴らした。
「よかろう。仮宿の用意じゃ」
村長カヘージも、頷いた。
「……では、そうしよう」
若い獣人たちは、まだ納得してない顔だった。
それでも、いったん引いた。
この「いったん引く」が、共同体を作る。すごい。
人は簡単に正しさを握って殴りたがるのに、「いったん引く」で村が生き延びる。文明って、たぶん、こういう地味なところから始まる。
仮宿を作るために人が動き出した。
木を運ぶ。縄を張る。火を起こす。
仕事が始まると、人の顔は少し落ち着く。
忙しいと、憎む暇が減る。これも真理だと思う。悲しいけど。
人族の女が、背中の子どもをそっと降ろした。
子どもは熱があるみたいで、顔が赤い。
わたしはしゃがみ込んだ。
「……この子、いつから?」
「昨日からです。歩かせたら倒れました」
チハたんが言う。
『感染症の可能性。隔離推奨。ただし緊急性は中。水分補給、解熱、睡眠で改善見込み』
「病院みたいな口ぶり」
『当機は戦場医療データを有しています』
「そうだったね……」
わたしは、子どもの額に手を当てた。
熱い。
この熱さは、前の世界と同じだ。
この世界でも、子どもは熱を出す。
世界が違っても、体は同じように壊れる。
だから、守り方も、同じところがある。
「水、持ってくる」
女が泣きそうな顔で頷いた。
「……ありがとうございます」
「いや……その、ありがとうとか言われると……」
わたしは言葉が詰まって、適当なことを言った。
「とりあえず、掲示板に名前書いて。明日、相談」
自分でも「なんの相談?」って思った。
でも、掲示板は「相談はここへ」って書いてある。
その言葉が、今は村の支えになってる。
書けばいい。書けば、誰かが見る。
その「誰か」が、わたしになりがちなのが問題だけど。
作業の合間に、エルドが近づいてきた。
彼は顔色が悪い。もともと白いけど、今日はさらに白い。豆腐みたい。豆腐でももう少し血色ある。
「千波殿……」
殿、って呼び方が増えてきた。
様よりマシだけど、殿も殿で距離がある。
呼び捨てがいい。呼び捨てがいいんだよ。
でも、呼び捨てされると、それはそれで傷つく可能性がある。面倒な女です。
「なに?」
「……もし、明日、あの人族が嘘をついていたら」
エルドが言葉を詰まらせた。
「村の人たちは、許さないと思います。……わたしも、許せるか分かりません」
わたしは頷いた。
「うん。分かる」
エルドは、俯いた。
「わたしは……ここにいていいんでしょうか」
その言葉が、胸に刺さる。
ここにいていい。
この問いは、わたしの問いでもある。
わたしは、答えた。
「……いていいかどうかは、わたしが決めることじゃない」
エルドが顔を上げる。
「でも、ひとつだけ言える」
わたしは、掲示板の方を見た。
木の板に書かれた文字。
拙いけど、まっすぐだ。
「“見てる”って書いてあるでしょ」
「……はい」
「それ、脅しじゃなくてさ」
わたしは笑った。うまく笑えたか分からないけど。
「ちゃんと見てる、ってことなんだと思う。村の人も、あなたも。わたしも。チハたんも。えんやこらさんズも、たぶん見てる」
ちょうどそのタイミングで、えんやこらさんズが「ピカッ」っと光って、意味不明なタイミングで踊りだした。
[みてるー][みるー][みるみる][ミルミル][ビフィズスー]
[うそついたらー][言いつけるー][チナミーがドーンするー]
「怖いこと言わないで!」
『抑止力としては有効です』
「抑止力の方向性がホラーなの!」
エルドが少しだけ、笑った。
小さな笑い。
でも、確かな笑い。
それが、救いだった。
笑いは、たぶん、共同体の接着剤だ。
乾くと剥がれる。
でも、塗り直せる。
その日の夕方、仮宿ができた。
火が焚かれ、鍋が置かれ、湯気が立つ。
人族たちは、端っこで静かに食べた。
獣人たちは、少し離れて食べた。
同じ鍋なのに、距離がある。
でも距離があるだけ、まだいい。距離がゼロになって殴り合うよりマシ。
わたしは、村の中央に立って、ぼーっと空を見上げた。
二つの太陽が沈みかけて、空が変な色になっている。
トマト系と大根系が混ざって、なんか美味しそうな夕焼けだ。
チハたんが言った。
『千波。今日の決断は、短期的には妥当です。ただし長期的には、治安リスクが増加します』
「……うん」
『治安を維持するには、統治機構が必要です』
「統治って言わないで」
『では、調停機構』
「それも嫌」
『では、意思決定プロトコル』
「急にITやめて」
『……共同体の“決め方”です』
わたしは、息を吐いた。
「決め方、ね……」
村の人が増えるって、食糧が減るとか、住む場所が足りないとか、そういう物理の問題だけじゃない。
「誰が決めるか」が、増える。
決める人が増える。決められる人が増える。
決め方が曖昧だと、そこが一番先に壊れる。
わたしは、思わず言った。
「……やっぱり、国になっちゃうのかな」
『国家形態の成立確率は上昇しています』
「やだなぁ」
『しかし、国家=支配ではありません』
「……ほんと?」
『共同体の規模が一定以上になると、合意形成の仕組みが必要です。あなたが“友達”で居続けるためにも』
その言い方が、ずるい。
わたしが目指してるものを、ちゃんと理解してる。
理解してるから、逃げ道を塞ぐ。
でも、逃げ道は塞がれた方がいい時もある。
逃げたら、誰かが死ぬ世界だ。
遠くで、子どもの咳が聞こえた。
熱の子だ。
女が背中をさすっている。
わたしは、拳を握った。
「……明日、話す」
『了解』
「……でもさ」
『はい』
「明日、わたしが変なこと言ったら、止めてね」
『止めることはできません。あなたの言葉はあなたのものです』
「そこは止めてよ!」
『ただし──あなたが壊れそうな時は、防衛プロトコルを起動できます』
「それ、戦闘用でしょ」
『心を守るためのモードです』
わたしは、小さく笑った。
「……ダサい名前のやつね」
『あなたが付けました』
「言わなくていい!」
笑ったら、ほんの少しだけ、胸が軽くなった。
笑いって、ほんとズルい。
こんな状況でも笑える。
笑えるってだけで、人はまだ壊れてない気がする。
夜が来て、村は静かになった。
でも静けさの中で、いっぱい音がしていた。
火の音。鍋の音。寝息。遠くの見張りの足音。
そして、「明日どうしよう」という、誰にも言えない音。
わたしは、掲示板の前に立った。
板の隅に、新しく名前が書かれていた。
《ルゥ》
次の行。
《子ども》
そして。
《熱》
字が、震えている。
書いた手も、震えていたんだろう。
女性の字。母親の字だ。
わたしは、その字を見て、心の中で言った。
(……助けてって、書けたんだ)
それだけで、今日の判断がゼロじゃなかったと思えた。
ゼロじゃない。
ゼロじゃないけど、明日はもっと怖い。
だって明日は、「話す」日だから。
話すのは、戦うより怖い時がある。
相手が人間だと、特に。




