42、今日も運ぶ、叩く、植える、そして……
話し合いが終わったあと、村は容赦なく現実へ引き戻された。
壊れた柵。
踏み荒らされた畑。
焼け焦げた薬草──煙の匂いがまだ残っている。
歓声が消えたあとに残るのは、いつだってそういうものだ。
「……で」
タゴサックが、折れた木柵を見下ろしながら呟いた。
「これ、どうする?」
「畑がひどいぞ」
「薬草も半分は使い物にならん……」
千波は腰に手を当て、大きく息を吐いた。
「……やること、山積みだね」
『はい』
即答だった。
淡々としたチハの声が、空間に響く。
『統計上、戦闘後七十二時間は、共同体の存続率が最も低下する期間です』
「……え?」
『資源不足、心理疲労、指揮系統の混乱が主因です。歴史的事例では、勝利した共同体の二十三パーセントが、この期間に崩壊しています』
「……ちょっと待って。勝ったのに?」
『はい。戦いに勝つことと、その後を生き延びることは別問題です』
チハは続ける。
『現時点で致命的な不足は確認されていません。水源、食糧、居住空間、いずれも維持可能です』
「じゃあ問題は?」
『配分と、動線です』
「……動線?」
『人の動きです』
チハの投影が切り替わり、村の簡易地図が宙に浮かび上がった。
家から井戸へ。
井戸から畑へ。
畑から倉庫へ。
青白い光の線が、蜘蛛の巣のように絡み合って、線が膨れたり縮んだりしている。
「なにこれゲーム? ピクミン?」
千波が目を瞬かせる。
『移動ログです』
「……え、ログ取ってたの?」
『無意識下の集団行動を可視化しています。個人識別は行っていません』
「プライバシー……」
『集団としての流れのみを抽出しています』
千波は一瞬考え、ため息をついた。
「……ぎりぎりセーフってことで」
『現在、井戸周辺に人員が集中しています。水汲みと情報交換が同時に行われているため、滞留が発生』
「つまり?」
『疲労が蓄積します』
言われてみれば、その通りだった。
井戸は水を汲む場所であると同時に、怪我の報告や噂話が集まる場でもある。
必要だが、効率は悪い。
必要な情報二十に対して、雑談が八十。
『提案があります』
「なに?」
『井戸付近に掲示板を設置してください。情報伝達を一元化します』
「……掲示板?」
『はい』
チハは、ほんの一拍だけ間を置いた。
『文明は、必ずしも火や鉄から始まるものではありません』
「……じゃあ、なにから?」
『困った時に、助けを求められる場所という概念です』
千波は息をのんだ。
「……それって」
『あなたが、本日宣言した内容と一致します』
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「……チハ、たまにすごいこと言うよね」
『事実を整理しているだけです』
千波は村を見渡した。
獣人も、人族も、誰もが疲れている。
それでも、手を止めている者はいなかった。
なら──。
「……よし」
千波は手を叩いた。
「みんな、集まって! ちょっと相談!」
視線が集まる。
「いまから“役割”を決めたい。上下関係とかじゃないよ。ただ、得意なことをやるだけ」
タマモばーちゃんが、静かに頷いた。
「理にかなっておる」
「まず、怪我人と子どもの世話」
獣人の女性たちが自然と前に出た。
「わたしたちがやります」
「次、畑と食糧の確認」
年配の男たちが胸を張る。
「任せなされ」
「柵と家の修理」
若い獣人たちが腕を鳴らす。
「力仕事は得意だ!」
「筋肉の見せ場だな!」
「アピールいらないから!」
場が少し和らぐ。
「で、情報整理……」
沈黙。
「……え、そこ人気ない?」
その時、村の隅から、恐る恐る手が上がった。
「……あの」
目深に被っていたフードを外した青年は、人族だった。
痩せた身体、擦り切れた服。だが、目だけは真っ直ぐだった。
「文字、読めます」
ざわめきが走る。
「人族だ! なぜここに!」
青年の近くにいた村人が武器の手をかける。
「私は、今回の遠征軍で、聖騎士団付きの秘書官をしておりました」
エルドは拳を握りしめる。
「ですが──先の戦いは、間違っています。私は、それを記録してしまった。書記官として、虐殺の命令書を清書してしまった」
声が震えている。
「せめて、これから先は……正しい記録を残したい」
青年はその場で、深々と頭を下げた。
「名は?」
「……エルドと申します」
タマモばーちゃんが近づき、杖を鳴らす。
「ではエルド殿、書き役を頼めますかな」
青年の目が大きく見開かれた。
「……よろしいのですか」
「疑う理由があるなら、遠ざけるのではなく、仕事を任せるのが一番じゃ。近くで見ておれば、嘘はつけぬからのう」
その言葉に、空気が変わった。
「信用して放置すれば裏切られる。疑って放置すれば腐る。なら──」
ばーちゃんは微笑んだ。
「疑いながら、共に働く。それが最善じゃ。それに……獣人じゃないからと排除する。それはわしらがやってはいけないことじゃ」
千波は思わず感心する。
(……強いな、この人)
「じゃ、掲示板第一号はエルドで決まりね」
「は、はい!」
こうして村に、役割が生まれた。
誰かが命じたわけではない。
それでも、流れは自然に整っていく。
『千波』
「なに?」
『あなたは統治をしていません』
「うん」
『しかし、秩序は生まれています』
「……それでいいよ」
投影図の光の線が、少しずつ整理されていく。
村が、呼吸を始めたかのようだった。
「……生きてるみたい」
『適切な比喩です』
夕方、村の中央に木の板が立てられた。
エルドが震える手で文字を刻む。
《相談はここへ》
《困ったら、名前を書いてください》
《誰かが必ず、見ています》
書き終えた瞬間、彼の目から涙がこぼれた。
「……教会で、一番欲しかった言葉です」
千波は夕焼けの村を見渡した。
壊れた柵。
荒れた畑。
それでも、笑顔。
「……頑張ろっか」
『了解』
こうして、千波領の最初の一日は始まった。
戦場の跡地で。
とても地味に。
でも確かに。
そしてこの日、生まれた“掲示板”という概念は──
やがて、この世界の新しい文明の種となる。
***
掲示板が立った夜。
一人の老獣人が、じっとそれを見つめていた。
「……文字は、読めん」
隣にいた子どもが、得意げに言った。
「じーちゃん、読んであげよっか?」
「……頼む」
子どもが、たどたどしく読み上げる。
「"相談は、ここへ"……"困ったら、名前を書く"……僕書いてあげるからいつでも言ってね」
老獣人の目から、一筋の涙が流れた。
「……良い、場所じゃのう」




