41、戦いすんで夜が明けて
戦後、村は静かにざわめいていた
戦いが終わった翌朝。
谷には、いつもより遅い朝が訪れていた。
村の空気は、まだ夜明け前のように重かった。
夜明けと同時に終わった戦いだったせいで、二つの太陽が昇るころには、みんなもう疲れ切っていたのだと思う。
泣く人も、怒鳴る人もいない。
あるのは、静かなざわめきだけ。
折れた柵。
踏み荒らされた地面。
あちこちに残る魔法の焦げ跡。
そして――生きている人たち。
カヘージも。
タゴサックも。
タマモばーちゃんも。
子どもたちも。
誰も、死ななかった。
一人も。
それが、なによりも不思議で、なによりも重かった。
「……ほんとに、守れたんだ」
わたしは小さく呟いた。
声が震える。
嬉しいのか、安心しているのか、怖いのか――
自分でもよくわからない。
ただ、確かなのは――
胸の奥が、じわっと熱いこと。
わたしは村の中央に立ったまま、ぐるりと見回した。
獣人たちは、疲れた顔で、それでも互いの無事を確かめ合っている。
子どもたちは大人の影に隠れながらも、こちらをちらちら見ていた。
怖かったはずなのに、目の奥に、ほんのりとした光がある。
――生き延びた、という光。
胸の奥が、じわっと熱くなる。
『千波』
背後から、いつもの低い声。
『外傷者の治療、八割完了。重症者なし。村の被害、建造物損壊二割。回復可能範囲です』
「……ありがとう、チハたん」
『感謝は不要です。これは任務――』
「うん。でも、ありがとう」
一瞬、沈黙。
『……了解』
短い返事だったけど、なぜかそれだけで安心した。
わたしがぼーっとしていると、タマモばーちゃんが杖をつきながら近づいてきた。
「千波様」
「だから“様”はやめてって……」
「今は無理ですじゃ」
ばっさり切られた。
「……今の空気でそれ言われると、反論できない自分が悔しい」
タマモばーちゃんは、困ったように笑ってから、ぐっと表情を引き締めた。
「戦は終わりました。じゃが、終わったからこそ、決めねばならぬことがあります」
「……決める?」
「はい」
杖の先で、村をぐるりと示す。
「ここに集った者たち。元の村に戻れぬ者。人族の追手を恐れ、森を渡ってきた者。そして……ここを“守る”と決めた者」
その言葉に、周囲の空気が、ぴんと張りつめた。
「この地は、もはや“一時の避難所”ではありません」
タマモばーちゃんの声は、年老いているのに、不思議とよく通った。
「ここは、帰る場所になりつつあります」
ざわっ、と小さな波が走る。
誰かが息を飲み、誰かが尻尾を揺らし、誰かが地面を見た。
――帰る場所。
その言葉の重みが、わたしの胸にも、ずしんと落ちた。
「……それで」
喉が少し乾いた。
「それで、わたしに何を決めろって?」
タマモばーちゃんは、少しだけ視線を逸らした。
「千波様が――」
タマモばーちゃんは、一度言葉を切った。
そして、村の全員が聞こえるように、はっきりと言った。
「ここを、どうしたいのか。それを、皆が知りたがっております」
その言葉の瞬間、周囲の空気が変わった。
みんなの視線が、一斉にわたしに集まる。
重い。
すごく、重い。
「……あー」
来た。
来ちゃった。
嫌な予感はしてた。
戦ってる最中から、薄々感じてた。
終わったら、絶対こうなるって。
「……ねえ」
わたしは、できるだけ軽い声を出した。
「誤解してる人、いっぱいいると思うんだけどさ」
周囲に集まり始めた村人たちを見回す。
「わたし、神様じゃないからね?」
一瞬の沈黙。
――次の瞬間。
「精霊様が謙遜なさっている……!」
「なんと尊い……!」
「やはり本物……!」
「違う違う違う!!」
わたしは両手を振る。
「今のは謙遜じゃなくて、全力の否定!! 本気の、心の底からの、魂を込めた否定!!」
「精霊様が三度も否定なさった……!」
「ますます謙虚……!」
「尊い……!」
「伝わってない!! 一ミリも伝わってない!!」
叫んだのに、まるで届かない。
ここまで来ると、新喜劇系のボケじゃないかと疑えるレベル。
チハたんが、静かに言う。
『予測通りの反応です』
「予測してたなら止めてよ!」
『止める権限がありません』
「あるでしょ!? 戦車で地鳴り鳴らすとか!」
『それは信仰を強化します』
「詰んでない?」
完全に詰んでいた。
わたしは深呼吸して、少しだけ声のトーンを落とした。
「……ねえ。聞いて」
今度は、ちゃんと耳が向く。
「わたしは、ここを“支配”したいわけじゃない。命令したいわけでも、崇められたいわけでもない」
自分の胸に手を当てる。
「ただ……目の前で泣いてる人を、見捨てたくなかっただけ」
言葉にすると、少しだけ震えた。
「守るって言ったのは、本気。でもそれは、“上に立つ”って意味じゃない」
タマモばーちゃんが、じっとわたしを見ている。
「……ならば、どうなりたいと?」
問われて、少し考えた。
すぐに答えは出なかったけど、
頭の中に浮かんだ光景は、はっきりしていた。
「……相談される人、かな」
「相談?」
タマモばーちゃんが、少し意外そうな顔をした。
「はい」
わたしは、村を見回した。
カヘージの顔。
タゴサックの顔。
子どもたちの顔。
「困ったときに、"助けて"って言える相手」
一人一人の目を見ながら、続ける。
「怒られない。罰を受けない。ただ、一緒に考える人」
子どもたちの耳が、ぴくっと動いた。
「わたし、それなら……できる」
その言葉は、自信に満ちているわけじゃなかった。
でも、確かな決意があった。
わたしの言葉に、村人たちがざわめいた。
「相談……?」
若い獣人が首を傾げる。
「神様じゃなくて、相談相手?」
老獣人が腕を組む。
「それって……友達みたいなもんか?」
子どもが無邪気に言った。
「友達……」その言葉にハッとした。
「……そう。そうかも」
自分でも気づいていなかった答えが、口から出た。
「友達、みたいな」
タマモばーちゃんは、しばらく黙ってから、ふっと笑った。
「……それは、神ではありませんな」
「でしょ?」
「ですが」
ばーちゃんは、少しだけ意地悪そうに言った。
「“守護者”という立場には、近い」
その言葉に、胸が少しだけ、ぎゅっとなる。
「……それなら」
わたしは、ゆっくり頷いた。
「それなら、やる」
周囲が静まり返る。
「でも――」
一度深呼吸した。
「条件がある」
びしっと、指を三本立てた。
「ひとつ。祈らないで」
一本折る。
「ふたつ。崇めないで」
もう一本折る。
「みっつ。わたしを理由に、人を殴らないで」
そして、一番大事なこと。
両手を広げて、みんなを見回す。
「――全部、勝手に決めないで」
声が、少しだけ震える。
「ちゃんと話そう。みんなで」
長い沈黙のあと――
カヘージ村長が、ゆっくりと前に出た。
村長はわたしの目を真っ直ぐ見つめ、それから深く頭を下げた。
「……承知しました」
顔を上げる。
「精霊様――いえ」
一度、言い直す。
「千波殿」
その呼び方に、胸がじんわりと温かくなった。
(ああ……伝わったんだ)
少しだけ、救われた気がした。
タマモばーちゃんが、静かに杖を鳴らす。
「では、この地は――“信仰の地”ではなく、“集いの地”として歩みましょう」
誰かが、小さく拍手した。
それが、少しずつ広がっていく。
歓声じゃない。
万歳でもない。
でも、確かな“同意”の音だった。
胸の奥で、なにかが、すとんと落ちた。
『千波』
チハたんが、静かに言った。
『あなたは、指揮官には向いていません』
「えっ」
いきなりなにを。
「……ひどくない? 今? このタイミングで?」
『事実です』
「傷つくんだけど!」
『ですが』
チハたんの声が、ほんの少しだけ温かくなった気がした。
『共同体の"核"としては――最適です』
わたしは、一瞬呆けてから、ふっと笑った。
「……それ、褒めてる?」
『はい。わたしができる、最大級の賛辞です』
「……ありがと、チハたん」
胸が、じんわりと温かくなった。
こうして――
千波領は、動き始めた。
神の国にもならず。
王国にもならず。
聖域にもならず。
ただ――
"ひとつの場所"として。
困った人が「助けて」と言える場所。
笑いたい人が笑える場所。
泣きたい人が泣ける場所。
そして――
誰もが、ただ「生きていい」と思える場所として。
小さな、小さな、地図にない国が――
この日、確かに生まれたのだった。




