37、朝焼けの光の中に絶つ影は
セラフィリアンが、ゆっくりと崩れ落ちていく。
もげた腕。
砕けた胸。
そして……
……撃ち抜かれた股間。
どこか悲哀を帯びた崩壊だった。
巨体が地面に沈み込むたび、ドスン、ドスンと大地が震える。
土煙が舞い上がり、朝焼けの光がそれをオレンジ色に染めていた。
「……倒した……?」
「や、やったぞ……!」
「せいれいさまが、せいきょだんの怪物を……!」
獣人たちが歓声を上げ、尻尾や耳を震わせる。
わたしはといえば──
「ごめん……なんか、股間狙ってごめん……」
『結果として最大効率でした。急所理論、恐るべしです』
「急所理論とか言わないで!」
わたしが半泣きでツッコんでると、
視界の端でチハたんのサブモニターがピコンと光った。
『千波。戦闘はまだ終わっていません』
「え……?」
見れば、聖騎士たちはまだ半分以上立っていた。
さすがにセラフィリアンの衝撃に巻き込まれて派手に吹き飛ばされてはいたけど、高そうな金ピカ鎧のおかげで致命傷は避けられたらしい。
それよりも──
『後衛に、反応』
森の奥。
さっきまで“ただの木陰”に見えていた場所から、ひとつの影が歩み出てきた。
黒い外套。
鉄の仮面。
フィンガーレスのグローブをはめ、
左腕には黒のバンテージ。
周囲の光を吸い込むみたいな、異様な静けさ。
「ちゅ、厨二病……」
思わず声が漏れた。
「厨二病?」
「ちゅうにびょう?」
「ちゅーにびょー?」「ざわざわ」「ちゅうにびょう」「ざわざわざわざわ」「ちゅーにびょー」「ちゅうにびょう」「ざわざわ」
獣人たちのざわめきが広がってゆく。
わたしだったら、この中にあの格好で踏み入る勇気はない。
だが、男は素知らぬ顔で、歩みを止めることはなかった。
(「勇者だ……」)
今度は心の中でつぶやくだけで、漏らさなかった。
その男が、一歩踏み出すたびに、周囲の聖騎士たちが、まるで糸で引かれるように後退する。
無意識に。
反射的に。
獣が天敵を避けるように。
道が、自然と空いていく。
「あいつか……」
胸の奥がざわつく。
これまでのどの敵とも違う。
武器を構えてないのに、むしろセラフィリアンより“厄介”な気配がした。
鉄仮面の隙間から覗く、金色の瞳がこちらを見つめる。
ぞくり、と背筋が冷えた。
『解析──今回の敵の中でも“最も危険な人間”種別です』
「人間なのに?」
『人間だからこそ』
「……精霊千波」
鉄仮面の男が、わたしの名を呼んだ。
声は低く、表情が見えないのに、なぜか“笑っている”のが分かる。
「そして──精霊機械《エーテルギア》」
男の視線がチハたんへ向く。
金色の瞳が、値踏みするように車体を舐めた。
『違います』
チハたんの声が、いつもより低く響いた。
『精霊機械などという分類は存在しません。当機は九七式中戦車改です』
「ほう……機械が、自己を主張するか」
ザキの声に、初めて感情らしきものが混じった。
「ねぇ! わたしには名乗りいらないって言ってたのに、自分で名乗ったわよね今」
『誤った情報は即時正さねばなりません』
鉄仮面の男が、ゆっくりと手を広げた。
「我が名は、ザキ・アスティロン。教会異端審問官長──この地に現れた異端を、神に捧げる者だ」
ざわり、と空気が揺れた。
聖騎士たちが、一斉にひざまずく。
獣人たちの耳が一斉に伏せる。
わたしは身構えた。
タマモばーちゃんが、わたしの背中に近づいて小声で言う。
「気をつけなされ。あやつ……“魂を裁く者”ですじゃ」
「魂を、裁く……?」
それって、つまり。
生きているか死んでいるかじゃなくて──
“中身そのもの”を狙うやつだ。
「まずは──確認からだ」
ザキが、鉄仮面の奥で笑った気配がした。
「精霊千波。その魂は、何者だ?」
「なに者って……あたしは、ただの女子高生よ!」
「高生はわからんが、ただの女子だと?」
「じゃ……」
千波は深呼吸した。
「ある時は、ヒルクライムを愛するローディー! またある時は、チハたんコマンダー! しかしてその実体は……唐揚げとタピオカを愛するただの女子高生、陸路千波! レモンはかけない派!」
シャキーン!
『最後の情報、完全に不要です』
「だってキメゼリフだもん!」
『「もん」とか言ってる時点で説得力ゼロです』
獣人たちが、微妙な顔で見ている。
「……精霊様、今のは……」
「気にしないで……えっと、それより鉄仮面さん放置したままだね。……えっとそういうわけで、正真正銘ただの女子高生です。キラッ」
ザキの声が、ほんの少しだけ愉快そうに揺れる。
「獣人どもをまとめ、古代兵器を従え、領を名乗り、教会の軍を退ける“ただの女子”がいるなら、ぜひ紹介してほしいものだ」
「……うん、さすがに自分でも、無理あるかなとは思った」
『自己認識と周囲からの評価の乖離が、著しいですね』
「うるさいチハたん!」
ザキは、村を見回した。
避難を終えた家族。
怪我人を担ぐ者。
それでも立ち向かおうとしている獣人たち。
「……守ろうとしているのか。その異形の者たちを」
「異形って言い方やめてくれる!? もふもふは世界の宝よ!」
「宝、か」
ザキは少しだけ首を傾げる。
「その“宝”を、搾取し、焼き、鎖で繋いできたのは、他でもない人間だが?」
胸が、ずきんと痛んだ。
「だからイヤなんじゃない。そういうのが。だから守りたいって言ってるでしょう!」
「ふむ……」
ザキの周囲に、ぼうっと柔らかい光が灯った。
最初はただの光の粒だった。
けれど、それがだんだんと形を持ち始める。
輪。
環。
──そして、それは鎖になった。
目に見えないなにかと、世界を繋ごうとするみたいな、光の鎖。
『千波。魔素ではありません。これは……信仰魔力の流れです』
「信仰魔力……?」
『人間たちの祈りを情報化したもの。魔素と似ていますが、性質が異なります』
「なにそれ、めんどくさそう!」
『はい。非常にめんどくさいです』
「肯定しないで!」
光の鎖が、ザキの背後から何本も伸びていた。
まるで、教会と彼を繋ぐ“目に見えない回線”みたいに。
(あれが……あいつの力の源?)
胸の奥がざわりと震えた。
「いいだろう。ならば、審問を始めよう」
ザキが指を鳴らした。
瞬間、頭の中に冷水をぶっかけられたみたいな衝撃が走った。
「っ……なに、これ……!」
『千波! 精神領域に侵入を確認。防壁展開』
チハたんの声が聞こえるけど、遠い。
世界の色が褪せていった。
村の景色が、スッと白黒に変わる。
──視界が、割れた。
一枚のガラスにヒビが入るみたいに。
その亀裂の間から、別の光景が覗き込んでくる。
燃える都市。
空を覆う無数の光の線。
どこまでも続く、装甲車両の列。
聞き覚えのある電子音。
〈CSOS-0659、戦術パックCに移行〉
〈目標:敵AI“イシュタル”の中枢タワー〉
『了解。チハ、行きます』
少女の声。
真面目で、凛としていて、それでいて優しい。
〈チハ、前方に敵装甲車三台〉
『見えています。回避より撃破を優先』
〈待て、お前一機で──〉
『大丈夫です。私は、あなたたちを守るために作られましたから』
銃声。
爆発音。
悲鳴。
そして──静寂。
──これが、チハたんの"記憶"。
いや、チガウ。これは"ログ"。
でも──なにが違う
戦場の記憶。
ザキの声が、白く霞んだ視界の奥から響く。
「見える……見えるぞ。これは……魂の記憶……?」
『違います。それはログです』
チハたんの声が、別の方向から聞こえた。
『あなたは今、当機の記録データを“魂”と誤認して解析しています』
「データ……?」
ザキの金色の瞳が揺れる。
「だが、ここには明確な“意志”がある。叫び。怒り。祈り。これを魂と呼ばずして、なんと呼ぶ?」
『認識の差異です。あなたの定義では、魂なのかもしれません』
チハたんの声は淡々としていた。
『しかし、当機の辞書では“AI人格データ”です』
なんかサラッと言ってのけた。
でも、その瞬間、ザキの光の鎖がビリっと震えた。
“想定外を見たときの人間の反応”だ。
「魂なき機械が……」
ザキの声が、初めて揺れた。
「なぜ、これほど"人間的"なのだ……?」
鉄仮面の奥で、金色の瞳が揺れている。
「機械にすぎぬものが……なぜ、人を守ろうとする……? なぜ、意志を持つ……?」
その問いは、千波にではなく──
チハたんに向けられていた。
いや、違う。
それは、ザキ自身への問いだった。
「……チハたんは、人間じゃないよ」
わたしは、震える声で割り込んだ。
「でも、人じゃないからって、“人じゃない”って決めつけないでよ」
喉が焼けるように痛い。
息が苦しい。
でも、言わなきゃいけない気がした。
「チハはね、人を守るために作られたAIなんだよ。人に奉仕するために、戦場に投げ込まれた戦車なんだよ」
『付記:奉仕対象の選定権は現在千波にあります』
「今いらない補足だよ!」
でも、それで少しだけ頭が冷えた。
ザキは沈黙する。
光の鎖が、わたしに向かって伸びてくる。
今度は、まっすぐに。
「では──」
ザキが一歩、前に出た。
光の鎖が、より強く輝く。
「お前はどうだ、陸路千波」
その声は、静かだった。でも、その静けさが逆に恐ろしい。
「お前は、人間か?」
一歩。
「機械か?」
また一歩。
「女神か?」
さらに一歩。
「それとも──魂だけの存在か?」
最後の問いが、胸に突き刺さった。
(魂だけの……存在……?)
息が、止まった。
(あたしは……)
記憶が、フラッシュバックする。
──自転車で坂道を登るわたし。
──事故の瞬間の白い光。
──気がついたら戦車の中。
──カヘージと出会った日。
──村を作った日。
──みんなと笑った夜。
どれがほんとの"わたし"?
戦車の中の、データとして存在していた"わたし"?
それとも今の、魔素でできた身体の"わたし"?
元の世界の記憶は本物?
それとも、作られた偽の記憶?
(わたしは……生きてるの? 死んでるの? それとも……)
思考が、ぐるぐると回って止まらない。
「……わたしは」
言葉が出ない。
喉の奥で、なにかがつかえていた。
わたしはなに? ほんとうに生きてるの? 夢? それとも……。
考えがまとまらない。作られた身体が動かない。
ザキの光の鎖が、わたしの胸に迫る。
ゆっくりと。
でも確実に。
触れたら──終わる。
なにが終わるのかわからない。
でも、終わる。
「千波!」
チハたんの声が、遠くから聞こえる。
「その鎖に触れてはいけません! あれは"存在"を裁くものです!」
でも、身体が動かない。
魔素の身体が、固まっている。
(動いて……動いて……!)
光の鎖が、あと数センチ。
あと、数センチで──
「千波様ぁぁぁっ!!」
誰かの叫び声が、世界を割った。




