34、諸君、戦いの時間だ
──領都セグバンチョ。
教会区の地下深く、石造りの密室礼拝堂。
蝋燭の炎が揺れ、壁に刻まれた神々の彫像が不気味な影を落とす。
重い鉄扉が、軋みながら開いた。
中には十数名の神官たちと、金と紅を編んだ豪奢な衣をまとった男、
教区司教パルプテがいた。
「……奴らが“集落”を築いた、だと?」
「はっ。元獣人村の避難民たちが北の谷に大規模に集結。指揮しているのは謎の鉄の精霊“千波”と思われます」
「千波……」
パルプテの頬がひきつる。
この数日、獣人の間でも人間の間でも噂になっている名前だ。
「奴隷狩り部隊を壊滅させ、その後、調査任務中の聖騎士団小隊と遭遇するも“何もせず逃げた”……? 何のためにそんな真似を」
神官たちがざわつく。
「慈悲深い異端……」
「民の心を奪うには十分ですな」
「すでに獣人どもの間では“守護精霊”として崇められているとのこと」
「ふん。正気の沙汰ではない。精霊など、神の御業の模倣にすぎん」
パルプテは杖で床を叩いた。
「だが問題は一つ。奴らが“領”を名乗ったという話だ」
「はい……。『千波領』と呼ばれ始めております」
「領主権の主張……これは反逆罪。“異端”と“叛乱”が同時に成るなど前代未聞だ」
神官たちが焦りの声を上げる中、パルプテは微動だにしなかった。
「……ザキを呼べ」
その言葉で空気が凍りつく。
「し、司教様……あのお方を、ですか……?」
「当然だ。“異端”を裁くのはあの男の役目だ」
礼拝堂の奥、祭壇の影が──揺らいだ。
闇が剝がれるように、黒い外套が滲み出る。
鉄仮面。
金色の双眸だけが、蝋燭の光を反射する。
人の気配はない。あるのは、刃物のような冷気だけ。
「……呼んだか、パルプテ司教」
声さえも、感情を削ぎ落とされている。
異端審問官──ザキ・アスティロン。
彼がひと歩きするだけで、空気が硬くなる。
「ザキ。精霊を名乗る存在が現れた。奴隷狩り部隊を壊滅させ、獣人どもを集め“領地”を作ったという」
「精霊ではない」
ザキは即答した。
「"光の砲撃"、"鉄の躯"、"不可視の結界"」
ザキは淡々と列挙する。
「すべて古代魔導兵器の特性に合致している。つまり──『精霊機械エーテルギア』だ」
礼拝堂の空気が凍りつく。
「せ、精霊機械……! それは千年前の大戦で失われた……!」
「正確には"封印された"兵器だ」
ザキは冷たく訂正した。
「神の領域に踏み込んだ技術として、教会が歴史から消した。だが──消したはずのものが、今、目の前に現れた」
パルプテの口元が吊り上がる。
「つまり千波とは、神の領域に踏み込んだ“異端中の異端”……?」
「そうだ。ゆえに──」
ザキは鉄仮面をわずかに傾けた。
「捕獲し、魂を抽出し、神に奉じる」
「なっ……魂を……!」
「何を驚く? 古代兵器の“核”は、人間の魂だ。千波がそれで動いているなら……その魂は“神聖兵器の材料”になる」
神官たちが息を呑む。
パルプテはわずかに目を伏せ、低くつぶやいた。
「……ならば。その魂を、我が教区が回収すれば……大司教の座など、造作もないな」
神官たちの野心と恐怖が空気を濁らせる。
そこへ駆け込んだのは、領主バレントの家臣だった。
「司教様! 我が主より伝令です!
獣人たちの集落の場所、人数、移動経路……すべて提供するとのこと!」
パルプテが鼻で笑う。
「奴隷狩りを金にしていた男らしい。
まあいい。情報は使う。……ザキ、動け」
ザキはわずかに仮面を傾けた。
「捕獲の準備は整っている」
その声に応じるように、礼拝堂の外から甲冑の響きが押し寄せた。
教会要塞の中庭。
銀色の甲冑が朝日を反射し、整列した騎士たちが一糸乱れぬ隊列を組む。
「報告せよ!」
「はっ! 銀翼聖騎士団、六十名配備完了!」
「魔導祈祷士、十名待機!」
「召喚獣"聖狼"三体、鎖繋ぎ完了!」
「聖遺骸兵"セラフィリアン"二体、魔素充填完了!」
巨大な人型の骸骨兵器が、鎖に繋がれたまま不気味に立っている。
聖なる光をまとっているが、その本質は──死体を魔導で動かす"兵器"だ。
眩しい銀甲冑の騎士たちが列を成し、
その背後には巨大な生体兵器が鎖につながれていた。
「目的はただひとつ。“精霊千波”とやらを捕獲し、魂を献上すること!」
「異端者に慈悲は──」
「ない!!」
聖騎士団の叫びが空に轟いた。
彼らの進む先には……
まだ“領”とは呼べない小さな村。
千波たちが守ろうとしている、あの谷がある。
北の森。
霧が薄く漂う中、馬の足音が静かに近づく。
黒衣の騎兵隊。
その中央にザキ。
「この辺りか……」
ザキは馬から降り、焚き火の跡を見つめる。
焦げた土。
不自然に固まった地面。
そして──車輪ではない、連続した"履帯"の痕跡。
ザキは跪き、黒い手袋を外して、直接土に触れた。
「……残留魔素、濃度8.7。これは」
金色の瞳が細まる。
「精霊の"発光"ではない。古代兵器の"魔素炉心"が残した、燃焼の跡だ」
背後の騎士たちが息を呑む。
「つまり──間違いなく『精霊機械』。それも、千年前の戦争を戦い抜いた、第一世代の機体」
騎士が震え声で問う。
「……古代兵器など、どうやって……?」
「捕らえるのだ。そのために、お前たちがいる」
ザキが立ち上がると、黒衣の部隊がざわついた。
「“千波”は獣人どもを守るため、必ず戦う。だが、精神体は揺らぎやすい。圧倒的な恐怖を与えれば、核が露出する」
「か、核……とは……?」
「魂だ」
ザキの金色の瞳が、森の奥を見据える。
「……楽しみだな。どれほど美しい“魂”が詰まっているのか」
冷たい声が森に沈む。
「精霊千波領……その核に秘められた力、我が手に」
***
夕暮れ。
偵察に出していた“ドローン破”が、迫る軍勢を捕捉した。
『千波。教会軍の接近を確認。推定行軍速度は──“三日後、接触”』
「三日……!」
千波の魔素身体が震えた。
まだ村は未完成。
避難民も多く、逃げればまた散り散りになる。
逃げないと言ったけど……本当に戦えるの?
すると、背後からふわっと耳が触れた。
「せいれいさま……こわい?」
子どもたちの耳と尻尾が、そっとわたしの背中に寄り添う。
「でもね──せいれいさまがいるから、こわくないよ」
「せいれいさまが、ぜったいまもってくれるって、しんじてるもん」
──怖くないわけ、ないよ。
本当は震えてる。魔素の身体なのに、心臓がドクドク鳴ってる気がする。
(わたし、戦えるの……?)
(本当に、この子たちを守れるの……?)
でも。
子どもたちの体温が、背中から伝わってくる。
村人たちの笑顔が、脳裏に浮かぶ。
(……守る、って決めたんだ)
拳を、ぎゅっと握る。
(怖くても……不安でも……わたしは、ここにいる)
(だから──)
「うん……やろう、チハたん」
声が震えないように、必死で言葉を絞り出した。
『了解。作戦立案開始。村民避難計画、防衛ライン構築、敵戦力分析──』
チハたんの静かな声が、強く響く。
夕焼けが村を赤く染める。
その空の向こうから、かつてない“嵐”が迫っていた。




