33、たぬき開発のパッケージプラン?
千波の魔素身体が安定してから、まだ三日しか経っていない。
なのに──
「精霊さま、畑の区画はここでよろしいでしょうか!」
「精霊さま、この丸太を運びますが!」
「精霊さまぁぁ!住居の配置、どう決めれば……!」
「だーかーらー! 私は精霊様じゃなーい!」
森にわたしの絶叫が吸い込まれていく。
チハたんの指揮のもと、避難民たちの小さなキャンプは急速に“村らしいもの”へと変貌していた。
昨日までただの野営地だった場所に、人の気配と熱が満ちていく。焚き火の煙、土の匂い、木材の切り屑──どれもが新しい生活の色を帯びていた。
理由は簡単。
チハたんがめちゃくちゃ有能だからだ。
『耕作地は南向き斜面が最適。日照時間七・二時間、浸水リスク三パーセント以下。森の水脈まで距離百二十メートル、傾斜を利用した重力式引水が可能』
『倒木二十八本を建材に転用可能。廃棄される枝葉は堆肥化。森林資源の利用効率、現在六十七パーセント』
『防衛ラインは谷の入り口に土塁と杭。狼型魔物対策も兼用』
戦車の無機質な声が、逆に神々しさを帯びて聞こえる。
チハたんはひとりで土を押し、木を倒し、川を整え、まるで十人分の仕事を同時にこなしていく。その姿を見ていると、世界の常識が一枚ずつ剝がれていくようだった。
獣人たちは尊敬というか畏怖というか、そんな目で見ていた。
「聖戦車さま……」
「聖なる鉄の使者……」
「あの音は祝福の唸り……」
「ちょっと待て、その呼び名、どんどん強化されてない!?」
村人はまったく聞いてくれない。
むしろ、熱が増している。視線の色が、ただの感謝から、なにか“信仰の原石”みたいなものに変わりつつあるのが分かる。
「精霊さまが否定されても、それもまたご謙虚……!」
「すでに教えが始まっている……!」
なんでそうなるの!?
マインドが宗教的すぎるよこの世界!
「精霊さま。こちらの地図をご覧ください」
タマモばーちゃんが、うやうやしく木板に鉱物チョークで描いた絵を取り出してきた。
「これが、この地における“集落の計画図”ですじゃ」
その手つきは、昔から大切な儀式を扱ってきた者のそれで、否応なく緊張を誘う。
「か、計画図!? 待って、こんなの誰が作ったの?」
「チハ様です」
チハ様。
地鳴りを立てて畑を耕す戦車がチラッとこちらを向いた。夕陽が鉄の装甲に反射し、まるで一瞬だけ瞳があるように見えた。
『わたしではなく、あなたの指示に基づき算出しました』
「指示!? そんなのしてないよ!」
『“みんなが安心して暮らせる場所があったらいいのに”と昨日言いました』
「え、あれって……実行されるの!?」
『あなたは指揮官です。理想の提示は命令です』
「理想と命令の距離感!!!」
頭を抱えるわたしの横で、獣人の子どもたちは尻尾をぶんぶん振っていた。
彼らにとって、村ができるという事実は、それだけで未来そのものなのだ。
「せいれいさまのむら、できるんだね!」
「たのしみ!」
「おうち、作る!」
うう。かわいい。かわいいけど……重い。
期待の重さは、いつだって温かさと紙一重だ。
三日目の夕方。
小川のほとりに座り込んで、わたしは頭を抱えていた。
夕暮れの光が水面に反射し、オレンジ色が揺れる。
魔素の身体は疲労しないけど……“心”は別だ。
「わたし……なんで、こんな大事になってんの……? ただ、目の前の人を助けたかっただけなのに……」
指の間から水がこぼれていく。それがなんだか、時間みたいに感じられた。
『千波。あなたの行動特性が原因です』
「行動特性……って言われても」
『正確には──あなたが"見なかったこと"にできない性質、です』
「性質……」
『あなたは困っているものを放置できない。弱者を見れば助ける。結果、避難民が集まり、集落ができ、あなたが中心になる』
「そんな計算した覚えは……」
『あなた自身が計算能力の外にいます』
「ややこしい言い方やめてぇ……!」
そこへ、ふわふわの影が覆いかぶさってきた。柔らかい体温が、冷えた思考をそっと温めていく。
さっきの子どもたちだ。
「せいれいさま、ないてる?」
「ないてないよ……泣きそうなだけで……」
うさ耳の子が、そっとわたしの頬を撫でる。
猫耳の子が背中にしがみつく。
きつね耳の子が、また尻尾でわたしの手を包んだ。
じんわりと、胸の中の霧が薄くなる。
「……ありがと。ほんと、みんな優しいね」
「えへへー」
『千波。呼吸安定。情緒レベル回復を確認』
「ちょっと! いまのログ取らないで!」
『医療データとして必要です』
「やめてぇ〜〜!」
子どもたちが楽しそうに笑い、わたしもつられて笑った。
──でも。
心の片隅で、小さな不安がずっと灯っている。
(……この子たち、また傷ついたりしたら、わたし……絶対壊れる)
守るって、こんなに怖いことなんだ。
その夜、焚き火の周りで、獣人の長老たちがなにやら集まっていた。
「千波様は精霊の御姿であられる」
「村ではなく──領と呼ぶべきではないか?」
「いっそ、この地を“精霊千波領”として宣言し……」
「だから聞こえてるってばーーーっ!!」
私が抗議に踏み込んでも、長老たちは揃ってにっこりした。
その微笑みには、動じない山のような頑固さがあった。
「精霊様の謙虚さ……尊い……」
「尊いじゃないのよ!!」
タマモばーちゃんだけがこっそり耳打ちしてきた。
「もう諦めたほうが早いですじゃ」
「諦めって何!? 私の意思はどこ!?」
「ここには“助けてくれた恩人を神格化する”文化が古来より……」
「そんな文化いらない〜〜!!」
翌朝。
わたしが起きると、村はさらに発展していた。
細い水路が掘られ、井戸が三つできている。
仮の診療所もできている。
新しく来た避難民が生活に加わっている。
わたし、寝てただけなんですが?
「……チハたん……これ全部?」
『はい。村建設進捗、三日で二十七パーセント。五日後には基礎インフラが整います』
「ちょっと待って、開発早すぎ! どうぶつの森か!!」
『この世界の人員は、マニュアル作業での集中力が高いようです』
「褒めるとさらにやっちゃうからやめてぇ!」
子どもたちは水路で水浴びして遊び、大人たちはせっせと土を固めている。
みんな笑っている。
平和で、温かくて、
──だからこそ、胸が痛くなる。
(ここの未来を、わたしは背負えるの……?)
そんな不安を押し隠していると──
「千波様!」
キャンプ場の警備を任されていたタゴサックさんが、跳ぶように走ってきた。
ウサ耳の片方を包帯で巻き、傷だらけの厳つい顔が不安で揺れている。
「……偵察していた村人から報告がありました」
「どしたの?」
「教会の軍勢が……こちらに向けて動き出したようです」
「え、もう見つかったの!?」
ほんわかした村の空気が、固まって落ちた。
夜、焚き火の前。
村人が車座になり、真剣な顔で集まっていた。
チハたんは村の背後に鎮座し、静かに見守っている。
「戦うべきだ!」
「いや、逃げてもいい! 命が大事だ!」
「でも逃げたら……また誰かが攫われる……!」
みんなの視線が、わたしに集まった。
胃がきゅっと縮む。
喉がカラカラになる。
「千波様。精霊の加護を持つあなたが言ってくだされば……わしら、従います」
わたしの言葉ひとつで、みんなの人生が変わる。
(怖い)
本当に。
本当の本当に怖い。
けど──
子どもたちの耳が、小さく震えているのが見えた。
(逃げたら、この子たちの未来は……?)
チハたんの声が静かに落ちてくる。
『千波。選択権はあなたにあります。戦うことも、逃げることも。どれも正解ではなく、どれも間違いではありません』
その声が、妙に優しかった。
わたしは唇を噛み、静かに立ち上がった。
村人の視線が、一斉にわたしに集まる。
数秒の沈黙。
焚き火の音だけが、パチパチと響く。
「……逃げない」
空気が、音を失う。
「わたし、逃げたくない」
震える声を、必死に抑える。
「だって、ここは……みんなの居場所なんだもん。ここで畑を耕して、ご飯を食べて、子どもたちが笑って……そういう"当たり前"を、また奪われるなんて、絶対に嫌だから」
子どもたちの尻尾が震え、涙ぐむ人もいた。
「だから……ここを守ろう。みんなで、ここを守ろうよ」
タマモばーちゃんが杖を突き、ゆっくり立ち上がる。
「──ならば。この地は今日より、精霊千波様の“領”ですじゃ!」
「いや今の台詞はそんな大仰じゃ……!」
「千波領ばんざーい!!」
「ばんざーい!!」
「ばんざい!!」
「ばんざぁぁい!!」
「やめてぇぇぇ! せめて名前だけは普通にしてぇぇぇ!!」
チハたんの鉄の車体が、微かに震えた。
『……記録します。領名:千波領。領主:千波。建国日──』
「チハたん! あなたまで!?」
『命令です』
「命令じゃなぁぁぁい!!」
その裏で──
森の奥の風が、そっと囁いた。
《まもる ものを えらんだ。
ならば、つながる道を ひらこう》
えんやこら森の光が、静かに村を包み込んだ。




