31、おふくろさんは中学三年生
森が歌っていた。
いや、比喩じゃなくて本当に歌ってたんだ。風のざわめきとか虫の合唱とか、そういう自然音の寄せ集めじゃない。
一本一本の葉っぱが、声帯みたいに震えて、旋律というやつを作っていた。
しかもそのメロディー、どこかで聴いた覚えがある。
前にチハたんが「地球の子守唄です」とか言って再生してくれた、あの、妙に懐かしい響きに似てる。
『音波解析中……魔素振動に言語構造が含まれています』
「言語? ってことはアレか、“えんやこらさんズ(仮)”の同類?」
『おそらく。ですが、アレなど比較にもなりません。これは高度な思考群体です』
「はいはい、じゃあコミュ力担当の出番ね」
わたしは、あの“通じてるんだか通じてないんだか”の感じで呼びかけてみた。
「やっほー。えんやこらさんズ(仮)の親戚の人〜。こんにちわ〜」
森がゆるりと明滅した。
生き物が瞬きするように。……でも、返事らしい返事はない。
まるで、そこに巨大な心臓があるみたいだ。
そんなリズムで、森全体が呼吸するように揺れていた。
『接続開始。魔素共鳴域、安定しました』
「これ、わたしの息に合わせてない?」
『あなたの脳波パターンを参照したようです』
「え、完全にわたし仕様!?」
『カスタマイズされていますね』
「サービス精神すごい森だなぁ」
軽口を叩いてはみたものの、本音を言うと背中のあたりがうすら寒かった。
だって森全体が、わたしの呼吸に合わせて光ったり、脈打ったりしてるんだ。
心拍が上がると、葉が震え、風が強くなる。
──これ、取り込まれてるって言わない?
そんなことを思っているうちに、音が変わった。
森の奥で、青い光が渦を巻いた。
そして、そこから声がした。男でも女でもない。
だけど、なぜか懐かしさだけは確実にある声だった。
《……イノチ、きこえる……》
耳から入ってくるというより、意識に直接“置かれる”感覚。
翻訳は、どうやらわたしの脳が勝手にやっているらしい。
「えーと。初めまして、森版えんやこらさん」
《われらは……オモイ》
「想い?」
《たくさんのイノチの……おもい。 のこされた、こえ》
一斉に森の光が瞬いた。
泣きながら笑うみたいな光だった。
胸の奥が少しざわつく。
『千波。魔素濃度急上昇。神経パターンに干渉を受けています』
「わかる……なんかね……見えちゃう……!」
視界がひらけ、音が溶け、匂いが消え、世界が水みたいに透明になった。
そして次に浮かび上がったのは──戦場だった。
燃える街。折れた塔。金属が焼ける匂い。人間が叫び、機械が砕け、空から何かが落ちてくる。
チハたんの世界。
《キオク……の、なか》
「これ、チハたんの……?」
《あなたの なかにも、ある》
視界の端に、制服姿のわたしがいた。高校生の千波。自転車をこいで笑ってる。
その笑顔のまま、空へ投げ出され、光になった。
「……やめて、それはあんまり見たくないな」
《おもいは、のこる。 あなたの なかに》
『千波、戻ってください。リンクが危険です』
「待って……チハたん、これ、あなたの過去なの?」
『製造データとしては過去に相当します。しかし……』
チハたんの声が一瞬だけ途切れた。
その隙間に、森の声が滑り込んだ。
《チハたん。あなたも、ヒトの おもい》
『私は兵器です。人ではありません』
《ヒトが のこした オモイを まもるために つくられた。──それは ヒトの つづき》
──ああ、そうか。
チハたんは、人間の記憶を焼き直して生まれた“思考兵器”。
わたしは、人の魂を魔素に変換して作られた“転生体”。
どちらも、ヒトのなれの果て。
それを森は“おもい”と呼ぶ。
光がゆるゆると引いていき、戦場の炎が消え、森の静けさが戻ってきた。
「ねえ、えんやこら森さん。わたしたち、これから何すればいいの?」
《まもる ものを えらべ。 ヒトは こわす。 でも おもいは つづく。
あなたたちは つなぐ》
『つなぐ……』
チハたんの声が、かすかに震えたように聞こえた。
AIらしくない反応だ。でも、確かにそう聞こえた。
「そっか。壊すんじゃなくて、つなぐ。守って、渡す。……うん、それならできる気がする」
森の光が眠るように消えていった。
《ありがとう。チナミ。チハ》
吐息みたいな声が、胸の奥にそっと落ちた。
夜。森の外れ。
虫の声と星の冷たさ。いつもの静けさ。
「チハたん。あたしたち、えんやこらさん森に何をもらったんだろ」
『命令文的には“不明”。感情的には“指針”』
「指針?」
『破壊ではなく継承。あなたが怒った理由は、生を守りたかったため。それを森は“正”と判断したのでしょう』
「なるほど。じゃあ“もふもふ保護条例”はついに世界公認か」
『……要約すると、そうなります』
「チハたん、今ちょっと照れたでしょ」
『照れる、とは非合理です』
「でも声、半音くらい上ずってたよ?」
『……誤差です』
「誤差かわいい〜」
そう言うと、チハたんの砲塔がちょこんと横を向いた。
あれはどう見ても“顔をそらした”だ。
遠くで雷が鳴った。
二つの太陽の隙間に、黒い雲が浮かんでいる。
『嵐が来ます。人の嵐です』
「教会、かな」
『はい。異端審問官が動き始めています』
「はぁ……精霊様稼業って大変」
焚き火の熱で指をあたためながら、森の風を頬で受けた。
どこかで、えんやこらさんたちが笑ってる気がした。
「行こっか、チハたん。守りにいこ」
『了解、コマンダー』
「だからその“コマンダー”はやめて、“千波”だってば」
一秒ぶんの沈黙。
──そのあとで。
『……了解。千波』
わたしたちは走り出した。
二つの太陽の下、森の加護を背負って。




