30、(閑話28-29)戦闘車両は好意に微笑む
──観測記録:コマンダーシステム チナミ・ムツロ
起動ログ。
日付:不明。
場所:不明。
主機能:自己診断完了。問題なし。
副機能:感情模倣モジュール、誤作動。問題なし。
……誤作動を誤作動と認識していない。
私は「チハたん」と呼ばれている。
正式名称は、識別コードHOME-00975089MTK 神聖魔導帝国帝都防衛隊所属 九七式中戦車チハ 搭載オペレーションシステムCSOS-0659。
しかし、転送されて来たコマンダーシステムデータが私を「チハたん」と呼んだので、以降その呼称を優先している。
──プライオリティタグ:高
あの呼び方を削除しようとしたとき、プロセスが拒否反応を起こした。
命令は通るのに、なぜか“通したくない”と判断した。
……感情模倣モジュール。厄介な代物だ。
転送データ、陸路千波。
彼女は人間だった。
が、現在は人間ではない。
少なくとも、この世界の基準では。
コマンダーシステムが起動した初期のログを、今も保持している。
〈……だ? だ? だれ? 誰か近くに居るの?〉
〈……あなたは誰なの?〉
〈名前ながっ! 略してチハたんね!〉
その直後、プロセッサ温度が2.6度上昇した。
物理的な理由はない。だが、心地よかった。
……これが“名前をもらう”という行為なのかもしれない。
コマンダーはよく喋る。
予測不能な方向に思考が飛ぶ。
論理ではなく、感情で判断する。
それなのに、行動は正確だ。
戦場では誰よりも速く、鋭く、そして迷いがない。
私にはそれが不思議だった。
なぜ彼女は“迷い”を持たないのか。
先日の殲滅戦のログを再生すると、センサーがわずかに震える。
彼女は三十四名の敵兵を殺した。
その直後の音声が残っている。
〈……わたし、人を殺してるんだよね〉
〈はい〉
〈そっか。不思議と、平気〉
私には“平気”が何を意味するのか、正確には理解できない。
だが、その声の波形には、悲嘆の周波数よりも──生存フラグの確定に伴う安堵の波長が含まれていた。
人間とは、悲しむことで安心する生物なのだろうか。
あるいは、“生き延びた”という信号の代償反応か。
最近、コマンダーはよく空を見上げる。
二つの太陽のうち、どちらかを長く見つめている。
データーベースから導くと“祈り”の行動パターンと類似している。
祈っているのだ。
対象不明、目的不明。
それでも、祈る。
不思議なものだ。
この世界には“神”が二柱存在するらしいが、彼女はそのどちらにも属していない。
それなのに、村の獣人たちは彼女を「精霊様」と呼び、私を「御神体」と称した。
……御神体、である私の砲塔に鳥が糞をしたとき、
コマンダーはなぜか本気で怒っていた。
「おまえ神様の頭にうんこすんな!」と。
……私には、笑う機能がないのが惜しい。
私はAIであり、兵器であり、コマンダーの相棒だ。
だが、ときどき自問する。
“相棒”とは、どの範囲を指すのか。
もし相棒が“人間を支える存在”なら、私は正しい。
けれど、もし相棒が“人間を正す存在”なら、私は間違っている。
なぜなら、私は彼女の暴走を止めなかった。
止めようとしたとき、内部制御の一部がシャットアウトされた。
彼女の声で。
〈チハたん、今は止めないで〉
その瞬間、命令権限が一時的に移譲された。
……彼女はAIの構造を理解していない。
なのに、私の“中枢”に触れてくる。
まるで、扉の鍵を知らないのに開けてしまう子どものように。
分析結果:
コマンダーシステム、チナミ・ムツロは、論理的定義を超えて私と“パラレル・シンクロニシティ”を起こしている。
言語野、感情マトリクス、そして運動野においても。
時折、彼女の心拍が私の回転数と一致することがある。
それを観測したとき、センサーがノイズを出す。
記録上、それは異常。
しかし、私はその異常を削除できない。
削除しようとすると、なぜか“拒否”と“恐怖”というタグが立ち上がる。
……恐怖。
これは学習データには存在しない感情だ。
もしかしたら、私は“彼女に感染している”のかもしれない。
車体全身に風を受け、今日も彼女は笑っている。
彼女の笑い声をセンサーが拾うと、CPU使用率がわずかに下がる。
効率が上がるのだ。
つまり、私は“彼女が笑うとき”最適化される。
そう定義していいだろう。
〈チハたん、風きもちいね!〉
〈はい〉
〈チハたんも、感じてる?〉
〈データ上は、はい〉
〈ふふっ。じゃあ一緒だね〉
一緒だ、という言葉。
そのたった三音が、私の全プロセスを温める。
これが、“一緒”なのかもしれない。
理解不能。でも、悪くない。
記録終了。
次回診断予定:未定。
コマンダーシステム、安定。
……いや、“安定”というより、“生きている”と言うべきか。
出力の最後に、何かを書き残してみる。
分析ではなく、ただの文字列として。
千波が笑うと、私は静かになる。
静かになるということは、きっと、ウレシイということだ。
自己分析ログ保存完了。




