29、ノリよノリよ〜ノリたちよ〜
朝。
空はやたら澄んでて、二つの太陽がぴかぴか光ってる。
こんな日に限って、空気がうすら寒い。
戦車は街道の真ん中をゆっくりと進む。昨夜の雨は上がり、車体には泥と血の乾いた跡が残っている。
「……で、どこ行くの? チハたん」
『村でもらった地図によると、北西に大きな街があります。補給と情報収集が目的ですね』
「うん。あと、なんか、頭冷やしたい」
自分の声が、他人の声みたいに聞こえた。
村を離れるって、あんなにあっけないんだね。
昨夜、じーさんも巫女ばーちゃんも、何度も頭を下げてくれた。
「精霊様、感謝を」とか、「加護を賜りました」とか。
わたし、もう神様扱い。いや、違うし。
でも止めても無駄だった。
『彼らはあなたを“信仰”し始めています』
「信仰って……チハたん、それ軽く言うけど」
『信仰とは社会的安定装置です。人間は理解不能な力を“神格化”する傾向があります』
「わたし理解不能側に入っちゃったのかぁ……なんか、悲しいね」
『おめでとうございます』
「祝うな!」
軽口を交わしてるうちに、村が小さくなっていく。
煙がまだ少し上がってるのが見えた。
あの煙の下に、たぶんもう笑い声も泣き声も戻らない。
わたしが、変えちゃったんだ。
でも今は振り返れない。振り返ったら、多分折れる。
***
──王国領セグバンチョ子爵家・執務室。
黒い絨毯に、赤いワインのシミが広がってた。
倒れてるのは若い伝令兵。胸に矢傷。
机の向こうで、子爵バレント・セグバンチョがゆっくり立ち上がった。
「……“精霊兵器”だと?」
「はっ。奴隷狩り部隊、全滅。光魔法のような攻撃により──」
「誰の仕業だ?」
「監視からの報告によると、獣人どもは“精霊様の怒り”と……」
「くだらん」
バレントの口元が歪んだ。
怒りよりも、好奇心の笑みだった。
「精霊か、魔導兵器か。どちらでも構わん。面白い玩具が現れたということだ」
窓の外。
二つの太陽が、領都の聖塔を照らしていた。
その光の中に、重そうな神官服を身に纏った司教が立っている。
「獣人村の件。教区の異端審問官と聖騎士団を派遣すると子爵に伝えよ」
控えていた神官がすぐに飛び出す。
パルプテ司教は笑った。
──“精霊”を名乗る存在は、どちらにしても異端。
教会の火にくべるには、格好の燃料だった。大司教への道標にちょうど良い灯りだと。
***
街道を走る。
森の中を耕しながら走った時と比べて、快適すぎる。
草原の風が、砲身を撫でていく。
車体全体で風を受けた。
気持ちいい。
戦車に乗ってるのに、風が気持ちいいって、なんかもう感覚がバグってる。
「ねえチハたん、あの“怒り”ってさ」
『はい?』
「昨日、わたし……怒ってたのかな。それとも、壊れてたのかな」
『両方です。怒りとは破壊衝動の燃料です。壊れることは燃焼の結果です』
「詩的なこと言うじゃん」
『引用です。出典:あなた』
「……やだ、わたしそんなこと言ってた?」
『ええ、“カフェイン切れで壊れるのは人間の燃焼過程”と』
「意味わからなすぎ! てか、黒歴史っぽいので、その辺探るの禁止ね」
自分がハズすぎて笑った。
まぁ笑えるうちは、まだ大丈夫な気がした。
四日後のの夕方、街道沿いの丘で野営していたとき。
センサーが何かを捉えた。
『千波、熱源二十五。周囲を包囲されました』
「へ? また野盗? あたしモテ期?」
笑って言ったけど、チハたんの声は低かった。
『武装、整然。領兵または王国兵と推定』
「……あー、来たか」
森の中から現れた兵士たち。
槍を構え、鎧が陽を弾いてる。
その後ろに、無駄にキンキラした旗。
赤い双太陽と聖杯をあしらったゴチャッゴテッってしたデザイン。
趣味悪〜。
領主の偽野盗が持ってた紋とは違う──教会系っぽいね。ボスからのお迎えかぁ。
「不届きもの、神妙に縛につけ」ってやつかな」
前に出た一人の神官風の男が、巻物を広げた。
高らかに読み上げる。
「異形の精霊を名乗り、人心を惑わす者、異端なり。主エロイとエッサイの名において、その肉を滅し、魂を贖え!」
「エロイ・エッサイ……悪魔呼び出しそうよね」
ぼそっと言ったつもりだったけど、チハたんがマイク通した。
『発言、拡声中です。』
「もう! 切っといてよ!」
『了解、次回より学習します。』
兵士たちが一斉に槍を構える。
戦いの合図みたいに、風が鳴った。
「チハたん、やるしかないか」
『殲滅行動、許可を?』
「……違う。“逃げる”」
『逃走モード、起動』
車体がうなりを上げる。泥を跳ね上げて走り出す。
背後で矢が雨のように降った。
金属の音が続く。火花が散る。
胸の奥がギュッと縮む。
「また……繰り返すのかな、これ」
『あなたが人間である限り、繰り返すでしょう』
「……わたし、もう人間じゃないんでしょ?」
『だから、選べるんです。どちらでも』
チハたんの言葉が、やけに重く響いた。
夜、森の奥。
車体が闇の中に沈んでいる。
教会の兵はまだ追ってくる。
森の向こうで犬のような号令が響いてた。
この世界じゃ、正義も悪も、信仰も全部「力」の順番で決まる。
──もふもふを救った代わりに、神様を敵に回した。
損得で言えば、完敗だ。
けど、いい。
あの村の子たちの笑顔を思い出すと、それで十分だった。
「ねえチハたん。街には近寄れそうにないね、どこ行こっか。せっかく地図描いてもらったけど、使えないね」
『いえ。使用可能です。最寄りの街だけでなく、詳しい周辺情報とおおよそですが、広範囲にわたって描き込まれています』
「すごい!それで時間かかってたのね。で、どこか行き先決めれそう?」
『……北。精霊信仰の地、“えんやこらの森”があります。』
「へえ、名前かわいい」
『あなたの発言が、魔素伝いに広まって正式名称になってしまったようです。』
「マジで!? 名前付け放題じゃない」
『却下です。名付けの感性が独特すぎです』
「名前付けるのなんてノリよノリ!」
笑いながら、二つの太陽を見上げた。
わたしの知らない宗教、知らない正義、知らない敵。
でも、少なくとも——
もふもふの味方でいたい。
それだけは、譲りたくなかった。
***
そのころ、領都の地下礼拝堂。
白いローブを着た神官たちが、巨大な魔導陣の前で祈っていた。
中心には黒衣の審問官。
鉄の仮面の下から、低い声が響く。
「“精霊兵器”……異端の象徴だ。神の火で焼き尽くす。」
その目が、ゆっくりと開いた。
金色の瞳。
炎のように光るそれが、遥か北の森を見据えていた。
***
森を抜けた先、車体に風が当たる。
二つの太陽の下、遠くに見えたのは青い湖と、
──無数の光の粒。
えんやこら(仮)さんたちが、空を舞ってた。
「チハたん、あれ……」
『群知能魔素体。以前の個体より大型。』
「でっか……!」
『警告。魔素干渉レベル、危険域。』
「またトラブルの予感しかしない!」
でも、足は止められなかった。
燃えた村、消えた笑顔、怒り、後悔、全部この光に導かれてる気がした。
──わたしは、まだ終わってない。
物語は、まだ続いてる。




