第八話 謎のカラス
「コツコツ」
ことだま幽便局局長室の窓が叩かれ、縁導は振り返った。
そこにいたのは、一羽のカラスだ。
縁導が窓を開けると、カラスは我が物顔で縁導のデスクに飛び移る。
小さな足をトントンと机に打ち付けて鳴らす。まるで自分の方が偉いのだと言わんばかりに、縁導を呼びつけているのだ。
このカラスの正体を知っている縁導は、狼狽えることなくカラスの思い通りに動いてやる。カラス(こいつ)の機嫌を損ねると、余計な仕事を増やされかねない。
「しかし、そちらから直接訪ねられるとは驚いたな。何かあったのか?」
「……問題が発生した。まずは読め。」
カラスは縁導に足を向けた。
その小さな足には紙が括られている。
嫌な予感しかしなかったが、縁導は渋々受けとる。案の定、差し出された場所は冥界。生前に大罪を犯した者が送られる断罪場所であり、執行場所だ。彼らは常に監視され、自由はなく、いつ終わるともしれない苦痛を課せられている。つまり、現世で言うところの刑務所である。相違点は、生者であるか死者であるかを除けばその規模だろう。一世界丸っと牢屋なのだから。
罪人を管理、監視しているのは獄卒と呼ばれる刑務官のような存在だ。差出人はその獄卒たちを束ねる獄長からだった。
ちらりとカラスを見ると、赤い目を光らせて縁導をじっと見ている。監視されているようで良い気分にはなかなかならない。
縁導は指すような視線に耐えながら、手紙に目を通した。
「……………。」
カラスが縁導の反応を待つ。
手紙の内容から、どうやら冥界でもトラブルが発生しているらしいことが読み取れた。
「はぁ…。」
縁導は溜め息をつく。
何故、どいつもこいつも幽便局に厄介事を持ち込んでくるのか。
能力的にも権限的にも、死神や獄卒衆の方が上のはずだ。ただの幽便局員に何ができるというのか。時に生者を相手にする死神や怨魔と対峙する獄卒に比べれば、瑣末な仕事である。それでも重要な仕事であると縁導は思っているが、それぞれに与えられた使命と能力が違うのだ。本来、彼らのように生者に姿を見せる力も怨魔を祓う力も言霊幽便の配達員にはない。
「わかった。何か対策を考えてみるが、期待はするなよ。」
縁導の返答に満足したのか、カラスは羽の毛繕いを始める。
飛び立つ前に翼を調えるのが、このカラスのポリシーなのだ。それを知る縁導が急かして追い払うことをしないということをカラスも知っている。だから、少しくらい念入りに時間をかけてやる。
カラスが満足気に顔を上げると、早く出て行けと言わんばかりの眉を寄せた縁導の顔があった。
(嫌がってる、嫌がってる♪)
カラスは心の中でほくそ笑む。
最後の仕上げに羽を広げて書類を散らすと、物言いたげな縁導を尻目にカラスは帰って行った。
「あいつ…。」
散らばった部屋を見つめて、縁導は報復を決意する。
しかし、それは今ではない。
書類を集めてから、縁導はある配達員を呼び出すように部下に指示した。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
(何故だ。)
猫鎖斬は木々が生い茂る森の中を必死で走っていた。
森に住む小鳥たちは猫鎖斬を避けて草影に隠れていく。
(何故あいつ(・・・)は俺を追って来るんだ?)
粗棄とあの夜から数日間、どうすれば海里からの手紙をあの三人に読ませることができるのかを考えながら街を宛もなく練り歩いていた。
人通りが少ない小道に入った瞬間に後ろを捕まれて拐われてきたのだ。
あのカラスのねぐらだったのか、森の中の開けた場所へ落とされた。そこから隙を見て逃げ出して今にいたる。
赤い瞳をキラリと光らせ、猫鎖斬を見詰めながら追いかけて来るカラス。
振り返る余裕もなく、猫鎖斬はでこぼこの土を踏み蹴って街の方向へ走った。
鳥目のカラスなら、薄暗い森の中にいる黒猫の猫鎖斬は見にくいはずだ。何より生い茂る木々で遮られるはずなのだ。しかし、猫鎖斬にGPSでも付けているのかと思うほど、カラスは正確に猫鎖斬を捉えている。
だが、こんなにしつこく狙われる心当たりが鎖斬にはない。
(餌だとでも思っているのか、遊んでるようにも見える…のはさすがに気のせいか?)
どちらにしても、喰われるのは御免だ。
しばらくすると、必死に駆ける猫鎖斬の前方が途切れているのが見えた。しかし、迂回のために方向転換をすれば再び捕まってしまうのは確実だろう。生者ではない鎖斬が転落したところで別に死ぬわけではないが、他の配達員と違って鎖斬には痛覚がちゃんとある。落ちればかなりの痛みを伴うことは明白であり、生者と違って意識を失うこともなかなかできない。
(餌になるのも落ちるのも御免だな。)
猫鎖斬は上空のカラスを見た。
続いて目の前の崖と対岸を見る。目測ではおよそ5mくらいの幅に覚悟を決める。
速度を落とさずに駆け、渾身の力でジャンプした。普通の猫でも横幅を跳ぶのは助走なしでも約2mだと聞く。
猫鎖斬は対岸に手を伸ばして身体を限界まで伸ばした。視線は当然対岸を目指したままだ。
(よし!)
向こう側の山岸に手がかすめて、行けると確信した瞬間だった。
「に"ゃッ」
小さな猫鎖斬の躰は真っ逆さまに落ちて行った。
谷底で待ち受けていた川が飛沫をあげながら猫鎖斬を迎え入れる。激しい水の流れには小さな抵抗も虚しいだけだ。猫鎖斬を追っていたカラスは、落ちていく猫鎖斬を捕まえようともせずに、流されて行く猫鎖斬を見送って去って行った。
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