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神さまの幽便屋さん  作者: 鏡桜 久音
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第七話 出逢い


白い壁に白い床、そして白い天井。棚もベッドも、花瓶すらも白一色に飾られた部屋は、鎖斬には形容しがたいものを感じさせた。そういえば、鎖斬を案内してくれた先程の看護師も白い服に身を包んでいた。


ただ好きという理由だけでこれほどまでにこだわって揃える者もいるだろうが、まがりなりにも公共機関である以上、個人の趣味嗜好をここまで全面に押し出すことはほとんどないはずだ。何故白でなくてはならないのか鎖斬にはわからないが、ちゃんと意味のあることなのだろうと思った。


ベッドに横たわった柚樹は、モニターつきの機械に腕やら顔やらを繋がれている。


静かな部屋に響くピッピッという規則的な作動音が耳に響く度、鎖斬は胸を締め付ける不愉快さに気持ちが悪くなるのだ。ここに満ちた変な匂いもどこかでかいだことがある気がする。だが鎖斬が人間界に降り立つのは初めてで、霊界には当然病院など存在しない。そのため、完全に気のせいだと鎖斬は不愉快な音を聞き流すようにした。柚樹の痛ましい姿に鎖斬は痛覚とは違うズキズキとした感覚を覚える。初めての感覚に戸惑う気持ちを押し込んで、鎖斬は急いで病室を後にした。


足早に建物から出ると人通りがない建物の陰に駆け込んで鎖斬は猫の姿に戻った。さすがに猫の姿で病院に入ることはできないと思い、人の姿に戻った。人の姿に戻ったことで、何故使用制限があるのか鎖斬は解った。霊界にいる時より体がかなり重く感じたのだ。アレでは常に人の姿でいることなどとてもムリだ。


猫の姿に戻ったはいいが、ここはまだ病院の敷地内。人に見つからぬようにと、飛び出るタイミングを植え込みから見計らう。


「いた!」


その時、若い男の声が聞こえた。


声の方向を見やると警備員らしき男が猫鎖斬の方へ近づいて手を伸ばしてくる。猫鎖斬はひょいと警備員の腕かわして逃げ出した。逃げた猫鎖斬を「待てー!」と叫びながら追いかけてくる。建物の陰から移動する時に見られたのかもしれない。とにもかくにも、ここで捕まるわけにはいかない。捕まれば、保健所に連れて行かれるだろう。もしかすると逃げ出すチャンスはあるだろうが、去勢なんてされようものなら一大事だ。


猫鎖斬と警備員の追いかけっこが続くなか、気づけば警備員の数が増えている。まさに多勢に無勢で猫鎖斬は追われた。


(敷地から出ようにも、邪魔しているのはあんたらなんだがっ!)


敷地の外に向かって走っているというのに、行く手を阻まれてしまえば捕まらないように方向を変えるしかない。


警備員はおそらく、猫鎖斬を捕まえることだけに意識が向いている。いっそ人の姿に戻ってしまおうかとも思ったが、いかんせん人に見られるとまずい。それこそ、天人に処罰されてしまう。


そんなことを考えながら逃げる猫鎖斬の前に立ちはだかったのは、警備員ではなかった。


「おいで。」


高校生くらいのその少女は、猫鎖斬を迎えるようにしゃがんで手を伸ばしている。


綿貫の家の中を覗いた時に見た写真と同じ人物だ。猫鎖斬は桜が伸ばした腕の中に飛び込んだ。





――◇――◇――◇――◇――◇――◇――◇――





「これに、ですか?」


少年はキョトンとした顔で鎖斬を見上げた。


「はい。偲現紙と偲現筆と言うそうです。これに書けば現世の紙に書いた内容を写せるから、現世の人間にも読めるとのことです。」


鎖斬が簡潔に説明すると、紙と筆を海里に手渡した。


海里はどう見ても鉛筆にしか見えないそれをまじまじと見つめる。


「筆?」

「今は鉛筆ですね。使用者によってシャープペンシルや万年筆などに変化するそうです。」


よく見ると、生前に自分が使っていたお気に入りの鉛筆と似ている。


現実的に考えれば、少なくとも現代の技術では不可能な仕組みだ。しかし、ここは霊界。手にした者が使いたいと思う形をくみ取ってその通りに変化するというのは、それこそ“らしい”ではないか。


海里は手にした偲現紙に視線を移す。


「これに、手紙を書けば本当に届けてくれるんですね?本当ですね?」


しつこく確認してくる海里に、鎖斬はなんども頷いた。


鎖斬の肯定にパッと顔を明るくする海里。しかし、鎖斬は重要事項を一つまだ伝えてはいない。



「ただし、」



一度は区切ったはずの言葉を続ける鎖斬の声に、海里は不安気な顔を上げた。


「その手紙は君が事故に遭う前に書いたものにしなくてはいけません。」

「つまり…、俺が生きていた時に書いたようにみせるってこと?」

「その通りです。」


海里は再び偲現紙を見て「事故の前に…、生きてる時…」とぶつぶつと呟いていた。


数秒その様子を見つめていた鎖斬だったが、もう一つ聞いておけなければならないことを思い出した。

それを聞いた海里は少し考えると、それならと鎖斬に答える。





―――というやり取りを海里としたな。



そんなことを思い返しながら、猫鎖斬は何故か動物のぬいぐるみに囲まれた己を省みていた。


今にも動き出しそうなリアルな犬のぬいぐるみ、マリモのような丸いふさふさした目がデカいマスコット、女子学生が“キモカワ”と騒ぐようなファンキーな動物型の人形。


自分がそんなぬいぐるみの中に埋もれる日が来る、なんてことを鎖斬は夢にも思わなかった。


「ごめんね、お腹すいたでしょ?」


扉を開けて入ってきたのは、この部屋の主である桜だ。


あの後、危機一髪で猫鎖斬を助けてくれた桜は、そのまま家へ帰った。その腕は猫鎖斬を抱っこしたままだった。


「キャットフードなんてないから、お味噌汁にご飯入れて猫まんまにしてみたけど食べてくれるかな?」


そう言って、桜は手にした餌皿を猫鎖斬の前に差し出した。


「ニャア」(いや、こっちの方がありがたい。いただきます。)


正直、キャットフードが出てくるのではと警戒していたので、猫鎖斬は一安心だ。


猫鎖斬がパクパクと食べ始めると、桜は良かったとにっこり見ていた。


(食べづらい…)


人に見られながら食事をする気まずさに耐えながら、猫鎖斬は猫まんまを完食した。


お腹がいっぱいになった猫鎖斬は動けずに、桜が用意してくれたクッションに丸まる。


桜が隣に座って、猫鎖斬の手をそっと触ってきた。プニプニされて少しくすぐったいが、猫鎖斬が抵抗しないので桜はプニプニをやめる気配はない。


正直、やめて欲しいんだけど…


「ねぇ、聞いてくれる?」


ふと桜は問いかけた。


猫鎖斬は振り向いて桜の目を見る。


(不思議な()だなぁ)


その不思議な眼差しに、桜は自分の知らない自分が見つかる気がした。


「君はくだらないって思うかもしれないけどね。」


くすくす笑う桜の顔を猫鎖斬はじっと見つめた。


彼女はきっと、自分の中にくすぶっている恥ずかしさや罪悪感、悲しみや煩わしさ、そういった感情を誤魔化しているのだろう。猫鎖斬にはそう思えた。


「あの病院にはね、友達が入院してるの。」


桜はそう話を切り出す。


猫鎖斬は知っていることだったが、じっと話を聞いていた。柚樹と滉の話と一緒に海里の名前も出た。事故の経緯と共に。


「柚樹ちゃんは海君と一番仲良しだったから、滉君勘違いしちゃったのかな…」


呟くように最後に付け加える。


そして、桜が誰にも打ち明けたことのない真意を語りだす。家族にも柚樹にも滉にも伝えたことのない気持ち。それは、桜自身も気づいていなかった感情。


「私ね、本当は怒ってるの。柚樹ちゃんにも、滉君にも。だって、海君が失いたくなかった未来を柚樹ちゃんは捨てようとした。滉君は海君の“代わりに”なんて莫迦なこと考えてる。上手く言えないんだけど、二人とも海君の事誤解してると思うんだ。…私のことも。二人が間違ってる、なんて…私には言えない。二人が罪悪感や自己嫌悪に苛まれているって、わかるから。…私も同じだから。何もできなかったし、今も…何もしてない。それを隠そうとする私は…言わない私は、ズルい奴だよね…。」


いつの間にかプニプニを止めて、猫鎖斬とは違うクッションを抱いて顔をうずめている。


「聞いてくれてありがと。お休み。」


猫鎖斬に一通り話して気が済んだのか、桜はベッドへと入って行った。



静かな寝息を立て始めた桜の横顔を猫鎖斬は見つめる。



自らの死を望む者への怒り。それは鎖斬にも理解できる思考だ。永く死者と接して来た鎖斬にとっては当然に死者への思い入れの方が大きい。死者がその後も喉から手が出るほど望む生を、生者は容易く蔑ろにするのだ。手酷い裏切りに合った、学校でイジメられた、職場でパワハラを受けた。そんなつらい日々に手を打ちたくて死を選ぶ。


世界が不平等で不公平で、神が造ったとされる“エデン”は少しも楽園なんかじゃない。そんな感情をもて余した末に死を望むのだ。


その未来にはちゃんと幸福が待ってくれているかもしれないのに。


(死んだら苦しみや悲しみがなくなるとでも思っているのだろうか。)


鎖斬にとって、死と生の違いなどほとんどない。


魂の入れ物たる“器”の有無と時限の有無くらいだ。きっと生者にとって死が哀しく侘しいのは、『死によってもたらされる喪失』ではなく、愛しく想う者と強制的に引き離されることなのだ。


(「愛しい者と同じ時間が共有できること」。それが神が与えた楽園だ。それを余計な感情で放棄するなど愚かとしか言いようがないな。)


死を望む生者には死が与えられるのに、生を望む死者に生が与えられることはないのだ。


そんな儚く虚しいだけの生への未練を捨てきれない死者を見てきた鎖斬には、自殺志望者を理解することも弁護することもあり得ない。


なにより、人生というものは唯一無二のものだ。不変でも平等でもない代わりに、当人にしか味わえない得難いものを手に入れることができる。その人が求めた選択を他人がいくら肩代わりしようと、その人生をすり替えられはしない。


二人は自分だけの唯一無二の人生を放棄している。桜が怒りを感じるのは当たり前だ。


だが、桜の怒りは理解できたが、桜の言ったズルさというのは鎖斬には解らなかった。


何も成さなかったことで他人が不利益を被ろうが、それは桜のせいではなくただの結果にすぎない。むしろ、半端な情けや正義感が誰かを不幸にすることだってあり得るのだ。


覚悟や信念を持てないなら、何もしないという選択はむしろ正しい。それでも、桜もまた、他の二人の人生に責任を負おうとしているのだろう。そんな必要があるのかと鎖斬は思うが、思い返せば海里もそうだ。でなければ、こうして鎖斬が人間界に降りてくることも無かったはずだ。そうあろうとするのが生を知る人間の性質(さが)なのかもしれない。


(さてと。あれを確認しておかないとな。)


桜が深い眠りについていることをしっかり確認すると、猫鎖斬はするりと部屋を抜け出して、そっと外に出た。




夜道の暗闇でも猫になっている鎖斬には、昼間のようによく見える。時折、黒猫の鎖斬が横切ったことに驚く人の間抜けともとれる声が聞こえた。人間にははっきりと暗闇を見通すほどの視覚能力はない。闇に溶け込み易い今の猫鎖斬と遭遇したら、突然何もない所から現れたようなものだろう。


そんな人間たちに気を止めることなく、猫鎖斬は海里に聞いた目的の場所へ足を進める。


闇を縫うように立ち並ぶ街灯が照らす中、目的地に到着した猫鎖斬は困惑した。


偲現紙と入れ替えるための品が、空き地に埋められているはずなのだ。しかし、そこには一軒家が佇んでいる。場所を間違えたかと番地の看板を確認したり、周辺をひとしきり回ったりしたが、やはりここであっている。


考えてみれば海里たちがタイムカプセルを埋めてから数年が経過している。その間に、新しく建てられたのだろう。


闇夜に負けじと綺麗な白塗りの壁が自身の存在を主張していた。


(さて、どうしたものか……)





――◇――◇――◇――◇――◇――◇――◇――





「だはははははー!」

「…………。」


近所迷惑を通り越して、騒音かと思いたくなるような音量の笑い声が暗闇に響いた。


「おまっ…くくっ……それ、ふっ、何なんだよ?ははっ…!」


鎖斬の猫姿を目の当たりにした粗棄は、間抜けな顔で大笑いする。


粗棄はいつも通り人の姿だったが、人間に見られることはない。これが人間なら、訴えられるところだ。人間には見えないし聞こえもしないが、それにしても笑い過ぎだ。


昨晩、鎖斬はあの後タイムカプセルが埋まっているはずの場所に家があることをことだま幽便に報告した。他に偲現紙を転写できる物はないか、対策があるなら知りたいと。


そして送られてきたのは、メッセージではなく、メッセンジャーの同僚だった。


人の姿に戻る選択もあったが、結局、猫姿でいることにした。意外なことに鎖斬は自分でも猫姿が気に入っているらしい。


「いつまで笑ってるんだ…」

「わりぃわりぃ! 随分こじんまりしたなと思って…っ…」


粗棄はあからさまに笑いを押し殺す。


今相手にしているのは粗棄だけだ。姿が見えなくなっても問題はない。そう思った猫鎖斬は人型に戻ろうかという考えが頭を過ったが、今更だ。無駄な労力を使う必要はないかと、そのままで会話を続けることにした。


「本題だが。」


ひとしきり笑い倒した後、急に真面目な顔になる。


だが、本来の粗棄はこうであることを知っている鎖斬は大して驚きはしない。感情表現が豊かだと霊界の死者たちは粗棄を評価するが、元々鎖斬たち霊界職員は感情が希薄である。些細なことで感情が大きく揺れ動くことなどほとんどない。粗棄の飄々とした性格は、半分は死者たちの持つ感受性の豊かさに憧れてのものだろうと鎖斬は思っている。


「タイムカプセルはこの家の下だな。当時は空地だったところに、建てられたらしい。ま、7年も経ってりゃなぁ。」


粗棄は言いながら、頭をかく。


空地だったはずの場所には、お洒落な一軒家が建っていた。


一軒家を建てる時に気付かなかったのかとも思うが、建築に関する知識など鎖斬にはない。そういうものなのかと納得し、それ以上考えることをやめた。


「あと、他に偲現紙を使えそうな物はないってよ!」

「一つもか?」

「おお。日記も書いてなかったし、学習ノートに写すのはおかしいだろ?」


確かに、使用中の学習ノートの一頁に手紙を書く人間などいないだろう。書いたとしても切り取っているはずだ。


「そうか。じゃあ、どうにかしてタイムカプセルを掘り出すしかないか。」

「てかお前、まさかそのまま飼い猫になんの?」


そんなわけはないのだが、そう聞いてきた粗棄の顔はいつになく真面目だった。



読んでくださってありがとうございます。

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