第四話 喫茶店
来客を知らせる扉のベルが鳴ると、「いらっしゃいませー」と店員が出迎える。そんな喫茶店の窓際の席に滉は座っていた。テーブルの向こうには柚樹と桜が並んで座っている。
学校での一件以降、彼女たちから滉に特に何かを言ってくることはなかった。滉から話しかけることもなかった。もっとも関係断絶というよりは、滉が彼女たちを避けまくっていたことで話す機会が無かったというのも理由の一つだ。
「「「「…………。」」」
明るい店内に暗い沈黙が続いていた。
昨夜のことだ。自宅にいた滉の携帯に週末の昼間会えないかという柚樹からのメールが来た。その時、この喫茶店を待ち合わせ場所に指定されたのだ。正直なところ、ろくな話ではないだろうと思い、無視した。しかし、その後今度は桜から『意気地無し』『臆病者』『根性無し』『卑怯者』と立て続けにメールが来た。おしとやかな桜らしくないこのメールは、桜の携帯を使って柚樹が送って来たのだと想像がつく。あまり気乗りはしなかったが、ここまで言われて何も言い返さないのは癪だ。今後、また教室での一件みたいに変な口出しをされても困る。きっぱりと自分とは関わらないように言っておこうと、滉は待ち合わせに同意したのだ。
滉も追うように窓際まで足を進めて、二人の前の椅子に腰を降ろした。店員に注文をし終えてから10分、ずっと沈黙が続いていた。
二人が話したいことの内容はわかっている。教室でのことか、海里のことか。きっとそのどちらもなのだと滉は確信を持っている。だが、それでも滉は沈黙を貫いた。滉を呼び出したのは目の前に座っている二人だ。滉から口を開く義務はないし、義理を通す必要もない。とは言え、何もしないままここにいるのも時間の無駄だ。
滉は溜め息を吐くと、すっと立ち上がって上着に手をかけた。
「まっ、待って!」
それを見た桜が咄嗟に引き留める。
「あっ滉くん、ホ…ホットケーキ食べない?ここの、すっごくおいしいんだよ!」
桜は隣に座る柚樹へチラチラと視線を泳がせながら滉に言った。
会話の切り出し方を思い付かないのか、柚樹に任せようと思っているのか。どちらにしても柚樹と滉を気遣って場を繋ごうと必死な様子が見て取れた。見かねた滉は再び小さな溜め息を吐くと、黙って座り直す。
「桜、ホットケーキはいらない。柚樹、呼び出したのはお前だろ。桜に気ぃ遣わせてんじゃねえよ。」
柚樹を責めるように滉が口を開いた。
「何で……。何でアキはカイの人生を肩代わりしようとするの?」
「は?してねぇよそんなん。」
「ううん。アキはカイの代わりになろうとしてる。だって、アキがなりたかったのは医者でしょ?それなのに法学部って、おかしいよ。」
「夢が変わるなんて珍しくもなんともねえだろ。」
「だったらなんで、カイの真似してるの?」
「は?」
「カイが着そうな服を来て、カイが好きだったジャンルの音楽を聞いて、…カイがなりたかった職業になろうとしてる。全部カイの代わりじゃない!」
「だから違うって!」
店中に響き渡った大きな声に、店員と他の客が一斉に滉たち三人を見た。
その視線に気づかずに俯いて黙りこくった滉と柚樹に代わって、桜が頭を下げて詫びる。
「私も滉くんは海くんの代わりに、海くんができなかったことをやろうとしてるように見えるよ。だから、私も柚樹ちゃんも滉くんが心配なの。」
二人の押し問答を見かねて桜が口を挟む。
「お前らに俺の何がわかんだよ!」
滉は苛立ちをぶつけるように怒鳴った。
その剣幕に二人はビクリと肩を震わせる。
「心配? そんなもん、誰がしてくれって頼んだんだよ!」
「何その言い方…。友達の心配しちゃダメなの!?」
柚樹はその物言いにムッとして返した。
「友達?昔みたいに仲良しこよしでベタベタくっついてつるみましょうって?ムリに決まってんだろ!」
滉は口早に言った。
二人を捲し立てるような口調には、図星を指された苛立ちと、早くこの場から逃げ出したい滉の本心が滲み出ている。
滉の責めるような声に二人とも悲しげに顔を歪ませている。
「友達でしょ!」
柚樹が痺れを切らしたように叫んだ。
「ムリじゃない…」
しりすぼみになっていく声は震えていたが、強い視線はじっと滉に向けられていた。
滉と柚樹はお互いを睨んだまま口を閉ざした。
桜は二人の言い合いについていけず、不安な顔で様子を見ているしかできない。
「……どうせ、カイが死んだのは自分のせいだとか思ってるんでしょ!自分には幸せになる権利なんてないんだって。だからカイの代わりにカイができなかったことやろうとしてるんでしょ!そういうとこ、はっきり言って私も桜も見てられないのよ!」
滉に言いたかったことを柚樹は意を決して言い切った。
そんな柚樹に、
「……お前らだって同じだろ。」
「え、何?」
滉の呟きに柚樹は聞き返した。
「お前だって、海里が死んだのは自分のせいだって思ってんだろ!」
「思ってない…」
「思ってなかったら、そんな余所余所しくならねえよ!気づいてるか、他の女子と違ってお前らが友達として違和感しかねえんだって!」
「それは…」
柚樹は言い返そうとするが、滉はそれを許さない。
「友達だから…、友達だったからこそ!海里を差し置いて自分たちだけ幸せになれるわけないって!お前らだって思ってんだろ!」
滉は今まで溜め込んでいた二人への苛立ちをぶつける。
「違う!そう思ってるのはアキだけだよ!」
柚樹もムキになって反論する。
「桜は桜で俺たちと話すとき目を合わさなくなったし。なのにお前らは今でもみっともなくつるんでる!そのぎこちなさがムカつくんだよ!傷舐め合って支え合いましょうってか?!バカじゃねえの!」
「滉くんやめて。」
不穏な空気を感じた桜は、宥めるような口調で滉を制止した。
滉もここで止めておいた方がいいと頭ではわかっている。けれど、滉の口は言葉を吐き出すことを止められない。
「お前らが言う通りだよ。認めるよ! 俺は海里ができなかったことを海里の分まで代わりにやろうとしてる! 幸せになる権利なんか俺にはねえって思ってるよ! だけどそれの何が悪い?! 俺はそれを受け入れてる! これが俺の償いなんだよ! お前らみたいに中途半端にアイツの死を受け入れてるわけじゃねえから!」
「私が悪いみたいに言わないで! カイの代わりになんてこと、カイがホントに望んでるとホントに思ってんの! アキがカイの代わりしたところで、それをカイがやったことにはならないんだよ? アキがちゃんと自分の人生を生きないとカイだって報われな…」
ドンッ
柚樹がそう言っていると、滉がテーブルに拳を叩きつけた。
「余計なお世話なんだよ! それでお前らに何の迷惑かけた?! それで誰かに迷惑かけてんのかよ!」
柚樹は押し黙った。
滉のその降魔の相に、柚樹も桜も不安な表情を向けた。その顔には怯えも混じっていることがわかる。これ以上は本当に口を動かしてはいけない、取り返しのつかないことを言ってしまうと、頭の奥で警鐘が鳴っているのに、滉の体は…口は、それに従おうとしない。
「あれだろ、お前ら海里のこと好きだったから、俺が海里の真似してんのが気に入らないんだろ?俺が責任感じて償おうとしてんのが、嫌なんだろ?」
「何の…話……?」
柚樹の呟きに気付かず滉は続けた。
「罪悪感は感じてるけど、自分の償い方は考えらんねえ、考えたくねえって!だから、俺にもやめて欲しいんだろ?思い知らされるから。だってあん時のきっかけは、お前だもんな!!」
柚樹は驚きと悲しみが入り交じったような表情で、身体を強張らせている。
滉が言う「あの時」は海里が死んでしまった事故のことだ。柚樹の後を滉が追おうとしたことがきっかけで、海里が滉を庇う状況になった。柚樹が道を渡ろうとしたことが、海里の死の原因の一つだと滉は指摘したのだ。
「滉くん、ちょっと落ち着いてっ…!」
桜の制止があっても、滉はもう止められなかった。
「お前のせいで俺が轢かれそうになって、その俺を庇ったせいで海里は死んだんだ。俺もお前も同罪だろうが!アイツが死んだことに俺たちが責任持たなきゃそれこそ海里が報われねえって、何でそう思えないんだよ!海里じゃなくて、俺らが死ねば良かったんだ!」
「滉くんっ!!」
一気に言った滉に、桜が叫んだ。
怒鳴ることなどそうそうない温厚な桜の、聞いたこともない声に、滉はようやく口を閉ざした。
「言い過ぎだよ。そんな酷いこと言っちゃ駄目だよ。」
桜が滉を嗜める。
滉は二人の顔を正面から見ていることに耐えかねて、目をそらした。言ってはいけないことを言ってしまった、そのことは滉も理解できている。しかし、撤回するつもりはなかった。言ったことはほとんど事実で、確かに感じていたことだ。ただ、自分はともかくとして、柚樹が死んだ方が良かったという言葉は違う。そんなことを思ったことは一度もない。けれど、出した言葉を引っ込められるはずもない。滉は罪悪感と後悔で胸が苦しくなるのを感じながら、ちらと目の前の二人を見る。
桜はほんの少し顔を俯かせる柚樹に寄り添うようにその背に手を当てていた。そして、柚樹の頬を涙が伝う。
「…………っ………」
思わず滉は、バッと再び顔を反らす。
『俺かお前が死ねば良かった』
そう放った言葉は、滉の本意と多少の違いがあった。
滉は、海里の代わりに死ぬべきだったのは自分だと思っている。あの事故に関しても、原因は確認を怠った自分にしかない。そんな自分の本意と裏腹に、きっかけになった柚樹もまた同罪だという言葉が、口をついて出てしまったのだ。
「…帰る。」
滉はそう声を絞りだすと、逃げるように店を飛び出した。
一刻も早く、この場所から…自分を許そうとする全てから逃げ出したい――。
桜の呼ぶ声が後ろで聞こえたが、滉はそれを無視して、街の中に消えていくのだった。
滉が去った後には、使用者を失った椅子が桜と柚樹に物悲しさを訴えるかのように佇んでいる。
柚樹の嗚咽する声は、静かな店内に流れるゆったりとしたBGMが優しくかき消してくれていた。桜にだけ聞こえるかすかな声。桜はその背をそっとさすり続けた。
「ずっ…。ずっと…、三人でちゃんと話し合いたかったの。でも…いざとなるとどう言って良いか、わからなくて…。声が出て来なくて…。でも…やっぱりこのままじゃダメだって…カイだって、こんな…放っておかないってっ…、思っ、て…」
消え入りそうな柚樹の声は、それでも桜にははっきりと聞き取れる。
全てが滉の本心でないことはわかっている。けれど、言葉の裏にある滉の本心もまた柚樹は垣間見てしまったのだ。海里のことは好きだった。好みも価値観も似ていて一番気が合った。だけどそれは、あくまでも友達としてだった。滉は柚樹が思っている海里に対する「好き」を恋慕だと思っていたのだ。柚樹が好きなのは…柚樹にとっての特別なのは…。
この時の柚樹の中では、滉が最後に言った『お前が死ねば良かった』という言葉だけが、強く響いていた――。
しばらく更新できずに申し訳ありません。読んでくださってありがとうございます。
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