第二話 運命の電話
「これは…。一刻も早く別の対策を見つけ対処せねば…」
黒いスーツに身を包んだ初老の男性がデスクで頭を抱えていた。
冥府霊界管理局死神課死長室と書かれた部屋の中は、整理しきれていない書類で溢れている。ここ最近はトラブルが増えていて、本来の職務がおろそかになってしまいかねない事態に陥ってしまっている状態だ。これまではなんとか力技で対処していたのだが、もはや死神課だけではままならない状況になってしまった。徹夜の疲れに加えての八方塞がりの苦しさに泣きたい気分だ。
「ここのところ、さすがの管理局長もお疲れのようだし…。まずは淀んでしまう運気をなんとかしなければ、事態は収拾の目処すらたたん…」
「ちーす。三途の川のほとりから幽便でーす。」
死長がリストを眺めていると、言霊幽便局配達員・粗棄 心が顔を覗かせた。
死長の気苦労を知らない粗棄の呑気な声に、怒る気力すら出ない。
「ああ…またリスト外の……」
死長は溜息をついた。
目の下にクマのあるやつれた顔を上げ、手にしていた書類を机の上に置いて粗棄を見る。そして死長は粗棄に何か言いかけて、止めた。
「なんスか?」
死長はじっと幽便配達員を見詰める。
「?」
突然沈黙のまま凝視され、粗棄はたじろいだ。
「なんスかぁ、そんなに見つめて?俺にソッチの趣味はありませんぜ♪」
理由のわからない沈黙に耐え切れず、粗棄は茶化して言った。
飄々とした態度を貫く姿は、いつも通りの粗棄である。そんな粗棄に慣れている死長は、顔をしかめるだけで怒りはしない。というよりは、怒ろうにもそんな気力も体力も尽き果ててしまっているのが今の死長の心境だ。
「……――うん。進言してみるか。」
「はい?」
粗棄の声が耳に入らなかったのか、そう呟くと死長は立ち上がって背を向けて奥の扉に消えてしまった。
「…置い、とき、ますよ?」
雑然とした死長室に取り残された粗棄は、そろそろと幽便物を書類受けに置いた。
一体なんだったのか?
死神課が最近てんてこ舞いだったことには気付いていた。
(疲れてんだな。うん。)
大変そうだな、などと他人事に思いながら、粗棄は死長室を出ていくのだった。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
――その日、鎖斬は夢を見ていた。
ザーザーと音がする。TVのスノーノイズの雑音によく似ている。その音は何故か心地好くて、安心する。もっともっと聞いていたい。よく耳を澄ますと雑音の中には別の優しい音が混じっている気がした。一番多く聞こえてくるのは優しい音。楽しい音はころころと違うモノに変わった。その中に入れたらとても楽しいだろうとウキウキする。優しい音は時折、楽しい旋律に変わったり、のんびりした調子を刻んだ。その音が好きだった。もうすぐその優しい音に会えることが楽しくて嬉しくて、心待ちにしていた。
『~~~~~♪』
楽しげなリズムが聞こえる。
(誰…だ?)
何故かとても懐かしい。
それにとても優しくて安心する。
しかし鎖斬には覚えがない。
綺麗な旋律を紡ぐその玉を転がすような声。
「~~~♪ ~~~♪♪♪」
次第にその声は徐々に低音に変わっていく。
覚醒しきれないまま鎖斬はおもむろに体を起こした。とても懐かしくて心地好い夢を見ていた気がする。
(あれは、何だっけ…)
せっかくの心地好さは鎖斬の中で溶けて消えてしまった。
その原因が今も鎖斬の耳に届く声のせいである気がしてならない。鎖斬は顔をしかめたまま発声源を見る。
「ふん♪ ふふんふん♪ ふーん♪」
予想通りの粗棄だった。
鎖斬の安眠を妨害した粗棄の鼻歌は、妙に上手いのが悔やまれる。もっと下手だったなら、遠慮なく張り倒してやれたのに。これほど上手いのでは安眠妨害を理由に訴えたとしても棄却されることは明白だ。鎖斬はあきらめの溜息をついた。
「何でいるんだ…?」
粗棄の部屋は隣だ。
「鍵は?」
質問をぶつける鎖斬に、粗棄の呑気な声が返ってきた。
「おー、起きたか紬!」
「起きたか、じゃねーよ!!!」
我が物顔でキッチンを占領している粗棄に向かって、鎖斬は全力で叫んだ。
リリリリリリーーーン。
その時けたたましく鳴り響いたデルビル式の卓上電話機を鎖斬は慌てて手に取った。
この一本の電話が鎖斬の今後を左右するものになるとは思わずに――。